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888-878こと

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  • 1月17日

    死せる孔明……

     死せる孔明、生ける仲達を走らす、というが、この言葉がまさにそれだと思う。 https://www.youtube.com/shorts/x8swnUoMo0c  彼を失った穴はとてつもなく巨大なクレーターだが、生ける私たちはなおもまた彼を使うことができる。
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  • 1月11日

    そこに理由なんてない。

    またぞろ知ったようなことを言う輩がいたので、世の中に灸を饐えておく。 まずはこの動画を見てほしい。 https://www.youtube.com/shorts/TamqQNxxgYY バスの中と思われる舞台で、悪役だと思われる人物が、ナイフをちらつかせながらいらだった声で訪ねる。 「なんで人を殺しちゃいけないんだよ」 これに対して応える側が「自分が殺されたくないから」とか「残された家族が悲しむから」などとしているが、笑止千万、「人殺しをしていけないことに理由なんてない」が正解だ。 「理由がないとは理屈になっていない」というむきもあろう。 そう、人殺しをしていけないことは、理屈になっていない。 少なくとも本邦においては、そこに理屈なんて存在せず、ある種理不尽極まりなく、ただただ、そう決まっている。 それは、外出から帰ってきたら、手を洗いうがいをするのが当たり前であるように、あるいは、食事をとるときは「いただきます」といい、食べ終わったときには「ごちそうさま」ということが当たり前であるように、「人を殺してはいけない」のである。 こともしらずにこともしらずに主人公らしき人物が静かに語る。 曰く、 「人を殺しちゃいけない法律なんてない」 「戦争になれば人殺しは許される」 「より大勢を倒したモノほど評価される。」 確かに、刑法に「人を殺してはならない」という条文はない。 それは当たり前の不文律であるからだ。 もう一つ、制御された殺人を禁止して、自縄自縛に陥らないためだ。 制御された殺人とは、死刑の執行を意味する。 死刑の云々についてはここでは素通りする。 「戦争になれば人殺しは許される」という言葉は、本当に戦争に向き合ったことのない、もの知らずのいうことだ。 まず、味方の人員は殺してはならない。 それをすれば(本来は)軍事法廷で裁かれる。 敵性非戦闘民も殺害してはならない。 それをすれば敗戦時に敵性勢力が執行する軍事法廷で裁かれる。 あるいは、敵性非戦闘員を数千、数十万の単位で殺害すれば、自軍の軍事法廷で裁かれる場合もある。 「非戦闘民を数千、数万殺すことなんて弾が何発あっても足りない」とせせら笑う向きもあろう。 原爆や、B29の集団運用によってそれはできる。 東京大空襲やヒロシマ・ナガサキが証拠である。 この一つとっても「日本軍が南京で30万人の殺害をした」ということが嘘だとしれる。 閑話休題。 戦争になっても無分別な殺人が許されるわけではない。 逆に殺人を犯さなくとも、もし、何らかの方法で敵性勢力の武器を無力化することができれば、戦争は過分な争いごとなしに終わる。 その状態で、つまり敵性兵力が武装を放棄し降服して生きた場合の捕虜を虐殺すれば後々法廷で裁かれる。 戦争は人を殺す行為ではない。 実行力を持って、敵性勢力の形勢を無効化することが目的であり、その手段の一つとして、武器を持って自軍を守り、あるいは武器を持って敵性勢力を攻撃することが認められ、結果敵性勢力に人命被害がでても、それは「正当な交渉の結果、相手側に死者が出た」のに過ぎないからである。 「人を殺してはいけない」に理由なぞ求めないのが日本人の良識であることは、教養の二文字を持って理解されたい。 そして「戦争では人殺しが許される」ということはなく、「結果として敵性兵力に人死にが出ても処罰の対象にならない」ということを理解しなければならない。 戦争とは最も秩序だった暴力の抑制の中にある。
  • 12月13日

    いつもだらだら書いてしまうので

    短く一言。 https://www.youtube.com/shorts/8ElcC7Yjyfc かっけぇ……。
  • 12月7日

    他人が裏をとれない物語は創作でしかない。

    まあ証言者が出てくるところまででいいので、この映像をご覧いただきたい。 https://www.youtube.com/watch?v=SKG_wI8P4tI 731部隊の云々というのは創作だと思っている。 なぜか。 それは、証拠がめちゃくちゃ疑わしいからだ。 初めて悪魔の飽食を読んだ時には、身が震えた。 そのグロテスクな表現に 上記の動画を見たときに、「またいかがわしいのが現れた」と思った。 ペラペラと動画へのコメントを読んでいくと、真に受けているコメントばかりなのだが、ひとつ、光ったコメントを見た。 「若い90代には見えん」 僕の親族に戦争に出向いた方はおられなかった。 が、妻の祖父、つまり僕の義理の祖父は支那大陸の南方に出兵したらしい。 僕が結婚する前、20年近く前の話で、当時の義祖父は80代半ばだった。 その段階で、戦争の体験談をうかがった。 義祖父は僕が耳を傾けることに喜んで話してくれていたが、大分ろれつが回らなくて、聞き取りに苦労することが多かった。 ようやく、伍長さんだったことは聞き取れた。 弱い国民党軍に威勢を発揮したことや、戦後の帰国が早かったことも聞けた。 それ以上は覚えていない。 その一つの理由に聞き取りにくかったことがある。 その思い出はありありと残っている。 近所に92歳になるおばあさんかお住まいになっていたことがある。 出かける僕を見かけると「行ってらっしゃいませ」といつもご丁寧に挨拶してくださる方で、往時の品の良さを感じさせるおばあ様だった。 この方も、動きそのものはスローモーで、少し話し込んだりすると、どうしても、よだれが出てしまうことがあった。 それても、本当に品のいいお方だった。 僕がこんな昔の思い出を引っ張り出してこなくても、身近に90代の方と接触されている向きもおられよう。 事程左様に人間、90代ともなれば、言葉を紡ぐことにもいくつかの不如意が現れる。 そこでもう一度動画を見ると、私の知る80代、90代の人々と違い、なんとも矍鑠たる姿勢と言動がみられる。 この証言者が本物か芝居かを見定めるための活動をするほど時間も財力もないが、明らかに若すぎる。 おかしい。 そもそも、森村誠一以外は、常石なにがしかが書籍にしているのが目立つところで、批判的に検証するルポなどなかった。 当然といえば当然で、「ないことを証明することはできない」からだ。 すくなとも第三者による追跡調査で、何らかの証拠物件とともに立証されるようなことがなければ、それは、学術的にはとても信用のならない単なる証言集を超え、単なる小説に過ぎない。 wiki などを散見するに、何らかの実験があったことは裏付けがなされているが、森村が描いたような個別具体的なグロテスクな実験があったとは描かれていない。 その「実験」の描写に、いくつかでも創作があれば、それはルポルタージュを飛び越えて小説に陥る。 そもそも正確な記録を残したいなら、731部隊などと、部隊編成の通称を使い、実態がなんだかわからないような呼び方をする必要もない。 「関東軍防疫給水本部」という名前を出せばいい。 そうすれば、「そらあ、防疫部隊なら、実験の一つや二つ手がけておろうよ、となると同時に、そこまでの生々しい実験までするだろうか、と自然となる。 そう、部隊の呼称も含めて詐欺しかとるにふさわしい作為によってできたものである。 実際に初版本には写真の取り違えがあり、謝罪と修正をせざるを得なかった。 山本七平翁をして、「本来、ノンフィクション物では、どこか一点でも虚偽があったらそれで全体が信用されないはずのものだ」と評させた。 所詮、その程度の事件に過ぎないという創作物どまりなのだ。
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  • 10月25日

    歴史の転換点

    安倍晋三元総理大臣閣下が暗殺されたのは、後方からの攻撃ではなく、前方からの狙撃だと思っている888-878こと、です。 閑話休題。 安倍元首相閣下が再び国政を握ったとき、僕は歴史の転換点にたっているのだと思いました。 そして安倍元首相閣下が暗殺されたとき、この国は団塊の世代が歩んだような後戻りに、また足を踏み入れたかと暗澹たる思いに落ち込みました。 実際に岸破政権の惨憺たるさまや、目を覆わんばかりでした。 なにしろ、まさか「クルド人問題」が国内問題として取り上げられるとは思ってもみませんでした。 今から二十年くらい前の頃、小学館のオピニオン誌「SAPIO」を読んでいたときに記事として知った、トルコのEU入りを阻害する要因として足かせになった一民族。 あるいはトルコ、イラク、イランの国境付近に生息していたところを、3カ国の国境によって3分割された悲劇の民族ながらも、A国で騒ぎを起こしたら、B国に逃げ込む無法者の小民族として知らされていたクルド人。 とまあ、「クルド人」という言葉については、すでに二十年位前から、よい印象は持っていませんでした。 その「クルド人」が、まさか日本で社会問題のの焦点になるとは思っていませんでした。 「クルド人が町の迷惑になっている」と聞いたときの僕の気持ちは「コロニーを作って、日本の生活文化を守らない、いい加減なイスラム様式の押しつけをしてきて、郷に入っては郷に逆らえ、の模範的「人の迷惑」野郎だろう」とイメージしました。 イメージはドンズバでしたが、映像はドン引きでした。 そんな中、参政党が躍進するとともに、落書きされた日本国旗を散見するようになりました。 我らが愛する日本を否定するなら、日本から出て行けばいいのです。 愛国故に発せられる意見に対し、目の色変えて悲鳴を上げて言論を封殺しようとするのは、あたかも親の生活力に依存しながら、自室から出てこようとしない自宅警備員を彷彿とさせました。 (おおよそ父親の…、あるいは母親のみの)経済力に支えられて自宅を警備し続けることができるのは誰のおかげかをわきまえずに、親に反抗的な態度をとる様は、「天皇陛下御一人が確固たる日本文化の継承者であるが故に、自然と野に川に、森に山に浮かびたってくる日本文化が全体的に崩れないと思い込んでいるが故に、それ故に安心して暴れることのできる不良学生」と一緒です。 本当に不良なら、学校という枠に縛られないで生きていきます。 現に僕がそうでした。 閑話休題。 以下の動画は、二十年間外国人移民問題に頭を悩ませながら、具体的な対処もできずに時間を浪費してしまった、日本在住のイングランド紳士の言葉です。 そして、「岸破政権のまま歩んでしまった時の日本」の有様です。 https://www.youtube.com/shorts/7qwIvutiN5Y 高市早苗総理大臣閣下が国のトップに立たれたことは、安倍晋三元総理大臣閣下が返り咲いた以上の歴史の転換点です。 というか、二千数百年に及ぶ文化史の転換点というのは、あることをキーポイントして鋭角に曲がっていくのではなく、いくつかの転換点が連続的に重なることによって、徐々にゆるりと折れ曲がってゆくものだとういことを、僕は今回の出来事で知りました。 それにしても、小泉純一郎政権の時の内閣官房長官から、高市早苗政権の生みの親麻生太郎をも突き動かすに至るまでの、安倍晋三という人物の、国政の主役級の活躍たるや、人知を超えたモノがあります。 形代位ホントに使えたんじゃないかな? 閑話休題。 今回の件でフェミニストという差別主義者たちが、一斉に馬脚を現したことは傑作でした。 曰く「高市早苗は女性の体だが、心が女性じゃない」 これほど明朗な差別用語があるでしょうか? 竹田先生もはっきりおっしゃられています。 https://www.youtube.com/shorts/LzTrViNaggc
  • 10月4日

