ときめき殺しの暗殺者

別槻やよい

ときめき殺しの暗殺者


 雪が降りそうなくらい寒い春のある日のことだった。

 私は今日のために念入りに準備をして、逸る心を深呼吸で落ち着けながら目的地に向かっていた。

 空気は痛いくらい冷たいのに顔は紅潮し、心做しか足取りも軽い。

 今日で私の"暗殺任務"がやっと終わるのだ。ここに来るまで本当に長い道のりだった。


 私の任務対象は、とある貴族の男だ。

 彼は創薬研究の第一人者で、普段は王宮にある王家直轄の創薬研究所から一歩も出てこない日陰者だった。

『対した功績を上げるでもなく、これといった不正を働いた訳でもなく、出世も見込めない穀潰し。』

 私の上司、神殿でふんぞり返っている神官たちは彼をそう評価して、長い間放置してきた。


 ――彼が、疫病を治す特効薬の開発に成功するまでは。


「先輩、お待たせしました!」


 私がベンチに座る男に声をかけたのは、向こうが指定してきた時間の十五分前だ。

 時間に厳しい彼を待たせないように配慮したつもりだったが、これでも足りなかったらしい。

 

 これでもし標的の機嫌を損ねて予定が狂ってしまったら、今までの努力が水の泡になってしまう。

 そんな焦りを笑顔の下に隠しながら、私は彼の元に駆け寄った。


「別に待ってはいない。予定時刻より早いのは時計を確認すれば明らかだろう。それより、そんなに慌てて走るな。また転ぶぞ。」


「えへへ、すみません。先輩と外でご飯だなんて初めてで、つい。気をつけまーす。」


 ふん、と鼻を鳴らしながら本を閉じた彼は、おもむろにベンチから立ち上がる。

 そして無言のまま、私に向かって手のひらを上にして差し出してきた。


「あぁ、遅刻の罰金ですか? お財布カバンの下の方に入っちゃってるので、ちょっと待ってくださいね。」


「違う、問答無用で払おうとするな。エスコートだよ。」


 エスコート。この男が、私を?

 半分冗談の気持ちでカバンを漁っていた私は、言われた言葉が理解できずにぽかんと彼の顔を見つめる。

 そんな私の様子を見た彼は、差し出した手をヒラヒラと振ってため息を着いた。


「僕だって貴族の端くれだ。女性をエスコートくらいする。……そんな顔をしてないで早く手を出せ。」


「え、あ、はい。わかりました。」


 猫のようにやわらかそうな金髪の間から、赤く染っている耳が覗く。

 目線の合わない彼のそんな様子を見てしまったせいか、私はつい普段の"馴れ馴れしい後輩の顔"を忘れて、言われた通りに手を伸ばしていた。


 触れた指先が、熱湯に触れた後のように熱い。

 自然と腕を組むように誘導されて、私と彼の体が近付く。

 自ら懐に招き入れた女が自分の命を狙っているとも知らずに、なんとも呑気なことである。

 

 ……まぁ、この瞬間に、

「この人、そんな顔もできるんだ。」

 という呑気な考えしか浮かばなかった私に言えることではないけれど。



***


 

 一緒に食事をして、ついでに街中をふらっと歩いてみたり、道中で気になったお店に入ってみたり。

 腕を引いたり、引かれたり。

 この日の為にとわざわざ買ったスカートが揺れるように、ふわふわとした非日常の時間は過ぎていく。

 やっと集合場所だったベンチに戻る頃には、辺りはすっかり暗くなって、人通りも疎らになっていた。


「いやぁ、先輩って研究だけだと思ってましたけど、結構街のことを知ってるんですね。ちょっとびっくりしました。」


「君は僕をなんだと思っているんだよ。」


「それはもう、研究所に毎日泊まり込みで、一歩でも外に出たら死んじゃうんじゃないかっていう研究一筋の変人さまですかね。」


 私の返事にムッとした彼は、しかし思い当たる節があるのか黙ってしまった。

 そんな彼におかしくなって、私はくすくすと笑った。


「いつも熱心に自分の仕事をこなして、目の届かないくらい遠くで泣いてたり、苦しんだりしている"誰か"のための努力を惜しまない。そんな先輩なので、意外だったんですよ。私なんかと一緒にご飯に行ってくれるなんて。」

