翡翠の瞳は隠さない~血霞の侯爵に選ばれた虐げられ令嬢は辺境の地で溺愛されながら翡翠の瞳で歪みを照らす~
凪砂 いる
第一章|翡翠の瞳は嗤われる
第1話 翡翠の瞳は嗤われる
だから私は、ずっと目を伏せて生きてきた。
――その日、血霞の侯爵に出会うまでは。
「あなたの翡翠色の目、本当に気味が悪いわね」
「ファルネーゼ侯爵家の
すれ違いざまに誰かが肩をわずかにぶつけ、嘲笑うように呟く。周囲からクスクスと笑い声が静かに、刃物のように突きつけられる。
そのようなことは、もう言われ慣れた――今更、何を言われたところで私の心は動かない。
彼女らを無表情でちらりと見上げると、まるで怪物でも見たかのような震えた目で、私を見つめている。
私は、肩をさっと払い、何事もなかったかのように立ち上がって歩き出す。
そして、誰もいないところでふぅ、と深い溜め息をつき、目を閉じる。
「不吉な子」
「オルドラン伯爵家が傾いたのは、あの子が生まれたからよ」
学校で囁かれるだけではない。大人たちも、私の瞳を見るたびにそう囁く。
慣れていても、胸は苦しくなり、目から熱いものがこぼれてくる。――しかし、もう、慣れた。
私はふと、渡り廊下から視線を感じ、顔を上げた。
黒い外套を着た男性の淡い茶色をした髪がさらっとなびき、射抜くように私の方を見ている。
彼は、私の瞳の色を見て何も思わないのだろうか?
私が疑問に思っていると、その男性はふっと微笑み、数人の教師を伴い校舎へ入っていった。
(私の目を見て、あんな優しい表情をする人、初めて見た……)
冷え切って、何も感じることはないと思っていた心に、かすかな熱が灯る。
『彼』の視線は、凍りついたものを少しだけ溶かしてくれた。
教室で、
「……今日、ファルネーゼ侯爵様が視察にいらしているみたいなの」
教室の空気がぴんと張り詰め、次々に震えた声で話す。
「『血霞』のお方……!」
「嫌、恐ろしいわ」
周囲の顔色が途端に青ざめる。
(『血霞の侯爵』――敵対するものは身内ですら手にかける)
私は、以前耳にしたことのある噂を思い出していた。
手元に視線を落とす。
翡翠の瞳を無意識に隠す――それが私の生き方だ。
授業が終わり、私は足早に教室を後にする。
その時、廊下の向こうから先ほどの男性がこちらに向かってきた。
(もしかして――あの方が)
男性は、私の目の前で足を止めた。
彼のその視線に、私は蛇に睨まれた蛙のように背筋が粟立ち、全身に冷たいものが走るというのに、なぜか目を逸らせなかった。
「あの、何か……ご用でしょうか……?」
おそるおそる呟く私に、彼は首を振って微笑んだ。
そして、私の瞳をまじまじと覗き込み、その後、彼の瞳がわずかに揺れる。
当たり前じゃない。私は『翡翠の瞳』を持つ人間。化け物扱いされるのはもう――。
「翡翠の瞳……まだ、この国にいたのか……」
「へ?」
てっきり忌まわしいなどと言われることは覚悟の上だった。
私はこれまで生きてきて瞳の色を侮蔑以外の言葉で聞いたことはない。
しかし、男性の言葉は、意外なものだった。
「それを呪いと呼ぶ者は、何も知らない」
初めて聞く言葉に思わず私の心が音を立てて動く。何も知らない……? この瞳が?
私は、視線を床の方へ向け俯く。
「でも、この国では……災いを呼ぶ、と」
彼はふっと微笑みながら私の瞳を見据える、なぜか不思議と視線を逸らす気にならない。
「申し遅れた。私はアウレリオ・ファルネーゼ――『血霞の侯爵』と呼ばれている。失礼だが、君の名は?」
血霞の侯爵――。
先ほどまで教室を震わせていたその呼び名が、今は不思議と恐ろしく聞こえなかった。
私は一瞬だけ迷い、それでも視線を落とさずに口を開く。
「……アリーチェ・オルドランと申します」
その瞬間、彼の瞳がわずかに揺れた。
「やはり、オルドランか」
低く落ちたその声に、胸がひどくざわめく。
彼の視線は、もう逃がさないと絡め取るように私を射抜いていた。
――どうして、私の名を知っているの?
その答えを、私はまだ知らない。
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