    「あー、ほんとそれな」

    この動画の男性のことは何一つ知らないんだけど、この人が言っていることがどこまでも現実的なことは分かる。 https://www.youtube.com/shorts/KCMhHOsRyA0 アメリカの核の傘? 鼻で笑っちゃうね。 余談ですぐに脱線するのが僕の悪い癖だが、そもそも山手線って概念図では円で書かれるが、実は米粒みたいに縦にゆがんだ円で、東西に狭く、およそ新宿駅から神田駅までの直線距離を見ても、6.4キロしかない。 ジョギングを親しむ方々や、高校大学の陸上部の方々にしてみれば「えっ」と驚くほどの短さだ。 ちなみに地上に立つ人が見える地平線、水平線は、空気によるホライゾン上の歪みを勘案しても5キロメートルほどだそうだ。 新宿⇔神田間の直線距離が6キロあまり。 なんて狭い空間に蝟集して満足してるんだ、という感がある。 この国を終わらすには核爆弾の一つで足りる。 皇居を目標に核爆弾を落とせばいい。 広島型原爆で、およそ直径2キロから3キロの範囲の建物が全壊した。 ざっくり人が蒸発死する範囲がそれくらいだと考えればよいだろう。 そして「仮に核出力1Mtの大気圏内核爆発が都市部で行なわれると、概ね15から17km圏内の民間建造物が爆風により壊滅的な損傷を受けることとなる。(Wikipedia「核爆発」のページより)」 本当は、今上天皇が皇居にいるならば、皇太子殿下、皇嗣殿下は京都くらいまで離れてお暮らしになるのがよい。 それでこそ核冷戦時代の皇室のあり方である。 「首都東京に一発の原子爆弾が落ちただけで日本が終わるはずがない」 「地方をなめんな」 「実際おまえが、「広島県は長寿県の一つに数えられている」と原爆の被害が特定的なものであると主張しているではないか」 などという批判の声もあろう。 しかしこと現在の東京は違う。 皇室が一カ所に固まりすぎている。 皇室が滅びればこの国は二千数百年の歴史を失う。 「馬鹿が、皇室だけが日本ではないわい」という向きもあろう。 しかし、日本が日本として、一と塊りでいられたのには訳がある。 古代の征服王朝に始まり、「日本人」の心の集まりどころは大王(おほきみ)だった。 たとえ北条政子が武士支配の世界を作ろうとも、足利義満が皇位簒奪を図ろうとも、織田を明智が討とうとも、幕藩統治が終わろうとも、人類初の原子爆弾を2発も落とされ裏切りのソ連軍が満州国境を侵し、GHQが偽りの正義で東條英機元総理大臣閣下を絞殺しその遺灰を太平洋に投げ捨てようとも、 日本人は自らの政権を他国に委ねることはなかった。 一塊の日本国であり続けてきた。 なぜか。 それは日本の政(まつりごと)の中心に、必ず萬世一系の皇室があったからだ。 まさにぐるぐる分回ってブルブル震えるエンジンのピストンが一つのシャフトでひとかたまりになっていられるように、直列だろうと水平だろうとV字型であろうと星形であろうとロータリー型であろうとその軸さえそこにぶれずにあれば、それは一つの「エンジン」と呼ばれる膂力生成機関として成立しているかのように、 我々日本国民は、その思考の奥の奥の奥の奥底に天皇陛下がいることに安心をしているからこそ自由な言論ができるのだ。 皇室が途絶えようと、国民は旧宮家を祭り上げ、必ず天皇陛下という名前の奴隷を作り上げる。 有り難いモノとして祭り上げる。 それもできなければ、この国の二千数百年は終わり、残った国民と日常のルールにまつろわぬ周辺諸国及び不可触な移民とやらが混血しあい、伝統というかけがえのない財産を失って何やら不気味な国として時たま人類史に浮かび上がっては消えるあぶくの一つとなるだろう。 なぜそう言えるか。 それを説明してみせる小説を書けるほど、僕はまだ熟していない。 ただ、いくつかいえることがある。 天皇陛下とは、生まれたときからその立場から逃れざる奴隷の立ち位置であるということ。 天皇皇后両陛下というのは言葉遣いの間違えで、こと本邦において陛下とは、天皇陛下ただ御一人を指し示す言葉であること。 天皇陛下個人を崇拝したら日本国民ではなくなること。 事実、僕は後の世に令和天皇と諡されるであろう今上天皇陛下は天皇陛下として欠格だと思っている。 男子を残さなかった一つを捉えても、あの夫婦が践祚するべきではなかったと今でも思う。 それでも、 日本という国を滅ぼそうと思えば、百万人の犠牲者などいらぬ。 核の一発あればよい。 これだけは譲れない。 願わくば悠仁親王殿下におかれては、側室を持ち、あるいは持たずとも皇室に出入りする女官とのマジナイなどから目を背けず、多数の男児に恵まれてほしい。 そして北海道、京都、九州に主に座する宮家を育んでほしい。 少数皇族による公務負担もささやかれる中、東京から言うところの「地方」に宮家が座することで、よい意味のにらみも働こう。 さて、いろいろ課題は山積だが、まずは足下の「住民生活」から見直していこうではないか。 https://www.youtube.com/shorts/IwQ0pM49VuY
  • 10月4日

    800年ぶりの大改革が、「今」始まろうとしている。

    日本が権力者と権威者を分けた源でもあるのが、鎌倉幕府であり、その先、六百年もの長きにわたる武家政権の始まりだった。 それだけ、不安定な時代を駆け抜けそして締め上げたのが北条政子という女傑であった。 その前と言えば奈良時代の持統天皇、飛鳥時代の推古天皇、神話時代(ただし、確かにその歴史は存在した時代)の神功皇后にまでさか上る。 女性天皇といえば他にもいるが、混乱する国内を政治的にまとめた女傑と言えば、古代の男系女性天皇ぐらいのものだ。 北条家なんて一地方豪族に過ぎなかった家から輩出された北条政子は、何代も何代も表のカードを変えながら、裏の文様として立ち回ってきた女傑だ。 そして今、高市早苗氏が自民党の新総裁として選出され、次代の総理大臣閣下となられようとしている。 マスコミは猛反対していた。 与論を小泉の小せがれに向けさせようと必死の工作をしていた。 そしてマスゴミは破れた。 これからは感情的になって高市政権をつつきまくろう。 しかし、高市氏が長命でないことと歴代屈指の長期政権になろうとすることは確実に見える。 賢き諸氏はまず一次情報にあたられかし。 https://www.youtube.com/watch?v=0rlYZsqJm-E
  • 9月27日

    情報戦

    https://www.youtube.com/shorts/gTI0SmBLS-M オールドメディアの最後の遠吠えとなるのか? あるいはライブメディアがひとたび、再び、三度押さえ込まれるのか。 天下分け目の総決戦。 僕たちは今、その戦場のまっただ中で耳を塞いでうずくまってる。 その耳を塞いでいる手を拳に変えて天に突き上げろ! 声を出せ、吠えろ! https://www.youtube.com/shorts/JpNUhJgD50k
    • 1件のいいね
  • 9月25日

    政教分離? 法律は賢く解釈しなくては。

    そりゃ、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と憲法に書かれてようとなんだろうと、土葬みたいな野蛮で不衛生な埋葬方式は認められないんだよ。 日本産のおいしい豚肉をつかえまえて、「豚肉は不衛生だから食べられない」とか知ったこっちゃない。 こちとら土着の神道行事すら学校行事に混ぜ込まないで頑張っているんだ。 ムスリムを教育の現場に持ち込むな! https://www.youtube.com/shorts/rlJV42eZSqw それにしても教育基本法第十五条の1「宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない」とは立法者が何を意図して挿入した文か分かりかねるね。 是非知りたいな、そのときの立法者が立たされた時代背景とその意図を。 それを知らずにこの条項を読むなら、「この条項を消せ」の一言に尽きるね。 いや、違う。 これに基づいて「いただきます」「ごちそうさま」が学校でも行われる根拠となるね。 「いただきます」って誰が誰から、何をいただくの? 人の食べるものは水、塩、炭酸水を抜いてそれ以外の悉くが生命の息吹のあふれるばからん状態を止めて、 殺して 「旬の食べ物はおいしい」と季節を喜びに感じさせる。 その、生き生きとしたかけがえのない命を、 いただいて、 私の命をつなぎます。 そういう意味の「いただきます」だ。 「この食べ物は唯一神が私たちのために用意してくださったのだから、唯一神からいただくものよ」などという言い訳は通じない。 それなら「唯一神よ、いただきます」という形になる。 日本人の「いただきます」はそんなに狭くない。 食材という姿で我々の前に現れてくれた、命に対して、その一番元気な瞬間を殺して、伐採していただくことに対して、それを作った生産者、そして屠殺してくれた業者、運んでくれた運転手、料理にしてくれた料理人、そういう、食卓に並ぶまでのあらゆる課程に感謝する言葉だ。 「いただきます」を言わないで過ごすのは、日本人として気持ち悪くて仕方がない。 中には「ここ数年間いってない」という向きも居ろう、それでも大病したときや生命の危機から脱したときに、銀シャリを目の前にして「いただきます」をいうことで、何か大きなもの、お天道様からの祝福を心に感じて食事を「おいしく」いただくことができるようになる。 いただきます、は斯様に日本的なかつ宗教的な一言なのだが、我々はそれを特に意識しない。 意識されない宗教、それこそが「神道」なのだ。 ムスリムも「神道」の国に来たなら神道の生き方に習え。 さもなくば出て行け。
  • 9月23日

    どうして報道そのままトランプを凶人と受け止めるのか。

    もう、言葉はいらず、ただこの動画をみればわかる人はわかるという話。 https://www.youtube.com/shorts/E2dZdrz_Ak4 報酬を受け取らないとはどういうことか。 もちろん、日本で言うところの企業献金的なお金の流れも把握しないと正確なことはいえないが、 少なくとも、トランプ大統領閣下におかれては、無私の真心で「アメリカのためになる政策」を実施しているということだ。 その政策に反対の人もおろう。 想定外に失敗した政策もあろう。 しかし少なくとも、無私の真心で「アメリカのためになる政策」を実施していることは、何者にも否定されない。 その熱き魂は、何者におも折られない、確固たる柱として彼と彼らのチームに行き渡っている。 トランプは商人の出であり、政治屋からすると、稚拙に見えるかもしれないやり方をしているように見えるかもしれない。 しかしそこには、後々のアメリカの繁栄を約束するくさびをしっかりと打ち込んでいるに違いない。 彼の功績は、彼の引退後にこそ光る。
  • 9月23日

    参政党の政策に肯んずるイングランドのおにいさん。

    この動画、そんなに長くないから見てほしい。 https://www.youtube.com/shorts/cocg-55W3u8 何なら素晴らしいスピーチだから書き起こす。 曰く、 参政党が正しいと思っている外人です。 日本の皆さん、一回、許してくれる? ちょっとな、いい話があんねん。 これ見てよ、これはイングランドの旗だよ。 最近イギリスで素晴らしい動きが始まった。 しかもこれは単なる愛国心じゃない。 リベンジやで! Operation raise the Flag と呼ばれるムーブメントが始まった。 俺らの国旗は Saint Grorges Cross と呼ばれてて、 最近移民がさ、この旗を見て 「ああ、この旗は差別だ。 私はイングランド人じゃないから、 白人じゃないからこの旗は差別だ」 とか言いながらな、 実際、いろんな移民が俺らの国に来て、女の子に暴行を起こしたり、 仕事もしたらあかんのに、普通に Ubereats で働いたり、 こないだイギリスで玄関で暴行を起こされた子おったんやで。 Ubereats の店員さんに。 それももちろん移民。 しかも移民じゃなくて違法移民。 ビザもない、船に乗って俺らの国に来た。 でも「船で来て、どこに住むんやろな」と思うでしょ。 日本人として…。 実際イギリス政府が、ホテル代を全部出してくれてるんよ! 飯代! ホテル代! クリーニング代! スマホ代! 全部出してる! ビザ持ってないのに、俺らの国に来て全部もらってるわけでしょう、あいつらは! 俺らのイギリス人も、もう耐えられへんくなった。 自分の国を取り戻そうとしてる。 日本もまだだいじょぶ。 まだ時間がある。 まだ自分の国を守れる。 でも、イギリスも含めてヨーロッパをもう終わってます。 どの村いっても、どの町いっても、いまこの旗を掲げられています。 やっと!! これはヘイトのシンボルじゃない。 俺の国の旗や。 イングランド人のみんなの旗や。 日本人はさ、イギリスに来たら絶対ルール守ってくれるよね。 そういう国やねん。 でもそうじゃない国もあんねん。 日本でもそう、見てるやろ、俺最近SNSで。 日本の皆さん、自分の旗に誇りを持って欲しい。 イングランドも日本も、長年をかけられた美しい国やから、 皆さん、文化を守ろ!
  • 9月22日

