後編

 その夜。不意に目が覚めると、白蛇がいた。

 でも、その体は庭の木に巻きついていた時よりも、ずっと大きく長くなっていて。胴体と尻尾しっぽが、客間の畳をぐるりと一周囲んでいるみたいだった。

 青い夜の薄明かりの中でもわかるくらい、真っ赤な両目がわたしを見下ろしている。

 障子は、開いても破れてもいない。いつ入ってきたんだろう。

 すやすやとした両親の寝息とは逆に、わたしの呼吸は止まりかけた。

「おまえに頼みたいことがある」

 白蛇の声が、頭の中に響いた。祖母と同じくらいの年齢を感じさせる、老いた女の声。でも、脅すんじゃなくて上品に依頼するみたいな雰囲気だ。

「頼み……?」

 ゆっくりと上半身を起こして、わたしは小声で聞いた。

 掛け布団の下で、こっそり太ももをつねってみたけど、ちゃんと痛い。夢じゃない。

「我が同胞を、土に還して欲しい」

「どうほう……仲間ってこと?」

「そうだ」

「朝になってからじゃだめ?」

「ほかの人間に見られても良いならば、止めはせぬが」

「目立つのはまずいか……わかった、行くよ。着替えるから、待ってて」

 白蛇は、音も立てないで客間から出ていく。壁も障子も、スゥッとすり抜けて。実体を持たない、妖怪みたいなもの――本当に、ミズカガチの子どもなのか。

 断ったら何をされるかわからないっていうのも、理由のひとつだけど。祖母が親しんでいた白蛇に興味があって、引き受けた。のこのこ付いていった先で喰われるなら、その時はその時だ。

 両親を起こさないように、制服に着替えて古地図も持って客間を出る。こんな時間に黙って出かける悪い娘で、ごめん。

 玄関の引き戸を開けると、白蛇がもう回り込んで待っていた。

 非常用懐中電灯と、祖母が園芸に使っていたシャベルを借りて、先を進む白蛇に付いていく。土に還すってことは、つまり埋葬まいそうして欲しいんだろうから。

 誰もいない真夜中の畦道あぜみちは静かで、空気も肌寒い。田んぼにいる生き物たちも、ほとんど寝ているのかもしれない。土や水、草木の匂いが、昼間よりもずっと濃く感じた。

 白蛇が、懐かしむようにつぶやく。

「あの家の女は、生き物を好いていた」

「おばあちゃんのこと? うん、確かにそうだね」

「寝たきりになってもなお、庭から様子を見る我に笑いかけていた」

「そうなんだ……」

「ゆえに、おまえにならば頼んでも良いと思えたのだ」

 父でも母でもなくて、わたし。祖父母の家に遊びに来た時も、この辺の生き物たちを傷つけることはなかったからだろうか。


「たとえ言葉が通じなくても、虫も動物も、この豊かな自然を一緒に作ってくれる友達なんだよ。だからひどいことは絶対にしないし、できるだけ仲良くしたい」


 祖母が昔しみじみと言っていた言葉も、しっかりおぼえている。

 白蛇も、もしかしたらほかの生き物も、祖母には恩や感謝があるのかもしれない。

「着いたぞ。此処ここに同胞の亡骸なきがらがある」

 目的地は、祖母の家からそう遠くない雑木林ぞうきばやしの入口だった。

 高く伸びた木の根元に、蛇が一匹横たわっている。わたしが近寄っても、ぴくりともしない。体が黄褐色で四本の縦線が入っているから、シマヘビか。

「この子がそう?」

「うむ。放っておくと、熊や猪に喰われる。埋めてやって欲しい」

「わかった。穴、深いほうがいいかな」

「おまえに任せる」

 まだ霜が張らない時期でよかった。

 周りに積もった枯れ葉をある程度シャベルで払って、わたしはその場の土を掘っていく。木の根を傷つけないように気をつけながら。

 ――きみは、ここでどんな生活をしてたのかな。最期まで楽しかったかな。

 鶴は千年、亀は万年なんてことわざもあるけど、ほとんどの動物は人間より早く寿命を迎える。この地域の生き物たちも、ずっと祖母たち住民の姿を見て育ってきたんだろう。私の知らない祖母の表情かおも想いも、知っていたのかもしれない。

