第6話「歴史の書と魔王の背中」

 食堂での朝食を終えた後、ベリアルは執務があると言って玉座の間へ戻っていった。

 レオには城内の自由行動が許可された。ただし、逃亡を防ぐための見張りとして、小さな使い魔が一匹、肩に乗せられている。

 コウモリのような翼を持つ、手のひらサイズの黒い毛玉のような生物だ。


 「見張りにしては、緊張感がなさすぎるだろ」


 レオが指先でつつくと、毛玉は「キュウ」と鳴いて気持ちよさそうに目を細める。

 魔王の使い魔というよりは、ただのペットに見える。

 レオは複雑な気分で回廊を歩いた。

 本来なら、敵陣の構造を把握し、脱出経路を探すべきだ。しかし、首には魔封じの首輪があり、魔力を使えない現状では、城外へ出たところで魔界の荒野で野垂れ死にするのが関の山だろう。


 「まずは情報収集か」


 レオは宛てもなく歩き回り、やがて重厚な扉の前に行き着いた。

 扉には古語で《知識の集積所》と刻まれている。

 中に入ると、そこは天井まで届く本棚が迷路のように並ぶ巨大な書庫だった。

 埃っぽい古書の匂いと、微かなインクの香りが鼻腔をくすぐる。


 「すげえ数だ……」


 レオは本棚の間を歩き、背表紙を眺めた。魔法学、薬学、地理学、歴史書。魔族の文字だけでなく、人間の言葉で書かれた本も多い。

 ふと、一冊の古い歴史書が目に留まった。

 『人魔大戦の起源と真実』

 著者は魔族の学者のようだ。人間界で教えられている歴史とは違う視点で書かれているに違いない。

 興味を惹かれ、その本を手に取ってページをめくる。

 そこに記されていたのは、レオが知る歴史とは真逆の内容だった。

 人間界では「魔族が豊かな土地を求めて侵略してきた」と教わった。

 だが、この本には「人間が魔導技術の実験のために魔界の大気を汚染し、住めなくなった魔族がやむを得ず移住を嘆願した」とある。

 さらに、人間側が交渉の席に着いた魔族の使者を虐殺し、それを隠蔽するために「魔王の侵略」という虚構を作り上げた、とも。


 「嘘だろ……」


 レオは愕然とした。

 もしこれが事実なら、自分たち勇者は何のために戦ってきたのか。

 正義だと信じて振るってきた剣は、ただの虐殺の道具だったのか。


 「その本を見つけたか」


 背後から突然声をかけられ、レオは心臓が止まるほど驚いた。

 本を取り落としかけて振り返ると、いつの間にかベリアルが立っていた。

 執務の合間なのか、少し疲れたような顔をしているが、その瞳は穏やかだ。


 「ベリアル……これは、本当のことなのか?」


 レオは震える手で本を掲げた。

 ベリアルはゆっくりと近づき、レオの手から本を受け取って棚に戻した。


 「歴史というのは、勝者が都合よく書き換えるものだ。だが、我々には我々の真実がある」


 ベリアルは近くの机に腰掛け、レオを見下ろした。


 「魔界は元々、資源の乏しい不毛の大地だった。それでも我々は、僅かな実りを分かち合い、静かに暮らしていたのだ。だが、数百年前に人間界から流れてきた『廃棄魔力』が、この地を蝕み始めた」


 「廃棄魔力……?」


 「人間が禁忌の兵器を開発する過程で生じた、毒のような魔力だ。それが風に乗り、川を流れ、我々の土地を腐らせた。作物は枯れ、子供たちは奇病に侵された」


 ベリアルの表情が、苦渋に満ちたものに変わる。


 「余の父である先代魔王は、人間に浄化技術の提供を求めた。だが、人間たちはそれを『魔族の恫喝』とねじ曲げ、軍を差し向けてきたのだ」


 レオは言葉を失った。

 自分が守ってきた王国の繁栄の裏に、そんな犠牲があったなんて。


 「俺は……知らなかった。そんなこと、誰も教えてくれなかった」


 「当然だ。自らの罪を認める王などいない」


 ベリアルは大きな手を伸ばし、レオの頭に置いた。

 重い。けれど、温かい手だ。


 「お前を責めるつもりはない。お前はただ、自分の信じる正義のために戦っただけだ。その真っすぐな魂は、敵ながら見事だった」


 「……買い被りだ。俺はただの、無知な子供だったんだ」


 レオはうつむき、拳を握り締めた。

 悔しかった。騙されていたことも、何も知らずに魔族を殺してきたことも。


 「なら、今から知ればいい。その目で見て、耳で聞き、自分の頭で考えろ。ここは牢獄ではない。お前が真実を知るための学校だと思えばいい」


 ベリアルはそう言って、優しくレオの髪を梳いた。

 その仕草は、まるで迷子になった子供を慰める父親のようでもあり、愛しい恋人を慈しむ男のようでもあった。

 レオは涙がこぼれそうになるのを必死で堪え、魔王の顔を見上げた。


 「……ベリアル。お前は、この国を守るために戦っているのか」


 「そうだ。余は王だ。民が飢え、苦しむのを黙って見てはいられない。そのために悪魔と罵られようと、世界を敵に回そうと、余はこの背中で全てを受け止める」


 ベリアルの言葉には、一点の迷いもなかった。

 その姿を見て、レオの胸の中にあった敵という認識が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。

 こいつは怪物ではない。

 誰よりも誇り高く、孤独な王なのだ。


 「……お前は、デカいな」


 「身長のことか?」


 「違う。器の話だ」


 レオがつぶやくと、ベリアルは意外そうに目を丸くし、それから破顔した。


 「ハッ、そうか。勇者に褒められるとは、悪い気分ではないな」


 ベリアルは立ち上がり、レオの肩を抱いた。


 「腹が減ったな。昼にしよう。今日は猪のグリルだそうだ」


 その逞しい腕に抱かれながら、レオは初めて、自分から魔王の体温に寄り添った。

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