羅睺
一、伊舎那天
揺光、過刻は星の香の入手、ご苦労だったな。どうだ、あの時は体調が優れなさそうだったが、その後特に変わったところはないか? そうか、何事もないのであらば良かった。ああ、あの時のことは気にするな。星の香のせいで気分の優れぬのはわかっていたからな。
なれば早速ではあるが、本題に入ろうか。お前の働きのおかげで香屋の正体が…… わかったんだ。この香の匂い、どこかで嗅いだことがあると思っていたんだ。この香は、羅睺という夜叉の匂いによく似ている。こいつは昔からあまり善くないやつでな。弱った星を降ろしては食べていたんだ。星を食べる夜叉の話は、確かお前も知っているんだよな。羅睺もそんな夜叉のひとりだった。あいつの匂いは、甘ったるい星の匂いだった…… お前、裏香屋の店主の顔を垣間見たそうだな。羅睺は黒い肌に金色の目と長い巻毛の夜叉だ。裏香屋の店主は、夜叉の羅睺とみてまず間違いないだろう。
だが、それにしたっておかしなところがあるんだ。確かにあいつは昔から星を食べていた。でもそれは、死にかけの星を数個程度だったはずだ。たかだか夜叉程度にいくつもの星を落とすほどの力はない。まして、星の座を乱すなど、できることじゃあない。星の座が崩れれば、いずれは全ての星が落ちて、冥界ごと崩れてなくなってしまうかもしれないんだ。ひとつの世界を消す規模の禍だ。そんなこと、もし望んだとしても簡単にできることじゃあないって、お前にもわかるだろう。
いずれにしても、羅睺…… いや、裏香屋が星を降ろしている現場を押さえねばなるまい。前に星が多く落ちたのは七巡前の銀の刻。その前もまた七巡前…… 決まって、天繋ぎの刻だ。次にまた星が落ちるとしたら、次の銀の刻、天繋ぎの刻だ。
以前より、天繋ぎに合わせて裏香屋の動向を見張っていたのだが、どうにも現場を押さえられないでいるんだ。星の海の方角へ向かうところまではわかっているのだが、海岸線まで追うと途端に姿が見えなくなりやがる。さすがに一筋縄じゃいかないらしい…… ほら、お前が裏香屋を訪ねた折も、奴は我々の気配に気づいていたようじゃないか。見透かされているんだよ、俺たちの動きは。だとしたら、俺たちが張ったところでまた気づかれてしまうだけなんだ。だから……
……揺光、お前が行ってくれるのか。しかし、今度はお使いでは済まない。相手は夜叉だ。下手をすれば戦闘になる。戦う術を持たぬお前に任せることは……
……そうか、お前にも、成したいことがあるのだな。俺たちの使命は、武器を持たぬ者を守ることだ。お前に害をなす者があれば、俺たちが必ず守ろう。だから怯まずに立ち向かうと誓えるか。
……ありがとう。もう一度、お前の力を借りよう。次の銀の刻の入り、金の月が星の海に浸かる頃、裏香屋の前で張って、奴の後を尾けてくれ。そうだな、次の銀の刻は天繋ぎだから、魔衆どもに襲われる心配はないが、相手が相手だからな。多聞天様の紋をお借りしよう。そうすれば、俺たちは多聞天様の紋を導としてお前の後を追える。共に行動すると奴に勘付かれるだろうからな。現場さえ分かれば、あとは俺たちに任せてくれ。
二、羅刹天
おうい、あんちゃん、イシャ兄とはもう話が終わったか? ちょっと、面を貸してくれねえか。
あんちゃん、気分はどうだい? なんともないか? そっか、大丈夫そうでよかったぜ。俺、結構心配してたんだよ。あんちゃんがどうにかなっちまったら、それこそ現世に帰るだの、星を鎮めるだのの話じゃねえからな。
そう、それでさ、あのさ、裏香屋のことなんだけどよ…… イシャ兄、何か言っていたか?
