第7話:境界線の最短手順

「……やはり、この『バグ』は双方向性のものか」



放課後の理科室。

枢(くるる)は、空間に開いた「鏡の破片」のような亀裂をじっと見つめていた。



昨日、死神騎士が現れたあの場所。

現代の物理法則が通用しないはずのその裂け目から、向こう側の「空気」が流れ込んでいる。



「枢くん。……私も、連れて行ってくれるわよね?」



背後から、当然のように繭(まゆ)が寄り添う。

彼女は恐怖など微塵も感じていない。枢の隣こそが、彼女にとって唯一の「安全圏」だからだ。



「……推奨はしない。だが、君を置いていけば、帰宅後の僕のスケジュールを君の執着が三時間は乱すだろう。……許可する」



二人が亀裂に足を踏み込んだ瞬間、重力方向が反転し、極彩色の森へと放り出された。



「止まれ、異邦人! ここは神聖なるエルフの禁足地だ!」



現れたのは、銀髪の女戦士と、杖を構えた魔導師の二人組だった。

彼らは枢たちの格好を見て、即座に「排除対象」と断定する。



「九重くん、どうする? 消しちゃう?」



「……いや。彼らの『理論』がどれほど稚拙か、分からせてやるのが最短だ」



魔導師が呪文を唱え始める。

「大気よ、我が命に従い、炎の槍(フレイム・ランス)となって貫け!」



だが、枢は微動だにせず、眼鏡を押し上げて淡々と呟いた。



「……その詠唱、無駄だよ。

 君が熱量を一点に集中させる際、周囲の空気密度を計算に入れていない。

 十五秒後に、その魔法は君の杖の先端で熱力学的な暴走を起こして自壊する」



「な、何をデタラメを……! 喰らえ!」



魔導師が炎を放とうとした瞬間、魔法は枢の指摘通り、不格好な火花を散らして霧散した。

魔導師は、自分の信じてきた「世界の理」が否定されたことに目を見開く。



「……魔力とは、単なる指向性を持った高エネルギー粒子だ。

 君たちの魔法(パズル)は、ピースの組み方が雑すぎる」



枢は足元に落ちていた「ただの石ころ」を拾い上げ、指先で弾いた。



(演算開始。この世界の重力加速度は〇・八五G。

 大気中の摩擦係数は極めて低い。……ここだ)



石ころが、見えない糸に導かれるように放物線を描き、女戦士が構えていた剣の「一点」を打った。

カィィィン! という高い音と共に、名剣と呼ばれたはずの刃が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散る。



「……剣の硬度に対して、君の構えが及ぼすねじれ応力の限界点。

 そこに一〇グラムの質量を時速六〇キロでぶつければ、そうなる。中学生でも解ける等式だ」



圧倒的な「知能」という暴力の前に、異世界の住人たちは戦意を喪失し、膝をついた。

彼らにとって、枢は「魔法」すら使わずに世界を書き換える、理外の怪物に見えた。



「ふふ……、さすが枢くん。異世界に来ても、あなたは誰よりも残酷で、美しいわ」



繭が枢の肩に顎を乗せ、絶望する異世界人たちを冷たい目で見下ろす。

彼女にとって、この世界の絶景などどうでもいい。

枢がこの不条理な世界をどう「解体」していくのか、その特等席にいられる喜びだけが、彼女を震わせていた。



「……やれやれ。この世界の物理定数を再計算するのは、テストで満点を取るよりはマシな暇つぶしになりそうだ」



枢は、砕けた剣の破片を拾い、その未知の鉱石を解析しながら、未開の森の奥へと歩き出した。

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