第23話 【幕間2:反社組織】
深夜三時。ダンジョンの最深部は、換気口から漏れる風切り音だけが支配する、完璧な静寂の中にあった。
だが、その平穏は、脳髄に直接突き刺さる無機質な電子音によって、暴力的に引き裂かれた。
《警告:エリア1、および換気ダクト内に侵入者反応。……生体反応8、武装あり。高レベルの隠密スキルを検知》
リビングのソファで泥のように微睡んでいた俺の思考が、最悪の形で覚醒させられる。
またか。
俺は存在しない瞼の裏で、深く、重い精神的なため息をついた。今は深夜だぞ。この世界には労働基準法という概念が実装されていないのか。
幻の胃が、キリキリと収縮するような不快な幻肢痛を訴える。
しかも「隠密スキル」だと? 正面玄関から来ない客ほどタチが悪いものはない。表に掲げた『セールスお断り』の看板が読めないのか?
俺は軋む腰を上げようとしたが、それより早く、廊下をドタドタと走るデリカシーのない振動が近づいてきた。
「師匠! 敵襲ですね!? 僕が行きます! 師匠はゆっくりしていてください!」
その目は、新人研修を終えた直後の新入社員特有の、根拠のない使命感でギラギラと輝いていた。
俺はサイドテーブルから筆談ボードをひったくり、走り書きして突きつける。
【タノム シズカニ ヤレ】
だが、俺が掲げるよりも早く、彼は風のような速度で飛び出していった。残されたのは、舞い上がる埃と徒労感だけだ。
……元気だな。
まあいい、あいつに任せておけば、少なくとも害虫駆除は完了するだろう。
俺は再び、愛しいソファの窪みへと沈み込もうとした。
だが。
《警告:侵入者、対アンデッド用結界を展開中。……防衛システムの一部に干渉を確認》
なんだと?
ただの盗賊じゃない。対アンデッド術式となれば、答えは一つ。教会の連中か。
俺はガシャンと硬質な音を立てて立ち上がった。
俺の家のセキュリティシステムをハッキングしようとする輩は、万死に値する。
これは正当防衛だ。不法侵入者に対する、法的に正しい排除行動だ。
俺が大剣を掴んで通路に出ると、そこには意外な人物が立っていた。
聖女だ。
純白の木綿の寝間着の上に、よれたカーディガンを羽織っている。手には愛用の錫杖。
生活感あふれるその姿とは裏腹に、月明かりに照らされた横顔は、凍てついた刃物のように鋭かった。
「……デスナイト様」
その瞳には、かつてのような迷いも、怯えもない。あるのは、冷たく静かな覚悟の光だけだ。
「あれは……教会の『掃除屋』たちです。私を……『回収』しに来たのでしょう」
彼女の声が微かに震える。それは恐怖ではない。古巣に対する諦めと、引き金を引く前の緊張に似た、決別の震えだ。
「彼らは、不意討ちや暗殺の類にも長けています。勇者様だけでは……搦め手を使われて、出し抜かれるかもしれません。私も行きます。……私の責任です。私が、終わらせます」
その目を見て、俺は「戻れ」とは言えなかった。
これは彼女自身の戦いだ。過去の自分との決別。通過儀礼(イニシエーション)なのだ。
俺は無言で頷き、顎で出口をしゃくった。
――行け。
*
ダンジョンの入り口付近。
闇に紛れた黒衣の集団が、勇者を取り囲んでいた。
「A班、拘束。B班、視界封鎖」
無駄のない連携。聖なる鎖や封印札が、計算された軌道で次々と投擲され、勇者の四肢を絡め取ろうとする。
「くっそ! ちょこまかと……うまく動けないぞ!」
勇者が剛剣を振るうが、彼らは影のように躱し、死角へと回り込む。正面からの力押ししか知らない勇者にとって、最も相性の悪い相手だ。
「確保(プランA)だ! こいつの相手は3名、残りは聖女の身柄を抑えろ! 顔には傷をつけるなよ!」
リーダー格の男が叫ぶ。彼らの手には捕縛用の網と、麻痺毒の塗られた針が光っていた。
だが、聖女が姿を現した瞬間、戦況は一変した。
「――『解呪(ディスペル)』ッ!!」
凛とした声が夜気を切り裂く。
パリンッ!