何かって…… 例えばほら、名前とかさ、どんな奴だとか……
そうか…… イシャ兄はやっぱり話さなかったんだな…… なあ、こっから先の話、イシャ兄には内緒にしておいてくれねえか。あんちゃんに話しておきたいことがあるんだ。
実はさ、俺たち…… 俺もイシャ兄も、裏香屋が羅睺だってこと、薄々気づいていたんだ。ずいぶん前から。
すまねえ…… ほんと、すまねえと思っている。俺だけじゃねえよ、イシャ兄だって、あんちゃんを巻き込むつもりはこれっぽちもなかったはずさ。当然、わざとあんちゃんを騙して危険な目に遭わせようとしたわけでもねえ。
もちろん星の香の危険性も知っていたよ。あの香で魔衆に転じちまった鬼だっていくらか見てきた。それでも俺たちは、あいつを止められなかった。止めることができなかったんだ。
羅睺は昔、俺たちの仲間だった。でも、俺とイシャ兄が天部になってから、姿を消しちまった。あいつは自分の姿をずっと気にしていたんだ。あいつの肌、真っ黒だろう。それで、ぼうぼうの使いだなんて云われたりしたんだ。でもあいつはただの夜叉なんだ。俺もイシャ兄も、他の奴らだって、みんなわかっていたはずだぜ。まぁ、ちょっと捻くれた奴ではあったな。くだらねえ嘘で誰かしらをだまくらかしては遊んでいるような奴だった。でもな、昔の俺たちはいっときの食いもんにも困ってたくらいだからよ、あいつの悪知恵に助けられたことも多かった。何しろ地獄は善い子にしていりゃ物が食えるような所じゃねえからな。
……あいつが星を喰ってるって話を聞いたとき、俺は本気にしなかったよ。またあいつがおかしな嘘でもついているんだろうなって思っていたんだ。でも、あいつは本当に星を喰ってた。星を貪るあいつの姿は…… とにかく、おぞましいものだった。そう思っちまったんだ。だからそのとき、俺は何も云えなかったんだ。
俺は、俺たちは、あいつから逃げたんだ。あいつの悩みや苦しみを見て見ぬふりをして今まで生きてきた。だから何もできなかった。今更あいつに会ったところで、なんて言葉をかければいいかわからなかったんだ。
でもよ、あんちゃんが…… そう、何のしがらみもないあんちゃんが手を貸してくれてよ、俺たちを引っ張ってくれたからよ、俺たち、あいつと向き合う決心がついたんだよ。今度こそ、俺たちはあいつを止めなくちゃならねえ。これは、俺たち…… あんちゃんも含めた俺たちじゃなきゃ、できねえことなんだ。今思えば、あいつは俺たちに止めて欲しかったのかもしれねえんだ。あいつの云うこと、俺は今度こそ信じてやりてえんだ。たとえ、騙されてもな。
あ、イシャ兄がなんでこのことを話さなかったかって? こんなこと話したら、あんちゃんの同情を買っちまうからだろうな。情けをかければ、気が緩むだろ。そういう気の緩みを狙って、あいつがあんちゃんに何するかわからねえからな。
いくら相手が昔の仲間だろうと、あいつがあんちゃんに手ぇかけようもんなら、こっちもそれなりの対応を取らざるを得ねえ。イシャ兄は本気であいつと向き合いたいからこそ、あいつが仲間だったことを抜きにしたかったんだろう。もっとも、俺が話しちまったから、あんまり意味は成さねえな。へへ……
でもさ、俺、羅睺がどんなやつだったかってこと、あんちゃんに知っておいてほしかったんだ。あんちゃんに、あいつがただの悪いやつだなんて思ってほしくなかったからさ……
あ、俺が話したってこと、くれぐれもイシャ兄には云わないでくれよな。バレたら俺、イシャ兄に死ぬほどどやされちまうからな。
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