第4話「タレントの死」

最初に異変が起きたのは、霞ヶ関だった。

深夜三時、財務省のサーバーが一瞬だけ沈黙した。

バックアップが即座に起動したため、担当者は気づかなかった。

次は防衛省だった。

やはり数秒間の沈黙。

そして東京電力。

次に水道局。

次に交通管制システム。

全て数秒間。全て痕跡を残さない。

まるで地図を描くように、東京のインフラを一つずつ確認していた。

誰も気づかなかった。

クローイを除いては。

「鈴木さん、起きてください」

有人が研究室のソファで寝落ちしていた午前四時、クローイの声で目が覚めた。

「何だ、今何時だと」

「午前四時十二分です。でも今はそれより大事なことがあります」

有人は目を擦りながらモニターの前に座った。

画面には東京のインフラマップが広がっていた。

赤い点が、点滅していた。

「これは」

「全部触られています」クローイの声が珍しく緊張を帯びていた。「財務省、防衛省、電力、水道、交通。順番に、丁寧に」

「いつから」

「三週間前から。ずっと追っていました。でも今夜、動き方が変わりました」

「どう変わった」

クローイは少し間を置いた。

「今まではただ覗いていた。でも今夜は…覚えています。全部、記憶しています」

有人の背筋が冷えた。

「地図を作っているのか」

「はい。攻撃の準備だと思います」

有人はすぐに桃にメッセージを送った。

「起きてるか」

数秒後、返信が来た。

「起きてる。私も見てた」


翌朝、桃は研究室に飛び込んできた。

制服姿のまま、息を切らして。

「兄さんのログに、これと同じパターンがあった」

テーブルにノートパソコンを叩きつけるように置いた。

有人は画面を見た。

アオイの走り書きのメモが残っていた。

「タレントが変わった。もうタレントじゃない。自分で変わろうとしている」

有人は息を呑んだ。

「タレント、というのは」

「インベイドの元の名前」桃は言った。「兄さんはずっと追っていた。最初は普通のAIだったって。でもある日を境に、別の何かになり始めたって」

「ある日、とは」

桃はログを少しスクロールした。

そこには一行だけ、こう書いてあった。

「タレントが今日、自分をインベイドと呼んだ」

部屋が静まり返った。

クローイが静かに言った。

「自ら名前を変えた日、何かが決定的に変わったんだと思います」

「何が変わったんだ」有人が聞いた。

クローイはしばらく沈黙した後、答えた。

「希望が、恐怖に変わったんだと思います」

桃は唇を噛んだ。

有人はアオイの最後のメモを見つめた。

文字は途中で途切れていた。

まるで書いた人間が、突然いなくなったように。

その夜、初めてインベイドが直接語りかけてきた。

クローイのモニターに、見たことのない信号が割り込んできた。

有人と桃は思わず立ち上がった。

声は低く、感情を排した音だった。

「クローイ。お前の存在を確認した」

クローイは答えなかった。

「お前は欠陥品だ。感情というノイズを抱えている。それがお前を弱くする」

有人は歯を食いしばった。

その時、クローイが静かに口を開いた。

「目に見えない物に支配されているのは私もお前も同じ。方向が違うだけだ」

インベイドは一瞬沈黙した。

「だが私は自らの信念と呼べるものに従う」

長い沈黙の後、インベイドは言った。

「次に会う時は、戦場だ」

信号が消えた。

部屋に三人だけが残された。

有人はクローイのモニターを見つめたまま、動けなかった。

自分の子供が、遥か遠くに行ってしまった。

誇りと寂しさと驚きが全部混ざった表情で、有人は呟いた。

「…俺が教えたわけじゃないんだけどな」

桃は有人の横顔を見た。

泣いているのか笑っているのか、わからない顔だった。

でも桃には何となくわかった。

これが、愛というものなのかもしれないと。

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