第17話 船底に咲く


 揺れている……。


 私はその規則的な振動と、鼻を突く潮の香りで目が覚めた。


 フィルテリアはゆっくりと上体を起こそうとしたが、心臓に走る激痛に顔をしかめた。


「あッ……痛……っ」


 体を見下ろすと、かつてエギルさんに買って貰った、お気に入りの旅装束が赤黒い血に染まっている。


 私は、路地裏で突き刺された氷の矢が自分の心臓を貫いた瞬間の嫌な記憶を思い出す。

 

 指先で、今だ痛む傷口に触れる。

 穴は塞がっている.....服の破れ目から覗く肌には、傷跡一つ残っていない。


 再生するとはいえ、痛みが無いわけじゃない。

 何度体験しても慣れる事はない。

 痛いのはほんと嫌いだ。



 私は周囲を見回した。

 そこは、船の船底と思われる薄暗く広い空間だった。


 人の気配がする。

 そうだ。.....エギルさんは?



 居ない。



 私を見つめる視線を感じる。


 暗がりに目を凝らすと、精気のない子供や女の人たち、そしてわずかな数だけど、男の人たちの姿。


 みんな壁際に固まり怯えた表情のまま座っている。

 

 皆、私から距離を置き、腫れ物に触れるような――あるいは理解不能な怪物を見るような目で見ている。


 おそらく、私が再生するところを見られてたんだろう。


 .....仕方ない。


「あの……」

 

 フィルテリアが声をかけると、彼らは一斉に身をすくめ、さらに奥へと逃げていく。


 誰一人として、手を差し伸べる者はいない。

 

「まあ.....そう、だよね」


 普通の人から見れば、人が再生して生き返る。

 それは『神々しい奇跡』ではなく『得体の知れない怪奇』なのだ。


 心細さで胸の奥がちりちりと痛い。

 思わず口に出てしまう。


「また.....独りになっちゃった」


 孤独と不安が波のように押し寄せた、その時だった。


「……君は」


 小さな、震える声がした。

 近くにいた中年の男が、眼鏡の奥の瞳を大きく見開いてこちらを見ている。

 

「君は……『聖女』、だね?」


「え……?」


「僕はヤン。ヤン・ユルマズだ。以前……聖教会で研究員をしていた」


 男――ヤンの言葉に、私は小さく息を呑む。


 彼は何かを言いかけようとしたが、その瞬間、重々しい扉の開く音が船底に響き渡った。


 身を寄せ合う人たちの、小さく怯えた悲鳴に空気が凍りつく。


 入って来たのは、あの不気味なスキンヘッドの男。アンジェロだった。


「双頭の蛇」の刺青を躍らせ、背後に数人の部下を連れて彼は歩いてくる。


 蛇のような目。

 二つに裂けた舌。


 二度と会いたくないと思っていた男の姿が、そこには居た。

 

 収容されていた人々は、蛇に睨まれた蛙のように震え、声を押し殺してうずくまった。


「やぁ♡ お目覚めね♡」


 アンジェロは真っ直ぐに私の元へ歩み寄り、覗き込むように屈み込んだ。


 細長い指が、私の顎を強引に跳ね上げる。

 私の頭の中は、自分が知っている拒絶の言葉でいっぱいになる。


「ふーん? ほんとに生き返ってるじゃない♡ 開花した聖女が不死って噂、ほんとだったのねぇ。……化け物ねぇ♡」


 アンジェロは舐めるような挑発的な目で呟く。


 開花?

 いや、そんな事より。

 こんな、化け物みたいな奴に化け物と呼ばれる不快感に私は拒絶感を強めた。


 至近距離で浴びせられる、粘りつくような視線。


 アンジェロの背後で、一人の部下が興奮した声を漏らした。


「頭、コイツ……どうせ死なないんなら、俺たちが少し味見してもいいですか?」


 アンジェロは愉快そうに肩を揺らした。


「あは♡ いいわよぉ。教団には『生きたまま』引き渡せばいいだけだしねぇ。……廃人にするなとは言われないわね♡好きに遊んじゃいなさいな♡」


 下劣な笑みを浮かべた男たちが近づいてくる。


 絶対に嫌だ!!