    チョントリー

    サントリーと言えば「チョントリー」という言葉を忘れずには語れない。 確か、公式webサイトの地図で、竹島を韓国領土と描いたとか、日本海を「東海」と書いたとかで、韓国の息のかかった企業として敬遠されたものだ。 まあ、実際にはネットの隅っこで騒がれるだけだったが。 ところで少し脱線して、 「チョン」という言葉が朝鮮を指す侮蔑語として「使われることがある」ことは知識として知っている。 でも、僕は差別をすること云々の善し悪しより先に、マスコミによる言葉狩りが大嫌いだ。 あの半島は朝鮮半島だし、あの言葉は朝鮮語だ。 僕が十代後半にさしかかった頃からだろうか、韓国語、という言葉がテレビに泳ぎ始めて「なんだそりゃ、朝鮮語だろ」と強い違和感を感じたのは。 さらには「ハングル語」などと言い出す輩もいる。 確か十二世紀にハングルを作った時の朝鮮は、漢字が正字で、ハングルは言葉の読めない貧民向けの発音記号だった。 トイレで用を足している間に覚えられる、という意味で「廁文字」と嘲られた文字だ。 ただし、ただ一つ生き残った確実な朝鮮発祥の文化だった。 それで担ぎ上げられるまではよいが、漢字を廃止したのは誤りで、よく言われる「平仮名だけの文章」となってしまい、大学生でも文章読み取りに苦労するという。 さばかりか、誇らしげにハングルを掲げる。 愚者は己の愚かを誇る。 そういう事大主義的感覚を拭い捨て、漢字をまた一から使い直し、条約に違反して何度も何度もこの国を侮辱した罪を深くわきまえ、自主的に本邦に頭を下げて傅くまでは、「チョンはやっぱりチョン」という向きも消えやしないだろう。 閑話休題。 今回、「海外サプリに関与した」というだけで家宅捜索を受けた会長が、自ら会社に報告し、会社は知性の集合体として辞任勧告の方針をまとめ、それを受けた会長が即日辞任した。 という事件があった。 社長、副社長の会見と、元会長の会見、どちらも1時間半くらいの長い会見だったが、僕はそのほとんどを見た。 まあ、一部の記者の品の悪さと言ったらなかった。 勝手に自分で鳥居社長、新浪前会長の行為を「違法・悪行」と決めつけて語るものだから、言葉は荒くとげとげしく、真摯に耳を傾けている社長、前会長と比べて育ちの悪さが目立った。 僕が見たかぎり、鳥居社長は時折わずかながら顔を紅潮させ、言葉に詰まることがあったが、それは残念から来る新浪前会長への怒りなのか、それとも、「これからのサントリーを作ろう」と約束した同士を自ら打ち首にしなければならなかった悲しみの気持ちの表れなのかはわからなかった。 僕の目には後者に見えた。 それに比べると新浪前会長の会見は堂々としたもので、自らが潔白なのは明白であると伝わってくるし、理性的な悔しさをにじませた会見だった。 鳥居社長の会見でも、新浪前会長への会見でも「一部の役員によるクーデターではないか」という面白おかしく取り上げようとした質問が飛んだが、これについては、両リーダーとも、ごく普通に否定して見せた。 なのに一部のゴシップ誌では、中見出しに「クーデターの噂広まる」みたいな見出しをつけて、さも鳥居社長と新浪元会長の権力争いの構図に持って行きたがった。 会見を見ていなければこんな作為にも気がつけぬ。 サントリーはただ「チョントリー」と言われた過去を粛々と、拭い去っていけばいい。
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  • 8月28日

    はかばかしく、ないや

    僕は占いの類いを信じない。 ここで言う「類い」とはMBTI診断のように、人をいくつかの類型に分けるものも含む。 なぜか。 会社に生年月日が全く一緒の男性がいる。 アストロ双生児ってやつだ。 彼は営業から上り詰めて常務執行役員をやっている。 僕は相変わらずできの悪い平社員。 地べたを這い回っている。 もちろん、自分の欠点だってわかっている。 一番はしゃべる報告コミュニケーションが下手なのだ。 様々なビジネス文法、ビジネスコミュニケーション法があるが、 人前に立つと一種の緊張が走り、作業の初手から説明を始めてしまう。 時間の限られた上長はいらつく。 そして「できそこない」の烙印を焼き付ける。 これが焼き付けられたら外しようがない。 その部署で腐っていくだけとなる。 僕がいくら馬鹿でもわかる、自分がビジネス音痴だということを。 ビジネス文書と小説とは、書き方も構成も言葉選びも展開も、何もかもが対極にあると思う。 しかし、そう思っているのは自分だけで、ビジネス文書が得意な人は、小説作りも得意かもしれない。 雨の日に舗装道路に上がったミミズのように、誰かに踏み潰されて生きていくのがお似合いの人生か。
  • 8月15日

    何故「今日」を振り返るのだろう

    今日は大東亜戦争の終戦記念日である。 欧米側には「9/3を待たずして終戦記念日とは些か速きに失する」という向きも有るとのことだが、欧米側の都合など知らぬ。 国家に謝罪をさせたがる向きもおろうが、左向きのテロリストの言に左右されてはいけぬ。 そもそも、この日を忌むから気持ちが縮こまってしまうのかもしれない。 その功罪すら歴史になんなんとする昨今であれば、あの戦争を忌むのは、是非とも12/8の「開戦記念日」をもってこそ、あの大戦を振り返るにふさわしい。 世界中の地図から植民地が大きく消えゆく切欠こそ、あの日から始まる快進撃をしてなさしめたのだから。 開戦記念日、万歳万歳万歳
  • 7月29日

    ○ちゃん、逝く

     業界の下らぬ馬鹿騒ぎで人が集まった。  こっちは出席など端から願い下げだった。  だから今日、後日譚として知ったのだが、○ちゃんが亡くなっていた。  Xさんがリーダーだ、と放送されたとき、僕も○ちゃんも「はぁ?」って言った。  一番機嫌取りをしないと機嫌を悪くするXさんがリーダーだったはずがなく、僕はとっさに「○ちゃんか俺だろ」と、彼は同時に「○○○だろ」と僕の名前を挙げた。  旅中に、いろいろとああでもないこうでもないがあった。  ほとんどは僕が火種だったけど……。  そんなとき、よく、まとめ役として機能していたのが彼の発言だった。  彼にはそんな風に、周りを見守る能力が確かにあった。  1件目の事件も、2件目の事件も、僕は未だに、彼にとってはもらい事故だったのだろうと思っている。  お互い生きていれば、また一度ぐらいは会うだろうとも思っていた。  馬鹿野郎、生き急ぎやがって。  彼のために手を合わせてくれる人が一人でも増えることを願って、ここに記す。 合掌
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  • 2025年1月27日

    残念なお知らせ(一年延期)

     ご無沙汰してます、888-878です。 去年の9月から、積んであるガンプラを崩し、今年の1月から、アデル・ヴァイスの後半のプロットを整理して4月から、連載再開をもくろんでました。 その予定をまるまる一年延期させていただきます。 絶対やめませんよ。 僕の本性は狼のように残酷で、蛇のように執念深いのですから。 ただ、お待ちいただいている方には本当に申し訳ないのっぴきならない精神的な事情でプラモデルにも、執筆にも、手を着けられない状態が成立してしまい、今回の延期に至りました。 遊君のモデルからはとても深みのある考察までいただいたのに不甲斐ないですが。 ちなみにTwitterはなんやかや毎日のように呟いているので生存確認はそちらでどうぞ。 前半までの展開で判りづらいことがあったら、Twitterで質問してもらってもけっこうです。 とにかく、地べたを這いずりながら生きていきますので、僕の作品をよろしくお願いします。
    • 4件のいいね
  • 2024年9月23日

    アデル・ヴァイス、新話、第072話を公開しました。

     現段階での持ち玉、第72話を公開しました。  この物語におけるターニングポイントです。  十八話単位で動いてきたこの小説は、できる限り百四十四話での決着を目指しています。    この七十二話までで、必用な舞台用具と舞台装置は整いました。  ここからは半年のお休み。  また、春分の日か、四月朔日に再会できればと思っています。  その時にまたあいましょう。  ではでは、リーエとチーヤの二人をよろしくお願いします。
  • 2024年8月31日

    アデル・ヴァイス、新話、第071話を公開しました。

     アデル・ヴァイスの第71話を公開しました。  他愛もない過去話の綴り合いですが、こういった過去が、淑女青年達のあいだに何を拡げていくのか、その切っ掛けでもあります。  作者としてはリーエとチーヤに王立女子士官学校を卒業しないまま、小さな世界でまとまっていて欲しいのですが、まあその、この二人に関してはそこに閉じ困ってはいないでしょう。  そもそもリーエは、自分の気持ちをまだ誰にも明かしていないわけで、それを考えたら、いつ、どこで、誰を選ぶのか次第で、物語は大きく性質を変えます。  はたしてリーエが何を選択するのか。  それは第072話以降をお待ちください。
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  • 2024年8月12日

    アデル・ヴァイス、新話、第070話公開しました。

     はてさて、物語が少しずつ、動き出した感じを、僕はうまく、伝えられているでしょうか?  前作、アデル・ヴォルフの本編が213,766文字。  今回の70話公開で、アデルヴァイスの文字数は213,018……。  総話数144話を考えている現在、まさに物語の中心にいるわけでして……。  3幕構成でいえば、調度ミッドポイントにさしかかろうとしています。  願わくば読者様に読みやすい作品であるようにと願うばかりです。
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  • 2024年8月3日

    星3&講評をいただきました。

     もんのすごく久方ぶりに、星3評価と講評をいただきました。  星3というのがありがたく。  ましてや講評までいただけるのはほんとにありがたいことだと思います。  講評って難しいんですよね。  限られた文字数の中で、自分の中で良かった部分と悪かった部分を端的に表しつつ「全体として好きだー!」という表現にまとめなければならない。  割と、手間のかかる作業だと思います。  今回、いただいた時にはどなたかわからなかったのですが、あとから知人が名乗り出てくれまして、その知人というのが、某キャラのモデルの一人でもあったのです。  その方は戦記物やライトノベルを嗜まれる方ではないのですが、わざわざご一読いただいたことに感謝。  そして講評をいただけたことに感謝します。
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  • 2024年7月22日

    アデル・ヴァイス、新話、第069話公開しました。

     ところで本作では、十八話を一単位として章を組んでいます。  ですので第072話で一区切りを迎え、そして後半へとなだれ込んでゆきます。  そんな展開の時に、話しの中にまろびこんできた二人。  二人は果たしてどんな役回りで、リーエとチーヤを巻き込んでいくのでしょう。  僕は今回、本作を執筆する前に三幕構成とか、キャラクターの対立構造とか、キャラクターの容姿も含めた細かい癖などの設定とか、かなりのボリューム書き込んだのですが、こうして中盤を迎えようとするに当たって本作を振り返ると、  「素晴らしい諸先生方の教えなんか"見事に"ぶっちぎってる」感じなんですね。  よその方からみれば「人の敷いたレールの上をたらたら歩いているつまらない旅人」かも知れませんが、僕自身の自覚としては「他人の敷いたレール? なるほどこれは大変便利なモノだ。それでは皆さんご達者で」とレールの敷かれた向きから九十度右の方をむいて草むらを歩きちらしていくのです。  そんなへそ曲がりだから、売り物は作れないんだと思います。
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  • 2024年7月2日

    アデル・ヴァイス、新話、第068話公開しました。

     これでようやく水着のお買い物が終わりました。  しかし、みんなと一緒に水着を買って、どうするんでしょーねー、リーエとチーヤの二人は。  物語中の月は7月。  7月後半から8月は長期休暇を取るのがゼライヒの習わし。  ちなみにその7月に期末決算を迎える会社がほとんどで、学校などの年度も、8月から新学期に切り替わります。  この辺は完結後の「外伝」で色々フォローしなければならないかも知れません。  実際の授業は9月から、入学式は小、中、高、大と徐々に遅れていって、大学の入学式はほとんどが10月の始めにおこなわれます。  ところで今作は文字数が多くて、今書きためている分全てをあわすと20万文字を超えます。  徹攻兵「アデル・ヴォルフ」が20万文字余りなので、ちょっとくどくどしいのかなあ、とも思いつつ、「でも、思いっきりゼライヒの紹介が入っているしなあ」とも思ったり。  一旦、書きためたところを放出したら、また、長期休暇に入りますね。
  • 2024年6月9日

