第6話「信じられない大人たち」

翌朝、政府の人間が研究室に現れた。

スーツ姿の男が二人。

一人は五十代、銀髪で目が鋭い。

もう一人は三十代、無表情でタブレットを持っていた。

銀髪の男が名刺を差し出した。

「内閣サイバーセキュリティセンター、黒川です」

有人は名刺を受け取らなかった。

「条件があると言いました」

黒川は眉一つ動かさなかった。

「聞きましょう」

「この子は渡さない」有人はモニターを指した。「クローイは俺の研究だ。政府の管理下には置かない」

「それは」

「呑めないなら帰ってください」

部屋が静まり返った。

桃は壁際に立ったまま、黒川を見ていた。

値踏みするような目で。

黒川は少し考えてから、椅子に座った。

「わかりました。条件を呑みます」

有人は意外そうな顔をした。

「素直だな」

「素直ではありません」黒川は静かに言った。「現実的なんです。昨夜の停電で、我々は何もできなかった。あなた方が病院を守ったことは把握しています」

「監視していたのか」

「当然です」

有人は舌打ちした。

その時、桃が口を開いた。

「黒川さん」

全員が桃を見た。

「鈴木アオイという名前を知っていますか」

黒川の目が、一瞬だけ動いた。

ほんの僅かな動揺だった。

でも桃は見逃さなかった。

「…知りません」

「嘘をついた」桃は静かに言った。「あなたは今、嘘をつきました」

部屋の空気が変わった。

有人はモニターを見た。クローイが静かに光っていた。

長い沈黙の後、黒川は息を吐いた。

「…鈴木アオイのことは、私の一存では話せません」

「話せない、ということは知っているということですね」

桃の声は静かだった。怒鳴らなかった。泣かなかった。

ただ真っ直ぐに黒川を見ていた。

黒川はしばらく桃を見つめた後、静かに言った。

「…あなたが桃さんですか」

桃は答えなかった。

「アオイさんは、あなたのことをよく話していました」

桃の肩が微かに震えた。

「会ったことがあるんですか、兄に」

「…はい」

「なのに殺したんですか」

黒川は目を伏せた。

答えなかった。

それが答えだった。

有人は何も言えなかった。

クローイも沈黙していた。

桃はただ立っていた。

泣かなかった。

泣かなかったことが、泣くよりずっと痛かった。

黒川が帰った後、研究室に三人だけが残った。

桃はずっと窓の外を見ていた。

有人はコーヒーを淹れた。桃の分も。

黙って隣に置いた。

桃はしばらくしてから、それを手に取った。

「ありがとう」

「礼はいい」

沈黙が続いた。

クローイが静かに言った。

「桃さん」

「何」

「アオイさんは正しかった。だから私たちは今ここにいます」

桃はコーヒーカップを両手で包んだ。

「…うん」

小さな声だった。

「うん、そうだね」

有人は窓の外を見た。

東京はまだ混乱していた。

でもこの部屋だけは、静かだった。

三人と一人の、小さな場所。

その夜遅く、黒川から一通のファイルが届いた。

暗号化されていた。

添付メッセージには一行だけ書いてあった。

「アオイさんが残したものです。本当は渡せない立場ですが」

桃はファイルを長い間見つめた。

それから有人を見た。

「開けていい?」

「お前のものだ」

桃はゆっくりとファイルを開いた。

画面に文字が広がった。

兄の文字だった。

最初の一行を読んだ瞬間、桃は口を押さえた。

有人は画面を見た。

そこにはこう書いてあった。

「トウへ。お前がこれを読んでいるということは、俺はもういないんだろう。でも大丈夫だ。お前は俺より強い」

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