「しかも、先輩から誘ってくれたんですもん。驚くなって方が無理ですよう。」


 私はほんの少しだけ、組んでいた腕に力を込める。

 そしてゆっくりとその腕を解いて、彼から少し距離をとった。


 ベンチの隣に立っている街灯の明かりの中で独り照らされる彼と、腰のベルトにナイフを隠して薄暗い夜に紛れる嘘つきの私。

 悲劇作家がなんとも好みそうな、お似合いの構図だった。

 こんなお高くとまった感想が出てくるのも、いつぞや目の前の男に王宮で開かれた絵画の展覧会へ付き添いとして引っ張りだされたせいに違いない。


「相変わらず、よくもまぁそんなお世辞を言えるものだな。聞いてるこちらが恥ずかしい。」


「信用ないなぁ、本心なんですけど。」


「そこまで言えるくせに、なんで自分のことは過小に評価するんだ。今度発表される新薬は、僕と君の共同研究だろう。」


 暗闇の中にいる私に、彼は一歩踏み出してくる。

 同じように一歩後ろへ下がりたい気持ちが顔を出したが、そうすると逃げたようで癪だったので、ただ黙って受け入れるしかなかった。


「……買い被りすぎですよ。私は偶然先輩が求めていた効果の薬草が生えてる地域に生まれただけの平民で、薬だって作れません。できることといえばちょっと力持ちで、材料の準備が人一倍早いことくらいじゃないですか。」


「僕があの薬草に気がつけたのも、僕が研究に打ち込めたのも、全ては君が隣で支えてくれていたお陰だ。これから多くの人々を助けるあの薬は、君の助けなしでは作れなかった。」


 彼は、いつも通りのすまし顔だった。

 私をエスコートしようと手を伸ばした時と違って、恥ずかしそうな素振りひとつない真剣な様子。

 聞いてるこっちが恥ずかしくなるだなんて、どの口が言っているんだ。


「先輩って、ほんとお人好しですよね。何度か調合中の釜の中身を頭に被せちゃった奴を助手にし続けるとか、お人好し通り越して変人です。おかしいですよ。」


「あれがきっかけで生まれた洗髪剤は研究所の予算問題を解決してくれた。なんの問題もない。」


「"天使の輪っか事件"として先輩は酷い目にあったじゃないですか。」


「訂正しよう。被害を被ったのは僕だけなんだから、別にいいだろう。」


 何も良くない。立派な暗殺未遂だぞ。

 毒に対する耐性が高いから助かったものの、一歩間違えれば確実に死んでいた。

 私はあの時、殺す気で毒草の煮汁を被せたのだから。


 こんなにも身近な殺意に気が付かない男は、ナイフに伸ばしかけていた私の手を取って、軽く口付けた。


「せ、先輩!?」


「今回の研究は一区切りついたが、僕は君を助手から外す気はない。僕には君が必要だと気がついたんだ。」


 街灯の明かりを背に受けて、彼は今まで見たことがないくらい柔らかな表情で微笑んでいた。

 胸が痛くて、呼吸が苦しい。

 まるで溺れた時のように、顔に血が集まっているのを感じる。

 