    アデル・ヴァイス、新話、第067話公開しました。

    「公開しました」というとほんの数時間はやいのですが、6/10の0:00分に第067話が更新されます。 中身はネタバレするまい、と考えるのが読者への優しさですが、ですね、ですので、まあその、ご一読いただければ感謝に堪えません。 状況としては、大きな動きを控えた上での、「嵐の前の静けさ」といえるのかも知れません。  いずれにしても、楽しんでいただければ幸いです。
  • 2024年5月27日

    アデル・ヴァイス、新話、第066話公開しました。

    進みが遅いのは本当にごめんなさい。 ハートとかコメントとか☆3とかもらえると舞い上がります。
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  • 2024年4月23日

    マスゴミはおろか、ネットも嘘ばかり

     https://www.youtube.com/shorts/BEy6GsF7krg  このショート動画は短い中に当時の事故の概要がコンパクトに内包されている。  ただ、彼らは手放しに賞賛されたわけではない。  https://ja.wikipedia.org/wiki/T-33A%E5%85%A5%E9%96%93%E5%B7%9D%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85#%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%A0%B1%E9%81%93  二人の老練なパイロットの英雄的行為は当時ほとんど顧みられなかった。  僕の職場が池袋にあったことで、池袋の信号も停電し、騒然と成った原因として「また、自衛隊が」という非難を決め込んだ口調で眉をひそめられていたことを覚えている。  その当時から、自衛隊機のパイロットの献身を知っていたものは、潜み声で賞賛したものだった。  自衛隊が起こした事故は、全て自衛隊側が悪い。  そんな時代が本当にあったんだ。
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  • 2024年4月16日

    外国のお笑いはセンスがない。

     ディズニー映画のモンスターズ・インクで、  あ、この近況ノートはこのあとネタバレを含みます。  マイクこと緑のちっちゃいのが、脚立に跨がって立ち、その後両足を離して勢いよく股間を脚立に打ち付けると、男の子が大笑いするシーンがあります。  僕はついさっきまで、あの演出の意味がわからなかった。  youtubeでショート動画を見ると、時々外国のショート動画で、滑ったり、転んだりして相当痛い目をみている人の、痛い目の瞬間を寄せ集めた動画が、お笑い動画として流れてくる。  日本人の僕には「え、痛そう」「うわ、この人の怪我は大丈夫だったの?」と心配する気持が自然と浮かび上がってくる。  でも、BGMには笑い声。  そう。  ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・  外国人は、他人が酷い目をみたのをみて、笑えるんだ。  日本人は正味笑えない。  「痛そう」と画面の向こうの相手を慮る思慮がある。  「いや、俺日本人だけど、痛そうな程笑えるよ」という向きもあるだろう。  そういう向きは自分の出自を疑った方がいい。  人の性根は育ての親から育ての仔へと継承される。  社会実験でも実証されている事実だ。  あなたが、二世代、三世代前に密入国者の名前を見つけないことを祈る。  閑話休題、ことほど左様に日本人と外国人のセンスは違う。  思いやりがそもそも違う。  そんな文明と文明が衝突したんだ。  大東亜戦争は荒れに荒れて当然だったか。
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  • 2024年4月8日

    新話公開しました

     はぁはぁ、ぜぇぜぇ……。  あ、息が切れてるのは「颯太」のモデルである、うちの長男の通学定期券を買うために自宅から駅まで二往復したからです。  うちは貧乏なので最寄り駅が鈍行の駅なのですが、臨時に机を出して通学定期券の発売受付をしていたのです。  学校側の不手際とかもあって、どうしても今日買いたかった僕は、一旦自宅に着くと、妻の用意してくれていた書類を持ち、鞄から財布だけ出して駅までGo! Go! Go! Go! したのですが、なんか人がいない。  通りすがりの駅員さんに聞いたら「あー、うちの駅は十九時までなんだよね」ニカッ、と。  とっさに時計を見ると十九時十分……。  これが二分くらいだったら「なんとか……」と拝み倒すことをしたかも知れませんが、十分も過ぎちゃってると抗いようがありません。  すると駅員さんが「隣の乗り換え駅なら二十時までやっていますよ、と。  しかし自分の定期を持ってきておらず「こうなったら隣の駅で買ってやらあ!」と、今一度自宅に戻って鞄から定期を出すと「もっかいいってくる」と言い残してGo! Go! Go! Go!  隣の駅でなんとか買えました。  ただ、自転車で最寄り駅まで二往復しただけで、脚がよれよれなの。  こんな惰弱な体だったか?  と。  お金に余裕があったら、またジムとか通って体を動かしたいものですが、自宅ではどうしても動く気になれず……。  ああ、貧乏は辛いなあ。  というわけで、新話では、リーエが本来の姿を取り戻し、そこにチーヤがお買い物の提案をする、ほのぼの回、となっております。
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  • 2024年3月31日

    結局をいえば鬱っ気に勝てなかった。

     失敗した。  余裕は十分過ぎるほど合った。  でも、それを生かし切れなかった。  冬期鬱を持っている僕は冬の動きが鈍い。  それを知って、昨夏末、早々に連載を締め切った。  しかし冬期にできたのは、旧稿の見直しに止まり、新章を完成させることができなかった。  手をつけたにはつけたのだが、未だ発表する分量にない。  大変に申し訳ない。  早々に手当てするつもりである。
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  • 2024年2月19日

    あたしゃ生まれてからこの方、一本指がかけておりますが何か?

    twitterに上げた文章をひとまとめにしました。 長くなります。 よかったら、最後まで読んでやってください。 ざっくり、こんな意見を目にしました。 「障害を個性とか言うな。シンプルに社会の荷物」 俗に、一寸の虫にも五分の魂、といいます。この発言者にも僅かながら一理有るとしましょう。 さてここからは例え話です。観念の上での話を理解できない人には向いていません。 ある時から宇宙人が地球に移民してきました。宇宙人は全員4本の腕を持っていました。 実際、作業をさせると作業効率は常人の倍に比肩しました。 人柄が明るく、地元の風土に馴染もうとする宇宙人たちは、地球人達に好意を持って受け入れられました。 ある時、宇宙人たちは言いました「地球の皆さんは腕が2本しかなくて不便でしょう」と。 地球人は驚きました。「いえ、私たちは2本の腕で満足してますよ」 宇宙人が言いました「いえ、あなたたちが不憫でならない」 地球人は怒りました「冗談じゃない。 我々は立派な大人として社会に貢献している」 地球人は口を滑らせました「腕が1本キリしかないなら哀れみも受けよう、しかし五体満足に揃っている私に哀れみなど不要だ」 宇宙人は心の底から悲哀の表情で答えました「1本も2本も変わりません、ちゃんと4本無いのですから」 地球人は突然、目の前の宇宙人に得たいの知れないものを感じました。 理解や納得などではなく、感覚が全く通じない相手が目の前にいる不安に耐えられなくなりその場を離れました。 やがて宇宙人達は宇宙人だけの都市を造り、地球人の倍の早さで進歩して行き、その有り余る余剰のエネルギーを持って2本腕の地球人に施しを与えるようになりました、とさ。 五体満足でないならお荷物、という感じ方はいささか創造力の無いように感じられます。 僕は、いわゆる障害者を哀れむ心が大っ嫌いです。24時間そんな宴を開くこと自体が大っ嫌いです。 子供を二人もうけて知りました。 人はその時その時でできる限りが変わるんです。 その限りを超えて力を出せと言っても無理なんです。 それが能力というものです。 でも、与えられたカードで戦うしかないんです。人生は競争の側面を持っていますから。 身体的な欠損はそのハンディキャップを視覚的に表し、世間の優しさに恵まれることもたまにはあります。 精神的な疾患を持つ人は、特に境界例とされる人達の生涯は不当な哀れみの連続です。 きちんと話せるんです、話せば伝わるんです。でも一度「目」をつけられたら終わりです。もっと要領よく話せと言われ、要点だけを話すと「主語がない」と言われます。 大体こういう時は目的語が欠けてます。 僕は「主語がない」という指摘を受ける度に心のなかで笑います。文法のブの字も知らないのですから。 障害は個性です。それを否定したいなら4本の腕を揃えてからにしてください。 世の中が4本腕の世界なら五体満足ではなく七体満足なのですから。 その人が社会の荷物かどうかは、環境と能力、そして立ち回りの上手さで決まります。 僕は6本指で生まれました。 でも、5本指の今を嘆いていません。 これだけ社会が豊かになった今、障害なんてその程度の個性でしょ。 ご異見があればせめて指の数だけでも生まれたときの僕に並んでからにしてください。
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  • 2024年1月3日

    神も仏もないものか

     一休宗純の言葉を思い出すほかない。  門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし  何も元日に大地震だの津波だの興らなくともよし。  何も二日に、救援のための飛行機が事故に巻き込まれなくともよし。  去年、一年を生き抜いた魂が、五名、数十名と亡くならなくともよろしかろうて。  悲しい、悲しい気持になる。  それでも、年明けの宴会は過ごすし、  笑い、賑わい、酔い、へべれける。  何とも浅ましい、業の深い身ではないか。  亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、被災された方々の経済的復興が速やかなることをお祈り申し上げます。
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  • 2024年1月1日

    明けましておめでとうございます

    昨日は午後まで目覚めなくって、初詣にいって、よこになって、夕食をとったら早速寝て、悪夢で目が覚めると、お腹がすいたので、バナナを食べてまた寝た。 そんな年明け、おめでとうございます。 今年も宜しくお願いします。
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  • 2023年12月31日

    よいお年をお迎え下さい。

     この数時間後には、明けましておめでとうございます、と投稿しているのだろうが。  今年は後半の落ち込みが酷かったなと思います。  仕事も、プライベートも、趣味も。  もともと冬期鬱の傾向もあるので、1月、2月と油断できませんが、四月朔日の再会に向けて温度巻上げていかないといけません。  年が明けて3月もしたら「アデル・ヴァイス」の再開です。  来年も、頑張ろう。
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  • 2023年12月9日