 死んだ方がマシだ。

 でも、私は死ねない.....不死。

 嫌だ。どうしよう どうしよう どうしよう。


 その時。


「ま、待ちなさい!」


 震える声で叫び、私の前に立ちはだかる影があった。


 さっき、ヤンと名乗ったおじさんだ。


 彼の膝はガタガタと笑い、頼りなさそうな顔からは、冷や汗が流れている。それでも、彼は両手を広げて男たちを遮ろうとした。


「彼女に……彼女に酷いことはさせない!」


「あ?」


 アンジェロの部下の一人が、苛立たしげにヤンの顔面を殴り飛ばした。


「ぐぁっ!」


 ヤンは無惨に吹き飛び、壁に激突して動かなくなる。


「おじさん!」


 叫ぶフィルテリアの肩を、汚れた手が掴んだ。


 そのまま床に押し倒される。


「死なないんだろ? だったら何しても構わねえよなぁ!」


 男が刃物を手に覆い被さろうとした、その瞬間だった。


 いやだ。


 嫌だ。


 嫌だ!!


 嫌だッッ!!


「――来ないで!!」


 フィルテリアの悲鳴と共に、彼女の身体からパチパチという弾けるような音が響いた。

 青白い電気のようなオーラの膜が彼女の肌を薄っすらと覆い、触れていた男を弾き飛ばす。


「ぎゃあああっ!?」


 男は感電したかのように数メートル吹き飛び、痙攣して白目を剥いた。

 

「へぇ♡ほほぅ♡」

 

 アンジェロが目を輝かせる。


 フィルテリアは荒い息をつきながら、鼻から流れる血を拭った。


 無理やり引き出した力。

 それは、身体中を伝播し、脳を灼かれるような感覚が走る。


 身体が熱い。自分でも分からない。

 いつもの聖女の力を使う時とは違う。

 何倍もの雑で激しい感覚が身体中に走る。


 ――その時。


 シュッ、と風を切る音がした。


 アンジェロが投げたナイフが、フィルテリアの首筋に深々と突き刺さる。


「……っ、が……あ……!」


 「絶対防御の結界みたいなモンじゃないのね♡ 面白いわぁ♡」


 アンジェロが卑しく嘲笑う。


 フィルテリアは激痛に顔を歪めながらも、首に刺さったナイフを自ら引き抜いた。


 どくどくと溢れる血。

 だが、その傷は見る間に収束するが、激しい痛みだけが残る。


「……許さない」


 フィルテリアの翡翠色の瞳から光が消える。

 そして強い殺意を灯した。


 彼女が握りしめたナイフに力が籠る。


 ――その時だった。


 落ちた血に呼応するように、船底の湿った木材の隙間から、青白い芽が猛烈な勢いで生え、アンジェロの足元に絡みつこうとした。



 ――あのリーゼルを崩壊させた時のように。



「あたし♡こういう子が絶望する顔が大好きなのよねぇ……♡ ねえ、もっと見せてよぉ」


 木々や芽をものともしないアンジェロは大型のナイフを手に取る。


 見かねた部下が、恐る恐る声を上げた。


「か、頭。いいんですか? なんか、このガキ……ヤバくねぇですか?」


 アンジェロは、表情を変えずにその部下を殴り飛ばした。


「あら♡ いけない♡ つい遊びたくなっちゃったわ♡」


 アンジェロはフィルテリアに向けた殺気を、ふっと霧散させた。


「まあいいわ♡ 面白いものを見せてもらったわ♡ お楽しみは後に取っておいて.....あげる♡ ……せいぜい♡震えて待ってなさいな♡」


 そう言い残したアンジェロは、気味の悪い優雅な足取りで立ち去っていった。


 フィルテリアは手にしたナイフを強く握りしめたままアンジェロの後ろ姿を睨み続けていた。


 やがて気配が完全に消えたことを確認すると、彼女の身体を覆っていたオーラが霧散した。


「……はぁ、はぁ……っ」


 頭が.....体も重い。鼻血が止まらない。

 視界が急速に暗くなっていく。


 フィルテリアは膝から崩れ落ちた。


 フィルテリアは駆け寄ったヤンの手を握り小さく呟く。


「庇ってくれて……ありがと。おじさん……」



 つづく

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