• に登録
  • 異世界ファンタジー
  • 現代ドラマ

エンタメ、文芸、純文学


 これ全部ちゃうねん。

 エンタメは物語を消費して楽しませたり悲しませたりするねん。

 文芸は物語に生きる人々を消費して楽しませたり悲しませたりするねん。

 純文学は人を消費して楽しませたり悲しませたりするねん。

 走れメロスは文芸で、白夜を旅する人々は純文学やねん。ほなら、思うやんな。

 なにをいうんとるんよ? と。

 あんな、文芸と純文学は似とる。自作で例えよか。あても言語化完璧やない領域やけどな、自他境界とか流用して他人は他人により決められんねん、やなくてな。

 もっと本質、根本やな。例えばあてが書いた『宿借り』を例にするとやな。

 サヤの死、ギャルとの出会い、別れ。そのプロットを楽しませんのがエンタメや。

 で、そのプロットを生きた人で楽しませとるのが文芸や。苦悩や葛藤なり、喜びも含めてや。

 ほんで純文学は『サヤの死=悲劇=物語』を経た『人』や。

 違わんやんけ、おもたろ、君。せや、文芸と純文学は紙一重でな。


 あてはあれを『和也の生きた現実』として書いとる。文芸はそこんところがちょいちごーて、物語のエンジンがもっと混ざるもんやねん。

 よーわからへんやろけど、もっと踏み込むとな。

『和也からみた物語』か『和也の生』か、みたいな絶妙な違いやねん。あてもニュアンスに近いもんやけど、これがちゃうねん。

 文芸と純文学は別物やねん。そりゃ描写する事から逃げるな、はあるさかい色々定義して区別は付けられるかも知れんけど。

 本質、源流がちゃうねん。これほんま言語化ずっとできへんねん。あても調べたし、言語学も頭に叩き込んどる。日本語の『ん』は五種類の発音があるとか、発声、子音や母音の話にも頭を突っ込んだし。

 漫画の技術も、心理学も、或いは社会構造やビジネス、なんでも頭を突っ込んで学ばせてもろとる。

 けど、言語化し切れへん。今、あてが納得してるんはこれや。これ以上のやつはでぇへんし、異論や反論が多くなるさかい困っとる。

 どの定義も言い表せてない、けど、やっぱ差異があるって感覚、ニュアンスが言うとる。最早理論的な意見やないけどな。

 あんさんらはどうや?

 

 それと、今日からリライト教室受付予約開始でーす。改めて近況あげますけど、参加したい方はどうぞ。同じ作者、作品でも構いません。

 気楽にね。

 作品の話をして、向上して、成長したい人は大歓迎です。



 反応する壁にしたいだけなら、私に近付くんじゃあないッッッ!(ジョジョ風)

 私は講評者じゃあねえのさッッ!

4件のコメント

  •  純文か、そうじゃないかは偉い人に任せるとして――。
     千古さまのを読んでいて、こういう感じかな、とか思いました。

    エンタメ:
     読者の受け取り方は幅広く、予想外でも楽しめる。プロット主体なので、何を感じても消費は成立する。

    文芸:
     人物や経験の描写に重きがあり、読者はある程度「こういう風に感じてほしい」という設計を感じる。体験の質が揺れすぎないようになっている。

    純文学:
     物語や人の内面を深く描くことで、読者の解釈は自由だけど、解釈が大きく外れすぎない範囲で意図されている。極端に外れた受け取り方をしても、作品の「純文学としての枠」は壊れにくい。

     大枠として「設計」と「自由」のバランスが段階的に違う感じです。エンタメは自由度大、文芸は体験の質をある程度コントロール、純文学は解釈自由だけど枠は保たれる、みたいな。

     個人的に言うと、これって「作品が読者を受け止める器の大きさ」の違いでもある気がします。なので、究極のところ、千古さまの言う通り「ニュアンス」かもしれませんね。

  • そうそう、そうなんですよね。まあ、そりゃ三つの境界が曖昧なのが悪いんすけども。

     私はこのニュアンスを大切にしたい。卵が先か鶏が先か、みたいな話にはなりそうですが。

     物語の為に人がいるのか、人の為に物語があるのか。

     他に端的に例えるならプロット、ドラマ、記録の関係に近いでしょうね。

     プロット=出来事
     ドラマ=物語
     記録=実在

     こんな感じっす

     
  • お師匠様、アドバイスありがとうございました。(こんな高度な表現をする方に、勝手に弟子入りしている自分が怖い)