    ご無沙汰してごめんなさい。――正義と無宗教の行方――

     近況ノートすらずっと更新できていなくてごめんなさい。  日本人がなぜ無宗教を気取るのか、を、「正義とは何か」と絡めてまとめようとして、  んで、度ツボにはまって「これじゃ伝わりにくい」「これじゃ説明になってない」と自己だめ出しをしているうちにかけなくなってしまいました。  簡単にいえば、「大災害で風土が変わりかねない日本では『特定の考え方だけが正しい』では生き抜いてこられなかった」  「だから『話し合い』と『どこかで落としどころに合意する』が半ば正義の定義だった」  そして自然崇拝の一環としての先祖霊を高く敬う社(やしろ)ができ古事記、日本書紀によって神々の体型がなあんとなく形作られた。  そこから先の「神々萌え」については日本人の独擅場だった。  仏教の仏様も、ヒンドゥー教の神様も、china大陸の仙人も、皆等しく「八百万の神様」だった。  仏教とはもともと「試練教」で、試練を超えた悟りの先に六道輪廻から超越した仏の世界に入ることで、もうグレードダウンはなく高みへ、さらなる高みへと清められていくという、「精神修養」の論理だったのに、日本人は簡単にねじ曲げた。  「南無阿弥陀仏」と唱えた数だけ天上へと進みやすくなる、とはいうが、阿弥陀如来にお願いするのに数を唱えなければならないというのは、本当に阿弥陀如来のすごさを理解出来ていないのではないか。  阿弥陀様ほどの如来であれば、一言唱えさえすれば、我々衆愚の願いを聞き止めて下さる。逆に修行に凝るということは、阿弥陀様への仏徳讃嘆から離れる行為だとした。  そして坊主が妻帯することも、肉を喰らうことも禁忌としなくなった。  そしていつの間にか仏式で葬儀をおこなえば「成仏」した事になり、  さばかりか昨今では葬儀に坊主を呼ぶことすらしなくなっている。  その上で火葬された遺骨、遺灰を壺に収め、墓にうずめ、「これで故人も成仏したね」とひとしきりのしきたりを守った気になっている。  聖徳太子が広めた仏教は、こうして一五〇〇年あまりをかけて、八百万の神々に習合せしめた。  太子よ、主のはかりごとに日本人は染まりませなんだ。  イエスを名乗る救世主も、日本の漫画文化にかかれば、ガウダマ・シッダルタとともに八百万の神々の一柱の扱いに落ちる。  ムスリムたちは未だ日本を弁えぬから、日本にムスリムの教えを持ち込もうとしているが、「神」を無理に押しつけられたときの日本人の覚える屈辱心と怒りを知らぬからであって、すこしずつ日本を知るうちに、日本で奇行をおこなうことを伏せるようになるだろう。  結局、日本人にとっては一つの宗教に囚われることは「私は重大な環境変化があっても、適応せず我が道を我が儘に進みます」という宣言であり、「無宗教です」という表明は、  「神は八百万の数ほどいるので、どれか一つの神にのみ仕えるのではなく、どのような神様も等しく(神道的に)大事にし、そしてその場、その状況に合わせて周囲と差し障りないよう、他人のいやがることは避けて、隠して、生きていきます」 という表明なのだ。 日本人を単なる従順な存在として捉えるべきではありません。 本当に洗練された日本人は、多神教的な信念を捨てていません。。 We should not perceive Japanese people as merely obedient beings. Truly cultured Japanese individuals do not abandon their polytheistic beliefs.  深い意味はないけれども、日本語で日本人が言っても意味のない言葉なので、さしあたりchat-GPT先生に例文を食べさせた。  英文についてはどこまでそれなりの意味を纏っているかは知らん。  いずれにしても、先祖零崇拝と、自然物崇拝の混交した「お天道様が見ている」信仰を我々は捨てることができない。  寡聞にして「私は洗礼を受けた救世主教徒ですから」という日本人で、「いただきます」をいわない人に会ったためしがない。  救世主教では食物は悉く、神から与えられた物質に過ぎないが、日本人はその食材がかつて健康に生きていたことを捉え、かつ自己よりも一段目上の存在として「(あなたの御霊を)いただきます」と唱える。  いただきますをいわずに食事を始める国の方が多い。  というより、そんなこと言わないのが当たり前、いってもせいぜい「救世主様の祝福に感謝を」とあくまで自ら信心する神に祈るのであって食材に祈るのではない。  日本人は、如何な救世主教徒といえども、「いただきます」もいわずに食事をするのは、何とも不作法な気がしてならない。  なぜか、  それは私達が日本人だからだ。  日本人は確実に一つの宗教体系に属している。  山本七平はそれを「日本教」と名付けた。  それすら嫌う人に、「日本教」というとらえ方を執拗に説くのは無粋というものだ。  ラ・ロシュフコーはいった。「何人も太陽と死を見つめ続けられない」と。  (日本)人は自己の死と直面したとき神に祈る。  死を直視して受け入れることができずに、死から目を離す先として神を求める。  自分が「日本教徒」であることを頑なに否定する人ですら、いや、そういう人ほど、自らの死に当たっては神に祈る。  簡単にいえば、「大災害で風土が変わりかねない日本では『特定の考え方だけが正しい』では生き抜いてこられなかった」  「だから『話し合い』と『どこかで落としどころに合意する』が半ば正義の定義だった」  それが大人であり、いつまでも不満をぐちぐちたらすのは女子供のすることとして捉えられた。  この場合の「女子供」とは「大人の庇護下にあるもの」の意味で特別女性を抜き出してけなした言葉ではない。  現に自ら話し合いに参加し、落としどころを提案し、周囲の意見を導いていく女性を「女」扱いする向きは少ない。  少なからずいるが、それは結局日本人としての教養不足の「子供」である。  年を取っただけでは「大人」にはなれない。  先人の歩んできた道を俯瞰し、己を客観視した像と見比べて、己のルーツ(根源)が那辺にあるかをぽつり、ぽつりとプロットして、そしてできた図形の歪さを弁えて、弱みは弱みと認めて他の力を借り、強みは強みとして発揮して他の力となす。  そういう人を大人といい、そういう大人達の会議を「議会」という。  残念ながら日本は、その意気をアメリカに挫かれ、赤化の工作員に蹂躙されたままではあるが、それでも「大人」は存在する。  その大人の決めた法理に従えば国は栄え、内憂外患の悪意が決めた法理に従えば、国はやがて滅びるだろう。
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  • 2023年11月19日

    プルートゥを見た。

     手塚世界観を浦沢直樹の絵柄にて動画で見られるという豪華な作品。  まだ一週目しか見ていないけど。  もちろん、色んなテーマに焦点を当てて、色んなことを訴えていたのだと思う。  それは、分かる。  ただ、最後の締め方があれでは、「正義の心を持たないものは、必ず滅びるんだ」というような、戦後黎明期のモノクロアニメの様な、もの凄く平凡なメッセージを8時間以上の時間をかけて披露されたような、何とも無様な締め方を見せられた気がした。  まだ一週目しか見ていないけど。  結局、売れた作家の作品を、売れた作家がリメイクして、そして売れるような商品は、  どこかで見たようなエンディングで、  どこかで見たようなテーマでまとめて、  そうして終わっていくのだろうか?
  • 2023年11月19日

    【今更】【超今更】ツイアカを……

     ちょっと前に勘違いからtwitterを始めた。  始めたうちは使い方も良くわからず「これの何が楽しいんだ」と思っていた。  ホントについ最近なんだけど、「あ、好きなGL漫画の先生たちをフォローできるじゃん」と気がついた。  で、何かコメントするといいねをもらえたり、一言コメントもらえるだけで、一人で尊さに萌えタヒにしそうになっていた。  こちらの近況ノートに興味がなくなったわけでなく「正義」について空気やコトダマに触れて書こうとすると、どうしてもまとまらなくてなかなか更新できないでいた。  でも、twitterの方は短くコメントを上げられるから、気がつくとずいぶん呟いていることに気がついた。  twitterでは、ここでは頑なに触れていなかったもう一つの趣味とGL愛丸出しなんだけど、近況ノートを更新できないでいるくらいなら、ツイアカを紹介するのも一つのコミュニケーションの在り方ではないかと思い始めた。  そういうわけで、今更だし、向こうは向こうで煩悩丸出しだけど、ツイアカを上げてみる。  「他の人の見ている掲示板で、このことは聞きにくいな」みたいなこともDMもらったら答えられることもあると思う。  なので、よろしくお願いします。
  • 2023年11月1日

    天才への報酬

     アニメ「PLUTO」を観ている。  まだ二話目だけど。  浦沢直樹節も利いていて、すごくいいアニメだと想う。  死後尚その作品が愛され、リメイクされて蘇る。  凄く、 羨ましい。
  • 2023年10月22日

