【マディラ後日談】褐色の灯 ― 辺境に咲く愛の花

あの人が旅立って、二年半過ぎた頃だった。


旅路すら過酷だった。厳しい寒さの中、何日も続く野営。

何度も危険な目に遭い、たどり着くことさえ危ぶまれた。

それでも、あの方も辿った、あの方に一歩ずつ近付く道だという思いが私を支えていた。


私は今、マグネタへの道を辿っていた。


隣国ヘマイト王国との国境にある辺境都市マグネタは、山脈を越える唯一の街道が通る流通の要だった。

ヘマイトの内政不安で、情勢が急激に悪化し、野盗・傭兵崩れが増えたため、商隊が襲われ、医療物資も医療従事者も不足しているという情報を耳にした。


私は医師だった父が盗んだ宝石を集め、使用人として王宮に入り、新王即位式の混乱に紛れてこっそりと宝帯に宝石を返した。

誰もそのことは知らないけれど、私は贖罪のため、母国のため……そして何より誇り高きあの方のお役に立ちたい、そんな気持ちで私はマグネタへ行くことを決めた。


マグネタの目と鼻の先まで何とか来たものの、野蛮な風貌の男たちが、私たち一行を包囲する。

こちらにも護衛はついているのだが、囲まれてしまうと、身動きが取れない。

絶体絶命のピンチ。

医療品などの荷物を積んだ馬車が、男たちの手で抑えられる。

せめてそれだけでも、マグネタに届くことを願ったのに。


天を仰ぐと、空からキラリと銀の光が降り注いだ。

次の瞬間、野盗たちが次々と倒れる。

――味方の矢だ。


その隙に剣をもった兵士たちが、私たちの元へ駆け付け、敵をなぎ倒していく。

銀色に光る鎧の屈強な男性たち。救いの神に見えた。

圧倒的な戦力差で、敵はあっという間に殲滅され、散り散りに逃げ去っていった。


兵士の中から馬に乗った、一段と立派な体躯の男性が現れ、私たちの前に降り立った。


「申し訳ない。迎えに出たのだが、連絡と違う方角だったため、遅くなってしまった。皆様、怪我はないだろうか。私は、統括責任者の……」


言いながら褐色の髪の彼は、青い瞳で私たちを見回す。

私と目があった彼は、口を開いたまま、固まった。

視力を確かめるようにしたあと、ごしごしと乱暴に自分の目を擦る。


ふと気を取り直して、


「マディラ・シトリ。皆様を守るため全力を尽くすので、いつでも頼ってほしい」


丁重に頭を下げた。

堂々とした態度と裏腹に、幽霊でも見たかのように私の顔を盗み見るマディラ様に、私は、小さく会釈をした。

マディラ様は、ハッとして、私が本物だと気が付いたようだった。

他の人の目があり、まずは都市に入るのが優先で、お互いに何も言わなかった。


軍とともに城砦の門に無事たどり着く。

マディラ様は、入口に立って、一行一人ずつに歓迎と労いの言葉をかけて行った。

私の番になり、目が合うと、マディラ様は、


「よく……来てくれた……」


そう言いながら、そっと私の肩に触れた。

私の実在を確かめようとしたんだと思う。

私自身も、大きな暖かい手でマディラ様の側にいることを体感して、胸が熱くなった。



貧しいながらも心づくしの宴が開かれた後、それぞれの居室に案内された。

石造りの小さな建物だったけれど、私には十分だった。

荷物を解いていると、トントン、と控えめなノックの音がした。

私は慌てて服を整え、扉を開けた。


そこに立っていたのは、鎧を脱ぎ、軍服姿になったマディラ様だった。

昼間の戦場のような緊張感は消えていた。

改めて見ると、あの頃よりも、更に精悍になった顔が戦地の厳しさを物語っていた。

手や顔に傷跡が重なり、心配になった。


「……部屋は、適温か?」


第一声がそれだった。マディラ様らしい。


「はい。大丈夫です」


そう答えると、マディラ様は一歩だけ近付いて、私の顔をじっと見つめた。


「……本当に、パルなんだな」


低く、掠れた声。

私は小さく頷いた。

マディラ様は、胸の奥で何かがほどけるように息を吐き、額に手を当てて、少し俯いた。


「……どうして……こんな危険な場所に来たんだ……」


叱るような言葉なのに、声は震えていた。

私は、静かに答えた。


「医療従事者が足りないと聞きました。私は、ある罪を犯しましたが、マディラ様に恥ずかしくない生き方をしたいと願って参りました」


「罪……」


ぼそりとマディラ様は呟いたが、それ以上何も聞かなかった。


お互い無言の時間が流れる。


「ここは、とても危険だ。特に若い女はなおさらだ。今すぐにでも王都へ帰ってほしい」