    「顎をさすりながら、首を傾げる」に書き変えてみました。

    顎をさすりながら、の方がアルバートのちょっと明るい部分が出るような気がして。動作も付きますし。

    少し心配そうな声で、ベルに話しかける。
    →少し心配そうな声が、ベルに話しかける。(わざと主語を変える)

    あきれたよう声で尋ねる
    →あきれたような声で問いかける。(動詞の変更)

    (*あきれたような声が問いかける。と悩んだ)

    ベルが呟いた
    →ベルが足元を見つめたまま呟いた。(表現を入れる)

    以下の表現に変更(まとめる)
    「栗毛の人も、茶色の瞳の人もおり、」
    「先住猫とは、ベルベットの母親がかつて飼っていた白猫だ」
    「アルバートは、目を細めて見つめる」

    追加文(怖いと思う心情の追加)
    逃げ場のない恐怖感が、ベルの心をじわじわと締め付けていく。
    もし魔法族と知られたら、私たち、どういう目に遭うのかしら? 

    この追加文の一行目、千古不易さんのサイトを読んでいなかったら、きっと今も書けてないと思いました。

    ああ、一章を全部リライトしたい。でも多分今も下手だから、三章に入ってまたリライトしたら、その前を全部リライトしたくなるかもしれないです。書きあげた時の技量(もう少しマシになるかも)でリライトをするまで完結ボタンは押しません。

     下手くそですけれど、急いでも上達はしないから、コツコツ走ります。

    追伸、
    新版 日本語使いさばき辞典、気持ちを描くことば探し辞典、センスをみがく文章上達事典、を、中古本ですが、とうとう買ってしまった(出費が)。感情類語辞典と場面設定類語辞典は持っています(これと、てにをは辞典がなかったら書けないです)

  •  呼び方はなんでも構いませんし、気楽にどうぞ。



    少し心配そうな声で、ベルに話しかける。
    →少し心配そうな声が、ベルに話しかける。(わざと主語を変える) 

     この助詞変更は違和感があります。

     えっとですね。文構成として分かり易くしますね。

    元文
    (Aさんが)少し心配した声で、ベル(Bさん=主語)に話しかける。

     これは文法として正しいです。『少し心配した声で』の前に省略された主語があるので。

    リライト
     少し心配した声が(主語化)、ベルに話しかける。

     これは『少し心配した声』が、主語になるので、ベルに『話しかける』と繋ぐと文法として良くないです。

     これはですね、えー。もう一回解体しますけど。



     『Aさんは(隠された主語)』心配そうな声(装飾)で、ベル(Bさん)に【話しかけた(動作)】

     つまり、飾りを取りますと。

    『誰かがベルに声をかけた』

     となります。

     次にリライト版はですね。


     『心配そうな声(装飾→主語)』がベルに話しかける。

    要約
     『声が』ベルに話しかけた。

     こうなっちゃうんですよ。


     これはねー、実に面白いんですけど。


    少し心配そうな声で(主語、客観)
    少し心配そうな声が(主語、客観)

     だけだと、どちらも主語なんです。



    ベルに話しかける(動作=文末)


     が、繋がった途端に


     【彼は=省略された主語】少し心配そうな声で(客観)、話しかけた(動作=文末)

     になり


    少し心配そうな声(主語化)が、ベルに話しかける(文末)


     こうなっちゃうんです。これって主語が二つでも、問題は

     ベル(主語=誰に)
       に
    話しかける(こうした=文末)


     こいつにあります。これが繋がると『少し心配そうな声』が装飾ではなく主語に化けてしまうんすよ。

     日本語って文脈により主語なりが省略される割合が尋常じゃないんですけども、それを踏まえてやるなら。


     少し心配そうな声(主語化)がベルに届く(文末=こうなった)

     意味
    言葉がベルに伝わる。


     となります。助詞である【が】は主語化させるので、その主語が文末にどうスムーズに着地するかが重要ですねー
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する