    あの旅の真実。【再掲】

     ※この駄文は、見落としがちなメディアリテラシーを指摘する役割に意味がある、と考えるため、表示順位が下がってきたら再掲します。 --------ここから再掲--------  CXは僕の著作者人格権を侵した。  そのことについて何度も文書で、文書による回答を求めたが、ついぞ回答はなかった。    この駄文の結論だけ先に書いておく。    TVはニュースも含めてその動画の全てが作為的な作り物、いわゆるやらせの塊だ。    ヤラセを前提とした情報リテラシーも持ち合わせないまま、明々白々な違法行為をしたわけでもない人々を、TVが悪しく取り上げる様を信仰して、悪し様な罵り愚痴をネットに吐き出すのはもってのほかだ。    二十一世紀の一般市民が持つべき情報リテラシーが        第一条 うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい        だとするならば、次ぎにふさわしいのはこれだ        第二条 新聞・ラジオ・TVを問わずメディアは、作為を持って報道を「造る」から、ヤラセを前提に評価をされぞかし。  あの旅で僕は詰まらない駄文を書いた。  それがさらし者になったのは当たり前に自業自得と思っている。  まあ、未だに駄文を書いてるのだけど。  当時の駄文で、僕は初期の文章から登場人物名を変えて後半をまとめた。  その方があの旅に向いていると判断したからだ。  CX直のプロデューサーは、変更前の登場人物名を気に入り、そちらを使えと、指示してきたが僕は断った。  そして原稿用紙には、あたらしい登場人物名で統一して提出した。  その後も製作会社とのやりとりがあり、ヱ○スの駅で待ち合わせをした。  もう、何の用事だったかは忘れたが、用事を済ませて帰ろうとすると、製作会社のAD氏から呼び止められた。  「前のキャラ名何だったっけ? 番組はひとりで造るものじゃないからさ、間違えないようにみんなに周知したいから、念のためここにメモしてよ」と、白紙の原稿用紙を突き出され「絶対間違わないでくださいよ」といい残して旧登場人物名を書き込むとその場を去った。  そして、その一書が、上手に切り張りされて番組で使われた。  それは違うと思ったし、他にもおかしな構成だったので「このシーンは明らかに前後の画像が別の日でこのような編集はやらせじゃないか」「参加者の人格を歪めた番組づくりじゃないか?」と質問状を送り、ついには役員にまで送ったが、帰ってきた文章は「やらせとは認識していない」とのことだった。そして僕の著作者人格権の同一性保持権侵害についてはコメントすらなかった。  あの旅では日記を書いてそこで心情を語る場面があるが、スタッフに提出する用とは別に、僕はその日その日の詳細をまとめた日記を持っている。  それは走り書きなので僕にしか読めない。  ただ、労働者生活を隠居した後、過去の記録のデジタルタトゥーとして書き起こし、後世に残すのも一興かと思っている。  そこには、出納記録もあり、いつの昼食、夕食の出費で、幾ら使ったかが正確に記録されている。  知っているだろうか? 一行飛ばしのスタッフ提出用の日記に「最近、○○君とは話が合う。仲がいい。でも新しく入ってきた女子の◇◇とは話が合わない。なんだあいつは?」と書いたものが、番組では「最近、新しく入ってきた◇◇と仲がいい」とかってにつぎはぎされて放映される事実を。  知っているだろうか、2週間前後の撮影で約400時間分の録画が行われ、それが1ヶ月にわたって放映されるも、VTR部分は17分程度で、前回の振り返りもあることから、新しい動画は14分もないということを。そしてそれだけの素材があれば「新メンバーを悪者にして」「卒業間近のメンバーが旅を通じて成長を遂げたような」14分を作ることなど造作もないことを。  知っているだろうか、そうやって、なかば嘘のストーリーにより、モノを知らない大衆から総批判を喰らい、涙に明け暮れる日々を過ごした女性参加者の多さを。  知っているだろうか、入出金をしっかりと管理したが故に「お前のいるときは『旅の資金を使い切ってしまい何とかする』というイベントが撮れなかった」と帰国後に渡ってなじられることを。そしてみんなが満足に夕食を食べられるように配慮しつつ旅の資金を管理した結果、「また改めて支給するから、一旦残りを出して」と、折角やりくりした資金を取り上げられることがあることを(そんなことはあの旅の長い歴史の中で僕だけだったらしいが……)。  ヤラセか? と問われることばかりだった帰国後の僕の人間関係。ヤラセだ、といえば伴侶と巡り会えたことも否定すらことになる。しかし、事実か? と問われれば自分の虚像を真実と肯定する事になるジレンマに曖昧な返事しかできない。  制作側に、しっかりしているところがないわけでもない。  知っているだろうか、男性と女性とは、必ず別々の宿に宿泊させられることを。        ある日、スタッフの調整が折り合わず、男女とも同じホテルに泊まることがあった。ホテルというより宿のそれは、雑魚寝をするのに調度よかった。その時も男性と女性の参加者の部屋は最も遠い配置にされ、かつ入り口に男性出演者の部屋では男性ADさんが、女性出演者の部屋では女性のADさんが雑魚寝するという念の入れ方だった。    僕の旅路では、特に女性参加者に、恋愛に真摯に取り組む姿勢の人が多く、スタッフから旅に課せられたルールを守る人がほとんどだった。その点の真摯さについては、女性参加者全員だったといっていい。でも、歴代には手癖の悪い参加者がいたらしい。僕は自分の恋愛が忙しい三~四年程、過去現在未来のメンバー総集合の忘年会の幹事をしていたことがある。だから「らしい」とは書くが、当然当事者たちから聞いたエピソードであり、そして当人の態度にもめんどくさい思いをさせられた当事者でもあるから、その肌感覚から間違いないと思っている。  その女性は、告白の前に相手の気持ちに気づき、スタッフのいないところで「断るよ、だって旅続けたいもん」と勝手に振った。振られた男性は告白を取りやめることをディレクターに伝えた。        知っているだろうか、およそ一カ国の収録をひと班の制作陣が担い、最低一回の告白を作ることが求められていることを。そうして、テンポよく放送を回していたことを。        当然、告白を練り上げてきた制作陣は激しい怒りを示した。明日はあなたのリタイアシーンを取るから、と宣告された。その女性参加者は打算ずくだったのだろう。リタイアエンドならカップル成立でエンドを迎えた方がいいと考え「やっぱり自分からいきます」と答えを切り替えた。帰国後もあーだこーだあったらしいが詳細は知らぬ。ただ、男性側が一途に好きを貫き通したとは聞いている。男気のある方だったのだろう。        知っているだろうか、あなたが涙しながら見送ったそのカップルが成立した動画が撮影された日は、どんなに短くても撮影から四ヶ月、長ければ半年も前の出来事だということを。あなたが翌日、友人と、同僚と「昨日の番組感動した」と語り合っているとき、当人同士はとっくに分かれて、新しい相手を見つけているということを。        これは全くの後日談となるが、僕が幹事を務めた忘年会で、その女性は最初、欠席を返事してきた。曰く付きの人物なので、来ないことにほっとした。ところが当日「近くまで来たから」と勝手に顔を出してきた。そして「すぐ帰る」というので仲間の輪に混ぜたが、いつの間にかドリンクを頼み、食事も取っている。お店の方が「一名増えられましたので、料金をちょうだいできますか」と尋ねてくる。そこで僕は「参加費、払うか帰るか決めて」と伝えた。するとその女性は舌打ちを添えて「じゃあ払う」といってきた。何とも浅ましいと思ったが、まあ二度と会うこともあるまい、と受け取って処理した。    旅を続けることに固執する姿勢は、仲間内から軽くみられる。    そりゃそーだ。男性四人、女性三人の組み合わせで、旅をしながら恋を見つけるコンセプトだ。    旅だけしたいんなら勝手にやってろ、って話しだ。        制作陣も口だけはちょーしイイモノで、合流したばかりの参加者には「自由に過ごしてご覧」「旅を続けたいからと告白を断る子もいるしさ」とかたる。しかし一旦、長く旅してきた子の告白対象となったら態度もガラッと変わる。「もし、いま、誰かから告白されたらどうする」「断っちゃうの?」「誰から告白されたら断るけど、誰から告白されたらOKとかある」「なんで? 旅を続けたいから」「この旅は恋愛が中心だから」「告白を断るような子は恋愛に向き合えない子だから、と判断すればリタイアしてもらうこともあるかも知れないよ」と長く旅をしてきた子の恋愛を成就させるよう、様々な働きかけをする。なぜなら、長く旅してきた子は、これまでの悪印象の操作を裏返せば、好印象に変え、視聴者の目を欺くことなど造作もないし、その上でカップル成立となれば視聴率も稼げるからだ。    最終的には、本人の意志で受ける、受けないが決まるから、そこに嘘はない、ともいえる。    しかし、そこまで作為的な作成側のリーディングがあって成立したカップルに、どれほどの真実の愛があろうか。    その多くが、続くはずがない。    それが、結婚カップルの少なさに比例している。        知っているだろうか? 桃色の乗り物に乗るときの座席位置は、朝からスタッフに決められているということを。そして一日のあいだになんども組み替えられ、全員の異性と隣になることが決められていることを。つまり、誰かが自身の意志で、誰かのとなりに座るなどということはほとんど無いということを。        知っているだろうか、人気の少ない景勝地で語らう場合も、一通りのローテーションがあり、全員が異性の全員と語らう時間を持つことを。これは、誰かが自身の意志で、誰かとの語らいに向かうということは、事実上ほとんどあり得ないという意味であることを。        これは知っているひともいるだろう。七人の旅が、実はその数に倍するスタッフの同行により二十人超の大所帯となっていることを。        知っているだろうか、背中を向けて語らうカップルの音声が、片方は風切り音がノイズとして混ざっているのに、もう片方はクリアな音声である理由を。ここまで読んでくださった方にはもう、自明の理だと思う。その二つの音声はその二人が背中合わせに語らっているときに集音されたわけではない、別々の日の別々の音声を組み合わせた会話だということを。        知っているだろうか、最後部の三人掛けのシートに、たまたま同じ配置、同じ服装で座ったときの三人が、違う日にも同じ配置、同じ服装で座っていた時をブレンドして、全く存在しない、まるで情緒不安定なようなシーンが作られたことがあることを。これについてはスタッフの細やかさと手だれた編集に舌を撒かないわけにはいかない。そして、画面に映り込む、中段の席に座っている人物をよく見れば、違う人物が座っており、違和感を感じてもおかしくない。しかし視聴者の視線は最後部の三人掛けの席にしか向かっていないので、気がつく余地がない。        最後に、知っているだろうか、告白の言葉を交わす前から、お互いがお互いを「この旅を終わらせる唯一の相手」と心に決めたときから、スタッフによって、わざとすれ違いのシーンが作られることを。二人で帰国することで知った、「あの時のあれはどうしてなの」「あれはディレクターさんの指示で……」の数々があったことを。        これらは全て、制作陣から視聴者へのプレゼントこと、創意工夫による恋愛のおもしろさの演出であって、なにも悪意からなるばかりのことでは無い。    しかし、そのエピソード一つ一つを自分の行為かと問われると、少なくとも「あんな事実はない」と答えるしかない。    すると次ぎに来るは「では、ヤラセか」と聞かれるので、もはや答えようが無く「ヤラセだ」という。    すると次ぎに来るのは「ほんとはお前はあの相手と帰国したわけではないんだろう」と掘り下げられる。    いや、「ほんとに好きで今つきあってるんだ」と答えても「それもヤラセでそう答えろって指示なんだろ」と聞かれる。    もう、答えようがない。        長男に恵まれたときもそうだ。    僕は、制作側の「ほら、ヤラセじゃないでしょ」という文脈に使われることに辟易していたのと、その子がやがて大きくなったときに「例え親とはいえ、自分の映像を勝手に使って欲しくなかった」という反応があった場合に取り返しがつかないことになると思い、制作側に伝えることを反対した。妻は自分の唯一の大冒険であり、生涯の思い出となる旅に、幸せの報告をして何が悪いのかと泣いた。泣かれれば男は弱い。結果として、一枚の写真を差し出すことが折衷案になった。    事ほど斯様に、同じ参加者といっても、一人ひとりの受け止め方も、振り返り方も違う。        ただ、作為的に作られている一シーンを取り上げて、その人の人格を否定する行為は、一般人の参加者でも、職業タレントでも、臣籍降下した一般人でも、臣籍降下が予定されている皇族でも、それは等しく違うと思う。    ここに提唱したい。        マスコミの報ずるところは、まずヤラセありきで受け止めるのが、当代日本人に求められる情報リテラシーの姿だ。        急に昔の事に飛ぶが、現毎日新聞は戦意発揚の美名の元に、二人の日本兵が中国大陸で自分の愛刀一振りを頼りに百人斬り競争を行ったと報じた。    それは現場を知る数多の日本兵にとってヤラセであることは明々白々だった。    銃後の日本人は「弱い中国兵相手にどんどんやれやれ」と受け止めた。    戦後の中国の戦犯法廷は「屈強な中国兵に向かって百人斬りなどできぬ。無辜の市民を虐殺したな」として死刑を宣告した。    執行までのあいだに、戦犯とされた二人は、現毎日新聞に記事が創話であることを明かして欲しい旨手紙を書いた。    人の命がかかっている手紙だった。    現毎日新聞から中国国内の戦犯法廷に出された書状には「当社は虚偽をしたためるに非ず」の旨のひとことだった。    二人は現毎日新聞の非情に泣いた。    そして刑場の露と消えた。    このことは山本七平の著書『私の中の日本軍』に詳しい。     「この事件は、今では、中国語圏、英語圏、日本語圏、エスペラント語で事実になっている。しかし、明らかに記事の内容自体は事実ではない。従って、これを事実と報じた人びとは、まずそれを取り消して二人の名誉を回復して欲しい。独裁国ですら、名誉回復と言う事はあるのだから。そして二人の血に責任があると思われる人もしくは社(東京日日新聞現在は毎日新聞=筆者)は、遺族に賠償してほしい。戦犯の遺族として送った戦後三十年はその人々にとって、どれだけの苦難であったろう。  人間には出来ることと出来ないことが確かにある。しかしこれらは、良心とそれをする意志さえあれば、出来ることである。もちろん私に、そういうことを要求する権利はない。これはただ、偶然ではあるが、処刑された多くの無名の人々の傍らにいた一人間のお願いである。」(山本七平ライブラリー『私の中の日本軍』P247)→『「百人斬り競争」事件について日本人が知らなければならない「本当」のこと - 渡邉 斉己 アゴラ 2012.02.04 01:08配信』より    この事件は、二十一世紀になってから元毎日新聞の虚報であるとした裁判が行われたが、判事による数々の裁判進行妨害により、原告側の敗訴が急に決まった不自然さがある内容だった。    マスコミを侵している外患という毒は、法曹をも侵している。    https://www.senyu-ren.jp/100/002.HTM        そろそろ結びに入る。     TVはニュースも含めてその動画の全てが作為的な作り物、いわゆるやらせの塊だ。    ヤラセを前提とした情報リテラシーも持ち合わせないまま、明々白々な違法行為をしたわけでもない人々を、TVが悪しく取り上げる様を信仰して、悪し様な罵り愚痴をネットに吐き出すのはもってのほかだ。    二十一世紀の一般市民が持つべき情報リテラシーが        第一条 うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい        だとするならば、次ぎにふさわしいのはこれだ        第二条 新聞・ラジオ・TVを問わずメディアは、作為を持って報道を「造る」から、ヤラセを前提に評価をされぞかし。        ただ、作為的に作られている一シーンを取り上げて、その人の人格を否定する行為は、一般人の参加者でも、職業タレントでも、臣籍降下した一般人でも、臣籍降下が予定されている皇族でも、それは等しく違うと思う。    大手メディアを侵す外患は、皇統の継続を厭む。    当然だ、二千六百八十三年の長きにわたって、男系の皇統を紡いできたことが、日本を世界最古の国家たらしめる確たる証拠だからだ。  これを侵せば王朝がかわり、日本は改めての新参国となる。  「長幼序有り」の儒学思想にとってこれほど都合のいい形はない。    ニュースは嘘を語り、嘘を隠して国民を欺く情報源。裁判の判決の結果ですら、判事と検事の心情に揺り動かされた妥協の産物。    そしてバラエティなどは、ヤラセにヤラセを重ねた、と形容しても表現が過多ではないほどの作り込みによって捏造された、この世に存在しないストーリーであることを前提にみなければ、        あなたが非難しているその人は、あなたが「斯く為る行為こそがふさわしい」と唱えている、その行為の体現者かも知れないよ。    そんなこと知らなかったでは許されない、だって人の命に関わる事なんだ、いわれのない誹謗中傷は。    だってTVで放ってた、という言葉は言い訳にできない。    なぜならテレビの動画はニュースを含む全てのカテゴリにおいて、作為と悪意に充ち満ちている事を、ここで十分に語っているのだから。        否定するなら同じ体験をしてからにされぞかし。
  • 2023年10月22日

    vivyを見た

     作り手の素人の分際で小生意気を申せば「なかなかよい作品だった」という気がする。  主人公の行動原理が明確なのがよかったのだろう。  それに反する行動をするときの主人公の葛藤が如実に書き出されていると思った。  それと、これは笑っちゃう要素でもあるんだけど、時々ある登場人物のトメ画が、やたら綺麗に書き込まれていて、凄く目を奪われるシーンだった……、その後の画が通常運行なのに作画崩壊と錯覚してしまう難点はあったが。  一周目して得られた感覚は、何となくギルティ・クラウンを思い起こさせる。  何が似ているとかそういうのではなく、なんだろう、なんていうか、「ああ、そっかあ……」という感覚が似ていると思った。  そしてその感覚はよい作品をみたという感覚に極めて近かった。  なので「vivy Fluorite Eye's Song」お勧めです。
  • 2023年10月19日

    ○○○郎さんから怒涛のハートが!

