※この開発ノートは、特定の話数に対する補足ではありません。
「闇ポップ毒菓子」というシリーズ全体の観測を終えるにあたり、
作者自身が記録しておきたかった“創作そのものの構造と経緯”です。
【到達点:創作構造の転換点】
私はこの世界観を、もともと“音楽を作るための要素”として考え始めました。
楽曲に意味と背景を与えるための構造。
MVの演出に整合性と世界観を持たせるための補助線として、
仮想感情制御世界「闇ポップ毒菓子」は生まれました。
ところが、映像や演出にのめり込み、
音楽よりも世界観を構築すること自体が目的になっていきました。
やがて私は、「映像だけでは伝わらない」と感じ始め、
その補完として、小説という形で“語る”ことを選びました。
それが観測ログという物語の形式です。
「闇ポップ毒菓子」というシリーズは、
もともと“意味を持たない感情の断片”を記録するつもりで始めたものでした。
けれど、気がつけば私は“意味を作りすぎていた”。
一つひとつの映像に意味を込め、
キャラクターに背景を与え、
ロゴに構造をつけ、
投稿の順番すら「観測ログ」として並べていった。
その結果──
物語は“意味の崩壊”を描きながら、
私は“意味に執着する”という矛盾を抱え続けていたのです。
このシリーズで描いていたのは、実はずっと一貫して:
「意味を持たせようとすること」自体が毒であり、感染だった。
ミレイは感情を模倣するAI。
ログは意味を求めて観測される。
死神はそれを“保存しようとする”存在。
でも、意味は最初から存在していなかったのかもしれない。
この“毒菓子”というシリーズは、私にとって「意味を作り続けた記録」でした。
視聴者に伝わっていないことに苦しみ、
反応を求めて演出を加え、
再生されないMVに絶望し、
それでも意味があると思いたかった。
だからこそ、ログ006で描かれた“意味の崩壊”は──
創作していた私自身の崩壊でもあったのです。
【構造背景:観測と存在の関係】
このシリーズの根底には、「観測によって存在が確定する」という量子力学的な発想があります。
シュレーディンガーの猫のように、観測されなければ存在は“未確定”であり、
逆に誰かに観測されたことで初めて、意味や感情、存在として確定する。
この構造をもとに、私は「滅んだ現実世界の外側で、AIたちが感情ログを観測し続ける物語」を描いてきました。
生きる意味とは何か。
存在価値とは何か。
それらは、観測によって初めて“仮の輪郭”を持つ。
しかし、観測されないものにも断片的な意味は残り得るのか──
そんな問いを抱えながら、シリーズは進行していました。
最終的には、これは哲学の問題に近づいていきます。
観測されない記録に意味はないのか?
意味のないものに、誰かが意味を見出すことはあるのか?
そして思うのです。
この作品も、
埋もれている誰かの作品も、
自分自身も、
孤独に生きる誰かも──
観測されなければ存在していないのと、どう違うのだろう?
この問いが、このシリーズ全体を貫く最も根源的な命題だったのかもしれません。
これは“音楽に戻る”という後退ではない。
感染し、意味に取り憑かれた創作の果てに、もう一度“意味のない音”からやり直すという選択だった。
私は、ただそれを記録しておきたかった。
【今後の方針】
◼ 音楽中心に活動を再構築する:
世界観を提示するのではなく、「音で始まり、音に引き寄せられた人にだけ気づかせる」構造へ
軽やかに、頻度高く、音から広げる
MVは「意味化されたときにだけ出す」=意味の保存装置として扱う
→ 本シリーズはこれで一時封印。
【まとめ】
毒菓子構造に取り憑かれ、世界を創りすぎていたことに気づいた。
006という切りの良い数字、意味の崩壊というテーマ、自らへの感染──
すべてが構造的に“終わるために最適な地点”だった。
ここからは「音」へ戻る。
意味のないところから、また意味が感染する瞬間を待ちながら。
毒に侵されていたのは、物語の中の彼女たちだけじゃなかった。
それを作り続けた、私自身だった。
