第24話 【幕間3:隠蔽工作】
数日後。教国の中枢にある円卓会議室。
窓のない石造りの空間には、冷え切った香油の匂いと、行き場を失った焦燥が澱(おり)のように沈殿していた。呼吸をするたびに、肺が重くなるような閉塞感。
「奪還失敗。……および、暗殺も失敗。……工作員は、全員が生還しました」
報告する司祭の声は、自らの死刑執行書を読み上げるかのように震えていた。
『全滅』であれば、まだマシだった。殉教として処理できた。
だが、『生還』は最悪だ。生き証人が持ち帰った情報は、教会の正義を根底から覆す猛毒だった。
「聖女は洗脳などされていなかった」「彼女自身の意志で、我々を攻撃した」「勇者もそこにいた」
それらの証言は、すでに噂となって地下水脈のように広がりつつある。
箝口令は敷いた。だが、人の口に戸は立てられない。
枢機卿は、こめかみに浮き出た青い血管を、白手袋の指で強く押し込んだ。ズキズキと脈打つ頭痛は、組織の癌が進行している警告音のようだ。
「勇者まで抱き込んだというのか……? 奪還もできず、口封じもできず……あのダンジョンは、一体どうなっている?」
物理的な戦力(デスナイト)、魔法的な知識と権威(聖女)、そして民衆の支持基盤(勇者)。
それらが、底知れない意思によって統率されている。単なる魔物の巣窟ではない。独立国家に等しい脅威だ。
正面衝突すれば、こちらの被害は甚大になる。何より、「聖女と勇者が敵に回った」という事実が露見すれば、教会の権威は失墜し、内乱の引き金になりかねない。
手詰まりだ。
「枢機卿! もはや猶予はありません!」
強硬派の将軍が、テーブルを叩いて立ち上がった。その剣幕に、周囲の空気がビリビリと震える。
「こうなれば、殲滅部隊を投入すべきです! 数千の軍勢でダンジョンを包囲し、物理的に圧殺するのです! たとえ勇者がいようと、数で押し潰せば――」
「黙れ、愚か者」
枢機卿の声は、氷のように冷たかった。一瞬で、熱り立った場が凍りつく。
「軍を動かせば、どうなるか分からんのか? 『聖女と勇者が敵側にいる』という事実が、数千の兵士たちの目に晒されることになるのだぞ」
「そ、それは……」
「兵士は動揺し、信仰は揺らぎ、軍の士気は崩壊する。……それに」
枢機卿は、白手袋の指先で、机をトントンと規則的に叩いた。それは苛立ちの音ではなく、冷徹な計算機が弾くリズムだ。
「万が一、騎士団が壊滅させられた場合、その損失は計り知れない。装備の再調達、兵員の育成コスト、そして何より『教会が敗北した』という事実が、魔族に対する抑止力を失わせる。……コストが、合わない」
「で、では……放置するのですか!?」
「放置ではない。『封じ込め』だ」
枢機卿の脳内で、商人としての冷徹な計算が弾き出される。
デスナイトには「ダンジョンから出てこない」という明確な行動特性がある。こちらから手出しをしなければ、害はない。ならば、彼らを「世界から隔離」してしまうのが、最も安上がりで確実な解決策だ。
「――損切りだ」
彼は懐から地図を取り出し、赤いインクをたっぷりと含ませた筆を執った。
辺境のダンジョンを中心とした広大なエリア。
そこを、無造作に、乱暴に、赤く塗りつぶしていく。まるで、地図の上から血を流すように。
「殲滅部隊の投入は見送る。本日をもって、この地域を『S級危険指定区域』に認定する。および、致死性の疫病が発生したとして、完全封鎖を行う」
「か、隔離ですか?」
「そうだ。誰も入れるな。誰も出すな。そこにあるのは『死』だけだということにしろ」
枢機卿は、赤く染まった地図を冷ややかに睨みつけた。
存在を認めなければ、それは存在しないのと同じだ。臭いものに蓋をする。組織が生き残るための、最も原始的で、最も確実な防衛策。
「聖女は死んだ。……いや、最初からあそこには何もなかったのだ。いいね?」
「は、はい……!」
枢機卿は革張りの椅子に深く沈み込んだ。敗北だ。だが、組織は守られた。
彼は窓の外、遠く辺境の空を見上げた。
あそこはもう、教会の手が届かない「異界」だ。二度と関わることはないだろう。そう自分に言い聞かせ、彼は目を閉じた。
こうして、デスナイトのダンジョン周辺は、軍事侵攻という最悪の事態を回避した。
公式の地図から抹消され、死の土地と定義されることで。皮肉にも彼が望んでいた通りの、誰にも邪魔されない「不可侵領域」としての地位を確立することになったのだった。
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