     そりゃまあハートが頂けたらうれしいです。  ある意味そのために上げている訳ですし。  でも「アデル・ヴォルフ」に対して○○○郎さんからいただけるハートは緊張感に溢れているというか、高揚感を憶えるというか。  「このユーザー名を名乗ってる方のお眼鏡にかなうなら、拙作も捨てたものでもないのかも」と思わせてくれるようなお名前なのです。  まあ、ここでこんなことを書くこと自体、ハートをおねだりしているようなもんですが。  せめて最後までご読了頂けたらありがたいなあ。  勿論、広く皆様からハートや三つ星を頂けることを願って止まない日々であります。
  • 2023年10月18日

    幻○舎から電話があった。

     落ちは「240万円ある?」ってはなし。  大昔、撫子小唄、を幻冬舎の賞に出したことがある。  自費出版がらみの企画なんだけど、勿論選に引っかかることなく、僕としてはそこで終わりだったんだけど、後日、自費出版しませんかコールが入ってきた。  曰わく「編集者付きできちんと体制をとります、付いては200万ほどかかるのですが」と、そんなお金があったら苦労しませんよ、とは言わずに丁重にお断りした。  昨日の寝支度のタイミングでかかってきた電話も、幻○舎からと分かった時点で、また200万の話かなあと思っていたので聞いてたら「240万円」の話にステータスアップしていた。  向こう様が「我々が一番大事にしているのは、ご本人の『絶対本にしたい』という強い意志です」とおっしゃるので、本にしたいという願望はかつてから常に持っています。  今でもその気持ちは変わりません。  ただ、  これはその場ではバルス並みに何もかも台無しになると分かってて続けた。  自宅の雨漏り対策のリフォームで数百万のローンを組んだところなので、240万なんて大金用意できません、とね。  そしたらそそくさとクロージング・トーク。  ここで仮になけなしの240万円が僕の手元にあって、それをはたいたらどうなっていたのだろう。  きっと後から「イラストをつけた方が売れる、イラスト代50万」とか、出費がかさむのではなかろうか?  世の中には自費出版から芽を開いた作品もある。  人生の大事な選択に失敗した気もするが、まあ、それでこそ俺だからwwww
  • 2023年10月11日

    日本人の良識派は原爆に恋している

     twitterであげた記事のまとめなんだけど、日本人は概ね、原爆に放射性物質に放射線に、過剰に拒否反応してみせる。  核戦争が起これば世界中の生命が失われると思っている。  核戦争で、すべての原爆が爆発したら、多分人類の経済活動は壊滅するだろう。  でも、生物は滅んだりしないし、わずかばかり残った人類もサバイバル生活を始めるだろう。  そう、人類だって絶滅しない。  昭和20年8月の原爆空襲から78年、広島の医師は広島の平均寿命を「全国的に低い傾向にある」、との声明を排泄しているようだが、フツーにクグレば、2021年10月28日に発表されたと思われる数字で女性の平均寿命が87.33歳で、全国の県で10位に着いている。 2023年9月15日の広島県健康福祉局発表では、下記のような情報もある。「百歳以上高齢者の数は、今年度は2,738人となった。 これは、敬老の日が制定された昭和 41年の約171倍、10年前(平成25年)の約1.6倍である。 また、女性は、2,440人で、全体の89.1%を占めている。」  おいおいちょっと、ちょっと待ってくれよと。原爆が落とされたらこの世は消滅するんじゃないのかよと。  原爆が落とされたら、死の大地になるんじゃないのかよ、と。  実はそんなことはない、原爆が落とされても2~3週間程度は放射線が危険なレベルになるかも知れないが、それも直に落ち着く。  今、広島をピカッてる、なんて世迷い言、狂人のごく一部の人しかいわない。  ヒロシマ・ナガサキは毎年各種媒体で大仰に騒がれ、崇め奉られるが、同じ昭和20年は3月10日に行われた東京大空襲のことは、ほとんど無視されている。  東京大空襲忌が3月10日だということを、この駄文で知った向きもいらっしゃるのではないか?  8月6日が何の日か、8月9日が何の日か知らないと答えると、無教養な非常識人と目を顰められることは有っても、3月10日が何の日か答えられなくても、宜なるかな、とおいておかれるに過ぎない。  一晩で無辜の東京市民11万人超が死者か行方不明者に変わり果て、それに並ぶ負傷者を出し、老いも稚きも無差別に焼き殺した大殺戮をすっかり忘れ去って平然としている。  しかも原爆空襲とちがい、たった一機の爆撃機が訪れての行為ではなく、のべ300機以上の爆撃機が、敢えて低空を飛び、丹念に丹念に焼き殺した、組織としての行為である。  いかな人間の行為といえども、差別心に捕らわれてでも居なければ、容易にはなし得ない虐殺である。  当代人が良くも忘れ去らしめたものだと、天晴れに思えるほど酷たらしい虐殺だ。  それでも誰もが3月10日を悼まない。  恋愛で、愛慕の反対は憎悪ではなく無関心だといわれる。  日本人の気質で行けば、暦が一環りした60年ほど前のことともなれば「過去のことは水に流して未来を生きよう」と態度を改めるのが美徳である。  現に東京大空襲はそうやって風化せしめた。  なのに原爆についてはいつまでも何時までも取り上げる。  何故か?  それは日本人の良識派とされる人々こそ、その猛烈な破壊力、破滅力に狂おしいほど恋い焦がれているからだと見れば、至極簡易にその謎は解ける。  東京大空襲は恋想われるには足らなかった。「B-29を300機以上運用すれば、愚鈍なアメリカ人でも虐殺はできて当然」なのだろう。  はぁ、とため息しかでないが、たった単騎で訪れて街を一発で焼き払う原爆は、我々がどうやっても手に入れられない。手に入れられないからこそ、狂おしいほどに愛おしい、そういう存在なのだ、と考えれば、同規模且つ首都で行われた虐殺は忘れ去ってもヒロシマ・ナガサキは忘れられないのだ、と説明がつく。  とうとう気でも狂ったか、と罵られるなら光栄だ。  科学的にも考えれば、最も単純な公式で解決できる事象は、その世界ではそれが正解なのだから。  このような考え方が、ひとつのありきたりの考えになるまでには、人は数世紀の年月を必要とする。  そういう生き物なのだから。  僕は核武装や原発の積極的活用こそが、この国の未来をよりよいものにさせると考えてる。  それと同時にヒロシマ・ナガサキ、フクシマの経験から、放射性物質が決して制御できないものではないことも「知っている」。  だから何度でもいうよ。  核武装と原発、原子力艦艇の装備という、「核の平和的利用」は本当に核を科学的に理解したときになし得、それによってこの国は三度世界的栄光に輝く、と。
  • 2023年10月7日

    ホントに分からない

     twitterの何が楽しいのか、ほんとに分からない。  でもま、なんとなくここの近況ノートよりは更新している。  変なタグをつけているせいか、なんか同じ方がお一人、つどつど良いねを下さる。   でも、それ以上でも、それ以下でもない、不思議な関係。  ご興味のある方は、検索してくださるとありがたい。
  • 2023年10月6日

    citrusが読めなくなった……、重症だ!

     鬱だからといって、自分で自分の状況なんて分からない。  何度か繰り返しているけど僕の鬱は、平日の仕事の時はある意味何ともなくて、休日のプライベートの時に重くなるタイプだ。  平日の仕事の時というのも、あくまでオフィスに出る必用があって、在宅ワークなんかしたら、休日同様、体が動かなくなる。  オフィスに出れば一日働けるんだから、我ながら「社畜化したホモ・サピエンス」だなと思う。  休日でも、特に午前中がやばい。  先日も、別の趣味のある工程(400→600→800とかそういう奴)をしていたら「この工程の何が面白いんだろう」と思い始めてしまい、もう駄目。  そのまま、たたんだ布団の上に寝転がり仮眠を取ってしまった。  それが、午後になってからまた立ち向かってみると、「こういうコツコツとした作業も楽しいなー」と思いながら作業ができた。  もう、自分でも訳が分からない。  気を取り直そうと、久しぶりにcitrusを開いた。  そしたらなんと「よし、次のページにいくぞ」と気合いを入れてページをめくらないと先に進めないのだ。  citrusなんて何周しても尊かったのに……。  普段仕事に出ている状態じゃ分からない、自分の現在の状態って有るんだな……。
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  • 2023年9月29日

    勘違いから勢いで……

     勘違いから勢いでtwitterのアカウントを作ったんだけど、ナニコレ?  どう使うの?  何が楽しいの?  誰か教えてくれます?  え? GGRKS?  ごもっともで。
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  • 2023年9月27日

    しかしその才能は確かに有った

     ジャニーズ事務所の長年抱えてきた性犯罪が問われるようになって久しい。  もうしばらく先には社としての(?)公式見解も発表されるらしい。  少なくとも一定以上の年齢の人なら30年少し前にあった報道にふれてもいよう。  「どうでもいい」「芸能界なんて元々性産業の延長線」「喜多川が死ぬまでこれ以上の深堀りは無いだろう」  そんな感覚が支配的だったことも知っておろう。  そこそこの人気者たちは「知らなかった」「関係なかった」と口をそろえるが、被害にあってないはずがない。  金勘定で知らぬ存ぜぬを決め込んでいるんだろう。  そんな感染症の危険がある気持ち悪い話も視点を変えると、ひとつ面白いものが見えてくる。  極度に悪質な稀代の性犯罪者、喜多川の選んだ悉くが世の若い女性に受ける容姿だったということだ。  奴の目は、欲情が選り好みをする女性の「目」だったということだ。  奴がもし女性に生まれていたなら、そもそもこんな歴史はなかったかもしれない。  性的多様性なんて認める必要はないし、股間のあるなしで性区別をする以上の対策なんて必要ない。  「そんなことはない性的少数者の権利拡大は21世紀の今だからこそ取り組むべきだ」というなら、奴の仕出かした数々の虐待も含めて、奴を愛してやるが良い。  哀れなのは被害者だが、奴もまた憐れよな。
  • 2023年9月24日

    日本は儒教の、朱子学の国ではない。

     youtubeのショート動画で、ロシア人の奥さんを持ったウプ主が、義母を日本を招待したところ、首都高の代々木の辺りで「あの赤い旗の建物は何?」と聞いてきたので「ああ、日本共産党の本部だよ」と応えると、義母さんは驚いて「えっ、日本では共産党は合法なの」と尋ねてきたという。  マスコミや活動家は「外国を見習え」という台詞が好きだが、外国のこういう面は取り上げない。  とある動画のコメントで「法律で韓国人と結婚してはいけない国があります(フィリッピン、カンボジア、ベトナム、キルギス)どうしてかは自分で調べてみて下さい。」というものがあった。  九月一日は防災の日であって、朝鮮人虐殺忌ではない。  そもそもそんな事実あり得ない。  公式の記録によると朝鮮人の被害者が二百三十三人有ったというものはあるらしい。  数の大小じゃない、という向きもあるが、今の千葉県野田市では訛りの強い集団が朝鮮人と勘違いされ、九人中五人(?)殺害される事件があったという。  日本人にも流言飛語の被害者がいたといいたいわけではない、『言葉が通じない」=「怪しい」「危険だ」という認識を持たれていた方にこそ問題があったのだといっている。  皆藤愛子がいいともで、韓国旅行中怖い事件に巻き込まれそうになったと語っただけで、CXの朝鮮人スタッフに平手打ちされた、という写真が出回っている。  動画ではないので本当のことかどうかは分からない。  ただ、こんな動画にまとめられるほど、彼の国の男尊女卑意識は救いようがないレベルだと知れる。  https://www.youtube.com/watch?v=UBGK0va3_lk 
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  • 2023年9月24日