マディラ様はそう言って、身を返した。


「長旅で疲れたろう。とりあえず今夜は早く休め」


「はい……」


マディラ様は出口の扉へ手を掛けた。


「君は、来るべきではなかった。軍人としてはそう思う」


もろ手を挙げて歓迎してもらえるとは思っていなかったけれど、マディラ様の背中を見つめて、私の胸は冷たく痛んだ。


「でも……」


扉を開け、もう半分体が出た状態でマディラ様は肩越しに振り返る。


「……君にまた会えて、とても、嬉しい……男としては」


表情は見えないけれど、頬が微かに赤みを帯びていた。

バタン、と扉が閉まる。


(私も嬉しいです)


私は心の中で、もう見えない背中に声を掛けた。



都市へ侵入しようとする盗賊を退けるためだけでも毎日のように怪我人が出た。

医療関係者として、一日中治療に走り回るけど、状況は芳しくない。

医薬品も足りないし、頼みの綱は、結局治癒力。でもそれを支える食料も十分じゃない。

痛みに耐える人たちの側で、話を聞いて、心を込めて体を擦るくらいしかできないことも多かった。


繰り返す失意の日々、自分の心との戦いだった。


マディラ様も、戦略の指揮だけではなく、街の見回りを頻繁におこない、部下や民衆に言葉掛けをして回られていた。

「誕生日おめでとう」そんな些細な言葉でも。


有能な指揮官であるには、人心掌握が大切なのだとよく分かる。


誕生日……。

そう言えば、マディラ様の誕生日は明日だった。ろくにお話しする機会もないし、気の利いたプレゼントも用意できない。でも何か一つでも……そう思って私は仕事の合間に街はずれの丘で花を摘んだ。

小さな青い花。

マディラ様の瞳の色みたい。


マディラ様のいる、軍本部へ向かう。

一度、マディラ様が紹介してくださったので、部下の人たちが中に入れてくれた。


廊下を歩いていると、一人の若い女性とすれ違った。


マディラ様が言う通り、この街には若い女性はほとんど見ない。

戦乱とともに移住した人も多いし、いたとしても、家の中で息を潜めて生活をしているらしい。


それなのに、わざと目立ちたいかのうように派手な格好をした女性で、あげく軍本部にいることに違和感がある。


すれ違いざまに、その女性に声を掛けられた。


「あんた、マディラ様のところに、花売りに行くの?」


「マディラ様のところには行きますが……」


お金をもらうつもりはないけど。


「花をもってなんて、清純ぶって上手いわね。私はマディラ様にはまだ買ってもらえないの。マディラ様ならタダでもいいのに」


”マディラ様”と呼ぶ声が、妙に艶めかしくて気に掛かったが、意味が分からずぽかんとした私を残し、女性は甘い香りを残して去って行った。


その背を見送って、前を向くと、マディラ様が立っていた。


「パル……」


私は全身を見渡す。少し疲労の色は見えるが、最近は怪我などされていないようでホッとする。


少し照れたような表情で、マディラ様は部屋に通してくれながら、


「どうした?」


怪訝そうな私に質問した。


「あの……マディラ様のお誕生日だなと思いまして……花を……」


マディラ様は、一瞬、驚いた顔をしたけれど、小さく笑った。


「ああ、そうだったな。ありがとう」


「いえ……あの……さっきの女性に、マディラ様に花を売りに行くのかと聞かれたんですが……」


私の言葉に、花を受け取りかけたマディラ様がギョッとした。

ゲホゴホと息が詰まったように咳き込んでいる。


「それは……きっ……気にするな……」


「マディラ様に買ってもらえないって嘆いてました。タダでもいいとか……」


さっぱり意味が分からない私は、首を傾げる。

マディラ様は、咳ばらいをして、息を整えた。


「……俺は、タダでも、必要ない」


マディラ様は、頬を赤くしながら、私の目をまっすぐに見つめた。


「……俺の花は……君だけだ……」


花を受け取ると同時にマディラ様は、屈んで私の指先をそっと握った。

大きくて頑丈な手に触れられて、満たされた気持ちになる。


―――私たちは、お互いにまだ体温をもっている。


それだけでも、戦地では幸福だと思った。


「私も、マディラ様ならタダで良いですから」


何となく女性に対抗したくて言った私の言葉に、マディラ様は、爆発したかのように一瞬で耳の裏まで真っ赤に染め上げ、大きな手で自分の額を抱えて部屋の端から端まで忙しなく往復していた。