 片方の手は空いていた。

 いつだって、ナイフには届く距離だ。

 利き手ではないが、無防備な相手を刺し殺すには十分だった。


「……そういうの、やめた方がいいと思いますよ。勘違いされたらどうするんですか。」


「むぅ。気持ちを伝えるならこの方法だと、既婚者の同期に教わったんだがな。やはり付け焼刃では正確性に難があるか。」


「ふふふ!ほんとですよ、もう。助手でいてくれって言うだけのことを、まるで愛の告白みたいに言うんですから。先輩は大袈裟すぎます。」


 私はへらりと笑ってそう言うと、手を離そうとした。

 しかし彼は、逆に掴む力を強めると、面白い実験結果が出た時のような顔で私の瞳を覗き込んでくる。

 思わぬ反応に固まると、彼は私の顔にかかる前髪をつまんで、いたずらに成功した子供のように笑った。


「なるほど、ではどちらもちゃんと伝わってはいるようだな。」


「え。」


「僕はそういう意味でも君に好感を抱いている、という意味だ。どちらに受け取るかは君が選んでくれていい。」


 そんな特大級の爆弾を投げてきた彼は、言いたいことを言えてスッキリしたという表情で、あっさり私の手を離した。

 突然のことに面食らった私はその爆弾を抱えることで手が塞がってしまう。

 ……私にナイフを抜かせないためにこんな策を講じるなんて、やっぱり侮れない男だ。



***



 私は任務に失敗した。

 これほどまでにない絶好のチャンスを棒に振った。

 今までの暗殺未遂であれば言い訳が立っただろうが、今回ばかりはそうもいかないことを私自身がよくわかっていた。


 家まで送ると言う彼を何とか言いくるめて帰ってきた下宿先。

 一応平民の身分である私が王宮内にある研究所に住込みできる訳もなく、何とか通える位置に見つけた小さな拠点。

 その立て付けの悪い扉を開けば、案の定が部屋の中で音も立てずに待ち構えていた。


「それがお前の選択か。」


 聞き覚えのある声に、私はへらりと困ったような笑顔を浮かべた。

 顔を隠し、体格を矯正し、個を排除する私たちにとって、声というのは唯一の識別方法だった。


「これでも頑張ったんですけどね。先輩も上にあげた私の報告書、読んでるでしょう?助手の仕事にかこつけた暗殺未遂は十回をとっくに超えてるんですよ。なんで殺せないのかも謎ですけど、どうして今まで捕まってないんだか。」

「そもそもこれ、先輩の任務だったじゃないですか。先輩の顔には傷があるからって理由で私に投げられても上手くいくわけないって、最初からわかってましたよね。あ〜あ、とんだ災難です。私ってば可哀想すぎます。」


 先輩が何も言わないのを良いことに、私は機密もへったくれもなく軽口を叩きまくった。

 どうせ周りの部屋にも同僚が潜んでいるんだろう。でなければ先輩が口を開くわけがない。

 ならば最後まで、"馴れ馴れしい後輩の顔"でいてしまおう。

 

 私はそう思ってニコニコと笑っていたが、先輩の方は少し動揺しているようだった。

 まぁ、それも当たり前か。

 先輩に対してこんな態度をとったのは、今日が初めてなんだから。


「抵抗しないのか。」


 やっと喋った先輩の二言目は、当然の疑問だった。

 客観的に見れば、私は任務対象を暗殺するどころか、薬の開発に手を貸した裏切り者である。

 今後は神殿に対する依存をさらに減らしてしまうきっかけを間接的に生み出した大罪人。

 そんな奴が、こうも平然と姿を表していること自体が不気味だろう。


「しませんよ。だって私、暗殺者としての仕事の誇りも、上への忠誠心だって捨ててないですから。もちろん、先輩への尊敬も。」


「ならば、何故。」


 ――何故、殺さなかったのか。

 ――何故、任務に背いたのか。

 先輩が言いたいのは、多分そんなところだろう。

 そんなもの、私の方が知りたいっていうのに。


「さぁ。もしかしたら、研究所の悪臭で鼻が曲がってしまったのかも。知らないうちに、鼻の利かない無能な犬へ成り下がっていたわけです。」


 肩を竦めておどける私を見つめた先輩は、黙ったまま腰のナイフを閃かせた。

 窓から差し込む月明かりが反射する白銀のそれは、私がずっと隠し持っていたナイフよりも遥かに鋭い。

 黒と白が捻れ合うような特徴的な柄は、組織がわざと痕跡を残すときに使うものだと言うことを私はよく知っていた。


「あれ、もしかして私、ここで殺されるんですか?てっきり処分場送りだと思っていたんですけど。」


「任務対象への見せしめとして死体を残すように、上からの指示が出ている。」


「それはまた、趣味の良いことで。」


 硬い死神の足音に、私は逃げることはせず両腕を広げて微笑んだ。

 武器は持っていない。

 ベルトの隠しナイフは先程廊下に置いてきた。

 ゆっくりと私の腹に差し込まれるナイフの、冷たくて熱い感覚を黙って受け止めながら、私は先輩のことを緩く抱き締める。


「先輩、いままで、お世話になりました。」


 段々力が抜けていく感覚は訓練でもよく経験したものだ。

 今から急いで手当をしてもまだ間に合う、そんな損傷具合に先輩からの信頼を感じる。

 

 私は決して抵抗することなく、そのまま床へと崩れ落ちようとした。

 しかし、なんの気の迷いか、先輩が私を抱き締め返しているせいで上手くいかなかった。


「……お前は。私が、一番期待していた後輩だった。」


 耳元で私にだけ聞こえるように囁かれた言葉に、少し耳を疑った。

 ――先輩って、同僚を殺すときに言葉をかけるタイプだったのか。

 相手が私だったから良かったものの、こんな時に手を抜くなんて、抵抗で殺されたらどうするんだ。


「光栄、です……。」


 内心の無粋な心配を口に出す余裕はなく、私は一言だけお礼を言って目を閉じた。

 痛みよりも、今は酷い眠気に抗うほうが大変だった。



***

 

 

 先輩は動かなくなった私を静かに床に横たえると、適度に部屋を荒らしてから去っていった。

 抵抗の跡がないと不自然だからだろう。

 