「あなたは、人間が好き?」

 シャベルをせっせと動かしながら、わたしは純粋な興味で白蛇に聞いた。

何故なにゆえ、そのようなことを知りたがる」

「おばあちゃんが、白蛇は家の神様だって言ってたから」

「確かに我は人間の家に居着くが、神ではない。あの家と女のり方が、心地かっただけのことだ」

「そうなんだ」

 月読峠の民家には庭や縁の下があるところも多いし、白蛇もほかの生き物も暮らしやすいんだろう。

「じゃあ、あなたはミズカガチの子どもではあるの?」

「ほう、あの御方を知っているのか」

「わたしもお母さんから聞いて知ったんだけど、おばあちゃんが言ってたらしいんだ。『月読峠に棲む蛇は、ミズカガチ様のお子様だ』って」

「峠の外から来た蛇は知らぬが、我はミズカガチ様の眷属けんぞくだ」

「……なるほどね」

 月読峠で生まれ育った蛇たちは、ミズカガチとつながっている。辻文つじあや神社でまつられているからには、ミズカガチはきっと守り神のような存在なんだろう。それこそ、祖父母が生まれる何百年も何千年も前から、この町を見守ってきたのかもしれない。

「ありがとね、おばあちゃんのそばにいてくれて。おじいちゃんが亡くなってからは淋しかっただろうし、わたしも両親もたまーにしか来られなかったからさ」

「礼を言われるようなことはしておらぬ」

「おばあちゃんも、死んだ蛇をこうやって埋めてあげてたの?」

「あの家の庭に亡骸があったときはな」

「そっか」

 祖母は蛇とも友達で、彼らの葬儀屋でもあったのかもしれない。それなら、今の私もそうなるのか。セーラー服だし、なんか微妙にかっこつかないけど。

 白蛇としゃべりながら、かなりの時間をかけてちょうどいい深さの穴ができた。手足や腰が痛いし疲れたけど、素人にしてはよくやったほうなんじゃないだろうか。

 雑木林もしんと静まり返っているけど、白蛇が言う通り、懐中電灯の光につられて本当に熊や猪も出てきそうな雰囲気だ。急ごう。

 シマヘビの亡骸を、頭のほうからそっと持ち上げる。ぱっと見でも一メートル近くもあるせいか、それなりに重い。蛇にしっかり触ったのは初めてだけど、気持ち悪くはなかった。

 シマヘビを頭からゆっくり穴に沈めていって、また土をシャベルでかけ直していく。

 その時、背後から低いうなり声が聞こえて、思わずびくっと肩が跳ねた。

 白蛇が、冷静に告げる。

「熊だ。下手に動くと喰われるぞ」

「ど、どうすればいい……?」

「我が奴を払う。おまえは墓作りを続けよ」

「わかった」

 白蛇は音も立てず、くねくねと斜面を素早く登っていく。

 熊にも白蛇が見えているのか、敵意全開の鳴き声もするけど。わたしのほうには、迫ってくる感じはしない。

 獣の争いが繰り広げられる中、どうにか穴を埋め終わった。

 いつの間にか、熊の鳴き声も足音も消えていた。

 戻ってきた白蛇が、即席のお墓を赤い眼で名残惜しそうに見つめる。

「これで、同胞も安らかに眠れるであろう。感謝するぞ、ミチルよ」

 ――わたしの名前……憶えてくれたんだ。

 無言でうなずいて、わたしは目を閉じてお墓に手を合わせた。シマヘビの魂が浮かばれるように。

 土を掘ったのなんて、小中学生の時に経験した芋掘り以来の気がする。


 ――おばあちゃん、おじいちゃん。わたし、白蛇としゃべれたよ。


 ふたりも、あの世で見守ってくれているだろうか。

 緩やかに吹く涼しい夜風が、周りの木々の葉をさわさわと揺らした。


   ◎


 気がつくと、私は祖父母の家の客間で布団に横たわっていた。

 障子越しに射し込む朝の光が眩しい。

 枕元には、古地図の巻物が置かれていた。

巳知留みちる、なんで制服着て寝てるの? しわくちゃじゃん」

「あー、えっと……夜中にトイレに行って、寝ぼけてたから、かなぁ」

 我ながら下手な嘘をついたけど、父も母もあきれ気味に笑った。

 真夜中の出来事は、ちゃんと憶えている。

 縁側に出ても、百日紅さるすべりの木に白蛇はいない。あの林か山に帰ったのかもしれない。

 ――もしかして、あの後わたしを送ってくれたのかな……ありがとね。

 あの子にも、名前があるんだろうか。結局、聞きそびれてしまった。

 顔を洗って祖父母の仏壇にお線香を上げようと、わたしは歩き出した。


 たくさんの古地図に、いろんな宝の在処ありかが示されているんだとしたら。

 月読峠の蛇たちも、きっとミズカガチにとっての宝物なんだ。

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ミズカガチの子宝 蒼樹里緒 @aokirio

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