翌日、私は街はずれの簡易診療所へ向かった。

軍本部の医療所だけでは手が回らず、外縁部の負傷者を診る必要があった。

城砦の影が届かないその一帯は、昼間でも薄暗く、風が吹くたび砂埃が舞い上がる。

兵の巡回も少なく、どこか心細い場所だった。

診療所で応急処置を終え、包帯や薬草を抱えて外に出た瞬間――


「っ……!」


荒い手が背後から私の口を塞ぎ、建物の裏へと引きずり込まれる。

昨日、医療所で暴れていた負傷兵の一人だった。

包帯の隙間から覗く目は血走り、酒の匂いが強い。


「やっと見つけた……女なんて滅多に来ねぇんだ。少しくらい、いいだろ」


私は必死に首を振った。

声が出ない。

喉が凍りついたように動かなかった。

腕に力が込められ、背中が壁に押し付けられる。服を力いっぱい引っ張られて、ボタンが飛んだ。

逃げられない。

誰か――誰か来て。


その瞬間。


「……パル!」


空気が震えた。

大きな影。息を切らし、剣を抜いている。

―――マディラ様だった。

男が振り返る間もなく、マディラ様の手がその腕を掴み、ねじり上げる。


「ぐっ……!」


鈍い音が響き、男は地面に倒れ込む。

マディラ様は一歩も動かず、冷たく冴えわたる剣のような声で言った。


「二度と彼女に近付くな。さもなくば、この場で切る」


男は怯えたように逃げていった。


私は壁に背を預けたまま、崩れ落ちた。


「パル……!」


マディラ様が駆け寄り、上着を脱いで、私に掛けた。


「怪我は……ないか」


「……はい……」


涙が滲む。ガクガクと手足が震える。


「……すまない。君がここに向かったと聞いて……この辺は、軍で抑え切れていない。女性が派遣されること自体、間違いだ……」


マディラ様は、震える私を切なそうに見下ろした。


「……私は……大きくて、怖いだろうか……?」


「え……?」


「君を、抱きしめたいんだが……今、怖い目に遭ったばかりで、もっと怖い思いはさせたくない……」


マディラ様の大きな手が、空を彷徨っている。


震えは止まらないけれど、私は、マディラ様の青い瞳を見上げて言った。


「……抱きしめて、ください……マディラ様……」


マディラ様は、一瞬ハッとした表情をしたあと、泣きそうな顔になった。

そして、手を伸ばし、上着の上から私の体を包み込んだ。


暖かくて、たくましい体。

この胸の中であれば、どんなに危険な場所でも安心できる。そう感じた。


長い間、マディラ様は私を胸に抱えていた。

そして、ぽつり、と言った。


「……私の……妻にならないか……?」


「え?」

ドキリとした。


「さっきの男だけじゃない。いつも君を見る、男たちの視線は気になっていたんだ。

君を早々に王都に返すべきだったのに、つい頼りにしてしまった。

だから、危険な目に遭わせた。大失態だ。

……だが、君がまだここにいてくれるなら、……統括責任者の私の妻だと周知すれば、そうそう危険な目に遭うことはないと思う。……見せ掛けでも」


マディラ様は、腕の中の私を見下ろした。


「見せ掛けの夫婦……ですか?」


私の問いに、マディラ様は罰が悪そうな顔をした。


「弱みに付けこむようで、卑怯だな……もちろん、そうでなくても全力で君を守るが」


「マディラ様……ご婚約はどうなったのですか?」


「ああ、生きて帰れるか分からない男に人生は掛けられまい。破談になるのは何度目かな。こんな男では……嫌だろうか……?」


「嫌です」


私は、思わず口にしたあとで、固まったマディラ様を見て、しまったと思った。


「マディラ様、違います。見せ掛けじゃ嫌なんです。私の懺悔を聞いてください。それでもマディラ様が許してくださるのなら……私で良いのなら、マディラ様の奥さんにしてください」


私は、祈るようにしながらマディラ様に、私の罪の話をした。


マディラ様は、しばらく黙って私を見つめていたが、やがて静かに首を振った。


「パル。……一人で、よく戦ったな」


短いけれど、すべてを覆いつくすような優しい言葉だった。


「見せ掛けというのは、逃げだった……。

……他の男に奪われるのが……君に断られるのが怖くて、そんな情けない言い訳を考えてしまった。

……私……俺は、本当に君を妻にしたい……」


マディラ様は、もう一度強く私を抱きしめた。

私の目からは、安堵と喜びの涙が溢れ続けていた。

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