 ――最後に余計な手間をかけさせてしまったな。

 そんな後悔が頭に過ぎるのと時を同じくして、私は目線の先にうっすらと緑色の輝きを見た。

 それは今日の外出で何の気なしに手に取った、ペリドットのブローチだった。


「……あ。」


 部屋を荒らしてもらった際に、荷物から転がり出てきたのだろうか。

 私は少し手を伸ばせば届きそうな場所で見つめてくるそのブローチから目を離せなかった。


『君はもう少し飾り気を持った方がいい。』

 

 彼にそう言われて、言われるがままに購入した装飾品。

 正直無駄の極みではないかと思っていたが、これも媚びを売るためだと自分に言い聞かせて適当に選んだもの。

 

 ……なんて建前も、もういいか。


 私は上手く動かない体に鞭打って身を捩った。

 ほんの少しだけしか動いていないのに、目の前が霞んで呼吸が乱れる。

 先輩が上手く避けてくれていた内蔵もその拍子に傷ついて、私は口から血を吐く羽目になった。


 そうまでしてやっと手の内に収めたブローチは、の瞳と同じ色をしていた。


「あ……はは……。」


 あの時は、あまりにも陳腐でありきたりな理由で選んだことを知られたくなかったために、

「私にはこれくらいの値段がお似合いですから。」

 と言ってしまった。

 だからその後先輩がエメラルドの方を勧めてきた時は気付かれていないことに安堵したけれど、ちょっと誤解されていそうで嫌だったな。

 私だって創薬研究所に勤めてたわけで、貯金もできない奴だと思われたかもしれない。

 

 私の手の甲に恭しく口付けをした先輩。

 恥ずかしそうにエスコートをしてくれた先輩。

 新薬完成の目処が立って、思わず抱き合ってしまった時の無邪気な先輩。

 頭から被った毒液のせいで髪の毛がツヤツヤになっちゃった先輩に、薬草の保存処理方法を教えてくれた先輩、それから、それから……。


 思いのほか長い時間を研究所で過ごしていたせいか、私がこの期に及んで思い出すのは、いつも薬品の匂いがする先輩のことばっかりだった。

 胸踊るような楽しいものから、恥ずかしくなってしまうもの、ちょっと腹が立つものまで。

 胸に溢れる思い出は、昔任務で水底に沈めた麻袋から湧き上がる泡のように現れては消えていった。

 

 先輩のことは、ちゃんと馬車に突っ込んで来たから、無事に研究所に帰っているはず。

 だからきっと、大丈夫。

 大丈夫のはずだけど、やっぱり、心配だなぁ。

 最近は私が口に持っていかないとご飯を食べないくらい雑な健康管理をしていたし、部屋の掃除も私任せだったし、お偉いさんとの会話も全部私を介していたんだもん。

 私みたいに都合のいい助手、ちゃんと見つかるかな。

 見つかって欲しいような、でもなんか、悔しいような。


 ……おかしいな。

 こんな痛みは慣れっこなはずなのに、喉が苦しくて、涙が止まらないや。


「せん、ぱい……。」


 はぐらかしちゃって、ごめんなさい、先輩。

 私、とっくに気付いてました。

 先輩が私のこと、どう思ってくれてるのか。

 なんで私が先輩のこと、殺せなかったのか。

 ずっと前から、わかってたんです。


 返事ができなくて、ごめんなさい。

 想いに応えられなくって、ごめんなさい。

 いままでたくさん殺してきたこの気持ちだけは、一緒に連れていきたかったんです。

 わたしの人生で、やっと貰えた宝物だから、先輩にもわたせませんでした。


 夜の空気は酷く寒くて、私はもう目を開けていられなかった。

 暗い穴の中に吸い込まれるような眠気が、全身の感覚を奪っていく。

 しかし、手の中にあるブローチの感触だけは、不思議と最後まで消えなかった。

 私はそれで、胸に秘めたときめきがやっと誰の手にも渡らないことに安堵して、ゆっくりと最後の息を吐き出した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 疫病の特効薬を生み出した研究者が次に開発した新薬は、この国の誰もが一度はかかる熱病の鎮痛剤として多くの命を救いました。

 これは今まで神殿に依存していた医療体制から脱却する契機となり、その後の医学史に名を刻みました。

 その新薬に付けられた名前は、研究者の助手を務めていた女性のものだと言われています。


 なお、研究者の個人研究室には奇妙な噂が残されています。

 曰く、誰も立ち入りを許されていないはずのその部屋で話し声が聞こえた。

 扉の隙間から女性の人影を見た――と。

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