    【生存報告的な……】GAMERA -Rebirth-を見た

     仇側の怪獣のデザインとアクションがとにかく格好良かった。  良かった点はそこだけで、後は色々とお痛な部分もあった。  wikiで見て知ったけど一九八九年の過去が舞台だとは最初思えなかったので、フツーに「スマホ調達しろよ、マジで」としか思わなかったし、人物の描画エンジンがサイボーグ〇〇九と同じで「このエンジン、そないええもんか?」と思ったし、髪の毛の描写に手を抜いているので、どいつもこいつも色とりどりのヒルを幾つも頭に乗っけている感じで気持ち悪かったし、初動で在日米軍が身を乗り出して、自衛隊側は静観するばかりというのが、僕の中の国際世論的にちょっとあり得ないと思えたし、(時代背景を知らなかったので)「なんでヒトマル式やせめてキュウマル式じゃなくてナナヨンなの?」と違和感の方を強く覚えたし、なんで友達同士だけで数年間掛けた大金をかつ揚げされた、仇敵というべき米国籍不良少年と仲間になってんの? と違和感の方が強かったし、とにかく、思うところは沢山有った。  でも、本とクリーチャーのデザインはなかなか秀逸だったし、そのくせアクションは原典の映画作品を超えた見所のあるアクションだったし、物語の展開も、落ち以外は、なかなか見所があったと思った。  なので、「敵の怪獣のアクションを楽しみたい人には絶対お勧めです」と、まとめておきます。
  • 2023年9月15日

    はぁ、週末、ねぇ……

     多くの人に取っては、明日から三日間、長い週末ですよね。  僕自身「アレもしたい」「コレもしたい」といろいろ考えるところはあるのですが、結局寝込んだりして過ごすんだろうなあ、と思うと、今から残念な気持ちで憂鬱です。  月曜からいよいよ外装のリフォーム開始。  残業抑制でこれから実入りが経るのに、ここで中級車並みの出費とか、上様も意地が悪い。  せめて下っ端じゃなければやりようもあるんですが、今の惨めな身分では、残業抑制は井上のボディブロー並みに家計に直結して響きます。  少ない食費しか渡せず、妻には申し訳ない気分でいっぱいです。  10年前、一緒に動いていた人たちで、シタッパーズな方は皆無で、本当に惨めな気分です。  どこでボタンを掛け違えたのかなあ。  でも、週末を前向きに過ごそうという意志だけは心に抱いて過ごしますね。
  • 2023年9月4日

    シン・仮面ライダーを見た。

     仮面ライダーに限らず、石ノ森章太郎の作品の主人公は、悲哀を帯びたキャラクター設定となっている。  だから、本郷猛が葛藤から逃れられず苦悩しているのはいいのだが、  ごめんなさい、テレビとか見ない僕には、マヂカル・ラブリーの野田がプルプルしているように見えて、可笑しくて、可笑しくて。  制作過程では庵野がやらかした噂は聞いていたものの、そしてCGを多用したアクションシーンは、2.8次元的に楽しかったのだけど、それ以上に本郷がヘルメットを脱ぐたびに向こうはプルプル、こちらもプルプルしてしまって、なんかほのぼのとしてしまいました。  いい作品だと思いますよ。
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  • 2023年9月2日

    キャラの奥行き

     前にも書いたかも知れないが、アデル・ヴォルフは、鬱がつづく中で、突然毎週末だけ躁がくるという三ヶ月間に恵まれ、当時十三年前に考えていた基本設定を肉付けし、わき出てくるエピソードを急ぎ足で書き上げたものだった。  アデル・ヴァイスは違った。  躁鬱が終わり、鬱のみの日々に戻る中、自分が散々憧れて読んだガールズ・ラヴを、自作品としても取り組んで見たい、という邪(よこしま)な野望から、アデル・ヴォルフで謎の国となったゼライヒを舞台にした、  王立女子士官学校「アデル・ヴァイス」 の設定に取り組むことになった。  さて、手元には「ゼライヒ女王国の歴史と設定(脳内)」「徹攻兵の設定(Excel)」「輝巳と同じく鬱病の女の子」という要素だけがあった。  そしてはたと困った。  俺、感性の人であって理屈の人じゃねーんだよなー。  物事を小さな単位に区分けして、ロジカルの世界に閉じこめ、その閉じたロジカルの中での論理的整合性を整え、一つの仮定、想定、にくみ上げるならできる。  突然愚痴になるけどさ、会社ってそうじゃないんだよね。  上司の人が自分の感性に、自分の(最近読んだ)ロジックで飾り付けしているのを「そうですね」っていって、その意に沿って推進できなきゃクズ扱いなんだよね。  そして今までずーっと「それだけは馴染めねえ」って蹴っ飛ばしてきたのが僕なんだよね。  そりゃー上席になんて上がれんわ。  だけどさ、完全に空気の読めない僕にはわからんのよ、上の奴の感性がまず「前いってたことと矛盾してんじゃねーか」と混乱するし、「結局、前いってたことと何が違うんだ」と分からないままだし、そこに最近流行の言葉が被さってきて説明されるから「日本語で話せ日本語で」となるんだよね。  そんなわけで、いわゆる「市販の本が読めないから、自分のしっくり来る作品を自分で書いている」僕には、物語の構成も、伏線の張り方も、物語を盛り上げて行く手腕も、日本語のてにおはも、擬音語の使い所も、とんと分からぬ。  「文章論」なる書籍も、幾つもあって反吐が出る。  とはいえ、露伴の様な文章が書けるテクニック本があったら読みあさってしまい、それにならって文章を書くかも知れない。  でも、その時できあがる何かは、露伴を模した劣化コピーの読むに耐えない駄文だろうとも思う。  だから露伴の文章論も読んだことがない。  カクヨムにはよくしたもので、フィルムアート社の物語の作り方のお作法が要領良くまとめられている。  書籍というものは、それが世の中の常識に反して作者の意に沿うように装丁されていないのであれば読んではいけないと思う。  なぜなら、書肆で「流通物」としての大きさになるように、足らないところは盛りパテし、余すところはホットカッターやリューターに回転のこぎりの刃をつけてあっさりカットしてしまうからだ。  黒澤明はプロデューサーが自作を半分の短さにまとめると知って「同じ半分なら縦に半分にしろ」といったらしい。  出版社側の編集の「ここはカットしましょう」「ここはもう一エピソードなりを追加してあと○○文字増やせませんか」などという宿り木に「なるほど、僕にはそういう視点が足りなかったんですね」とか「勉強になります」「ここなら書き足せそうです」と、答えて応えるのが最低限の著者としてのマナーで、それができないものは出版という企画ごと没にされるだけ。  そして本来は十数枚程度のスライドにまとまる「経営理論」「営業理論」を二百五十ページくらいの本にかさましする。  僕は、四十代の入り口ぐらいまで、その手の本を買ったら隅々まで読み通して、内容を把握しなければならないと思っていた。  もちろん、優等生然とその本に書いてある論理を隅から隅まで余すところ無く滔々と語り、議論が停滞したときにも、さっとその知識体系を取り上げ、ささっと板書し、その場全体を一つの方向にまとめられれば、その本の理論はビジネス上の武器になるだろう。  僕にはそれはできなかった。  本なんてコアの部分だけ読んで、それをしっかり暗記して、そしたら残りは読み捨てて、誰かがなにかで口にしたとき、「僕もその本読んだことがあります」と賛意を示せれば十分で、隅から隅まで読み通したから、だから仕事がうまくいくなんてことはないんだ。  その本のコアなんてほんの数枚のスライドで表現できるもので、僕が隅々まで読んでいたのは、嵩まし嵩上げの緩衝材だった。  それが分かった途端、僕は本が読めなくなった。  元々その病気は、ミステリから始まった。  気に入るとマニアックな方向に歩き出す癖があるから、気がつくと不人気作家の作品を読みあさる。  すると「このトリックあの作家もつかっていたな」とかがちらほらする。  そのうちパズルに見えてくる。  前提条件は作家が出す。  そして幾つもの組み合わせがあるうちの、たった一つを答えとする。  それも作家が決める。  作家が出して作家が決めて作家が答え合わせをする本って、読んでて楽しいか?  そう思ったときから、ミステリというジャンルは僕の中で娯楽作品ではなくなった。  僕が好きだったのは剣と魔法の世界の冒険、ファンタジーだった。  しかし至宝「指輪物語」すら、なんか辛かった。  大人になってから読み直したときにはそれなりに楽しめたが、「この文章要らない」「ここのくだりも要らない」「この表現いいね」「こっからここ、何これ?」と書き込みをしながら読んだ。  そしてびっしりと書き込みにまみれたソレは、二度と読むモノではなくなった。  『空色勾玉』のように、国産で光る作品はあったが、ナルニアもゲドも挫折した。  そうして次ぎに、ファンタジーを読まなくなった。  というより、コンピューターゲームによって作り上げられたある種の世界観がテンプレートとしてあり、全てが同じものに見えるようになってしまい、僕の心のファンタジーを求める要素は、暗闇の迷子となった。  SFはもとより駄目だった。  昭和の児童向けのSFとか、酷いものばかりだ。  というか僕の中で早くから、SFとはサイエンス・フィクションの略ではなく  scientific fantasy の略だった。  scientific fairytail の方が妥当かもしれない  それはおよそ科学ではなく、科学的概念を、作者の猿回しの都合のいいように引き倒してこねくり回したなにかで、SFとはジュール=ガブリエル・ヴェルヌしか書き得ないものだと思った。  そして仕事をする中でビジネス書といわれる類の書籍も読めなくなった。  そしてあれだけ好きだった書肆に出入りすることはなくなった。  だから、文章の書き方なんて知らなくて当然だ。  そんなこんなだから、フィルムアート社のまとめた物語の作り方のお作法が、僕には、それぞれの著者の著述のコアの集まりに見えて、なかなか楽しく読めた。  そして三幕構成は「よそ様と同じ金型で?」と違和感こそあるものの「これはこれでよいのでは」という気になり、取りあえずExcelに書き出してみた。  キャラの作り方の要素や、キャラ同士の対立関係の構造など、フィルムアート社のまとめたお作法に沿って考えていくうちに大枠は決まってきた。  「これならいけるかも」と思って書き出したのが「アデル・ヴァイス」だ。  でも、生来人様の言うことに従えぬ達だから、枠には収めきれなかった。  「アデル・ヴォルフ」の時もそうだ。  ドイツでの徹攻兵研究史なんて、戦闘シーンから書き始めて読み手の目を惹こうとした作品では、誰も面白く読めなかろう、と。  でも、ああでもして設定を説明しないと、それはそれで身勝手なふわふわした設定になると思い、あと、「スヴェン」の名前を使いたくて差し込んだ。  それともう一つ、小説の中で設定を披露することで、自分の頭の中を整理し、Excelの表の内容を充実させ、裏打ちのある設定にしたかった。  そして「アデル・ヴァイス」にて、仮想国家? 夢想国家? ゼライヒを舞台にしたのは、「ゼライヒ」という国家に肉付けをするために、絶対に必要なことだった。  王立で、しかも女子のみの士官学校っておかしいじゃん、という可笑しさを、おかしくないものにするには、その国の歴史が必用だった。  それをあのタイミングで差し込むのは、相当おかしいことだったかも知れない。  でも、どこかで歴史を語らないことには、ゼライヒという国家、「ゼライヒという国家、民族の中でこそ起こった同性への恋慕の葛藤」がいつまでもふわふわとしたものになってしまうと考えた。  結局、三幕構成の形は崩した。  出したい登場人物のシーンまでまた一歩近づいた。  そして、疲れた。  それでも、と歩み続けるうちに、(ようやくこの近況ノートのタイトルに辿り着くのだが……、やっぱビジネス向きじゃないわ、俺)元来別のキャラに尋ねるはずだったリーエが、同室のヴィセに過去の話を聞いて、そのヴィセが僕も知らないようなエピソードを語り出し、そして、  あ、なんだかこの子奥行きがついたわ、 と思った。  辞書的な定義ではそれは奥行きではない。  でも、元々用意していたエピソードと比べたとき、元来の案はいささか「チャラ」くて、ヴィセの過去は重みがあった。  結局、正解なんて分からない。  何が正解なんて、そんなもの無いのかも知れない。  でも僕は、リーエがチーヤにどう向き合うのかが知りたいから、 書き続けるよ、この先も。
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