同時に、侵入者たちが展開していた隠密結界や身体強化魔法が、物理的なガラス細工のように砕け散り、光の粒子となって霧散した。
「なっ……聖女様!?」
「馬鹿な、我々の術式を一瞬で……!?」
そこに立っていたのは、杖を薙刀のように構え、仁王立ちする聖女だった。
彼女は、かつての同僚たちを冷たく見据える。
「貴方たちの手口も、術式の癖も、全て知っています。……この場所での狼藉は、私が許しません」
「聖女様、お戻りください! 枢機卿がお待ちです!」
「断ります。私はもう、貴方たちの道具ではありません」
彼女の拒絶は決定的だった。迷いのない言葉が、彼らの忠誠心を逆撫でする。
リーダーの男の目が、瞬時に冷酷な色へと変わる。
「……交渉決裂か」
男は懐から、禍々しい輝きを放つ短剣を抜いた。任務の優先順位が書き換わる。
「プランBへ移行する! 対象を処分せよ! 連れて帰れないなら、ここで神の御許へ送ってやれ! 聖浄を開始する!」
一斉に殺気が膨れ上がる。捕縛用の網が捨てられ、致死性の武器が構えられる。彼らはもはや回収者ではない。暗殺者だ。
「死ねぇぇッ!」
一人の男が、隙を突いて聖女へと肉薄する。短剣の切っ先が、彼女の喉元を狙う。
俺は介入しようと大剣に手をかけた。だが、それより速く、聖女自身が動いた。
「私に敵うと思うのかッ!」
彼女が杖を一閃させる。先端に込められた光魔法が、近距離で衝撃波となって炸裂する。
ドォンッ!
男の体は枯葉のように吹き飛び、石壁に叩きつけられた。
「ぐわぁっ!?」
魔法の支援を失い、殺意を剥き出しにして直線的に突っ込んできたことで、彼らの動きは単調になった。こうなれば、勇者の独壇場である。
「おおっ! 殺気のおかげで動きが読める! ありがとうございます聖女様!」
勇者が加速する。
聖剣の腹が男の鳩尾(みぞおち)にめり込み、裏拳が顎を砕く。ドカッ、バキッ、ズドン! 漫画のような効果音と共に、侵入者たちが次々と無力化されていく。
プランBを実行しようとした彼らは、皮肉にもその殺意ゆえに隙を晒し粉砕された。
俺が出る幕もなかった。実は……強いんじゃないか? こいつら。
わずか数分後。そこには、完全に無力化され、縄で縛り上げられた侵入者たちの山が出来上がっていた。
「……処分は、どうしますか」
聖女が縛られた男たちを見下ろして呟く。その表情は痛々しいほどに硬い。かつての仲間を自分の手で断罪したのだ。
俺は彼女の肩に手を置いた。ポン、と軽く叩く。
【ヨクヤッタ モウイイ】
俺は男たちの一人の胸倉を掴み、入り口の外へと放り投げた。
次々と、生ごみを廃棄するように放り出していく。殺しはしない。
だが、生きて帰れば、彼らは「聖女の生存」と「明確な敵対意思」、そして「暗殺すら失敗した」という事実を報告することになる。それが、教会にとって最大のダメージになるはずだ。
屈辱を持ち帰れ。そして二度と来るな。
「……行きましょう、デスナイト様。お茶を淹れます」
聖女が、少しだけ泣きそうな、けれど晴れやかな顔で微笑んだ。
俺たちは重い扉を閉ざし、鍵をかけた。
カチャリ、という金属音が、外の世界との完全なる断絶を告げる。
これで、しばらくは静かになるだろう。
少なくとも、お湯が沸くまでの間くらいは。
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