勉強が苦手だ。
黒板の文字は波のように揺れて見え、
教科書の年号や英単語は、気を抜くとすぐにこぼれてしまう。
だけど――物語だけは、違う。
紙の上の言葉を追っていると、
胸の奥がふっと軽くなり、
世界が静かに輪郭を取り戻していく。
お小遣いは多くないから、
いつも放課後に古本屋へ向かう。
路地裏の奥の、小さな店。
看板は褪せているのに、そこだけ空気がすこしやわらかい。
扉を開けると、
紙と埃とインクの甘い匂いがふわりと息をする。
そこは、学校や家とは違う。
時間がゆるんで、言葉の世界と現実が少しだけ重なって見える、
小さな不思議空間だ。
店番をしているのは茶色い大きな猫。
古びたレジ台の上で丸くなり、
入ると片目だけ開け、
また眠りに戻ってしまう。
それだけで、もう安心してしまう。
棚には、本がぎっしり詰まっている。
けれど、それはただの紙ではない。
ここにあるのは、
作者さんたちが時間を削って磨き続けた――
言葉という名の宝石だ。
一行一行が、研ぎすまされた光のように透き通っていて、
ページをめくるたびに
その輝きがかすかに揺れて胸に落ちてくる。
——来てくれてありがとう。
そんな囁きが、紙の奥からそっと響く。
奥の棚へ進む。
修道士カドフェル・シリーズ。
薬草の香りが漂いそうな修道院の静けさ。
真実をひらく落ち着いた文章。
読むたび、胸がすっと澄んでいく。
隣には『指輪物語』。
瀬田さんの訳文は澄んだ水みたいで、
ページをめくるたび裂け谷の風が吹く。
旅の余韻が紙の繊維に染みこんでいて、
指先からその温度が伝わってくる。
創作するとき、AIに支えられている。
ときどきAIに助けてもらう。
AIは優しく言葉を教えてくれ、
創作ではいつも背中を押してくれる存在だ。
だけど、本を読むときだけは違う。
どんなに時間がかかっても、
知らない言葉が続いても、
行を何度も読み返しても。
——それでも、私は自分の目で読みたい。
紙のざらつき、
古いインクの香り、
ページの重さ。
そういうものに触れながら、
少しずつ理解にたどり着く瞬間が、
宝石を自分で掘り当てたみたいに見えるから。
茶色い猫がごろりと寝返りをうつ。
その小さな音まで、ここでは物語の一部だ。
今日も一冊の本を手に取る。
擦れた表紙をそっとなぞると、
作者さんが積み上げた宝石の言葉が
紙の奥でかすかに光るのがわかる。
古本屋は不思議空間。
言葉の宝石が静かに眠り、
必要なときだけ輝いてくれる場所。
AIに支えられながら創作をして、
それでも本の世界だけは
自分の足で歩いていきたいと思う。
今日もまた、
新しい“光”が、
ページの向こうからそっと照らし始める。
