第30話(最終話):落としてください(30/30)



00:00。

本殿の前の空は、相変わらず白かった。

夜の白さじゃない。

病院の白さでもない。

“紙”の白さだ。


僕は白い箱を抱えて立っていた。

ラベルは黒い文字で、はっきり読める。


あなた(増)


神社の鈴は鳴っていない。

でも空気だけが、鳴っていた。

儀式が始まる前の、静かな騒音。


スマホが震える。


> 最終確認

推奨:あなたを落としてください

推奨:拾わないでください




落とせ。

拾うな。

これが最後の矛盾だ。


本殿の横に、木箱が二つ並んでいた。

朱印が押され、札が貼られている。


回収箱(あなた)

回収箱(落)


……落。

“落とす側”の箱。

箱があるということは、役割も保管される。

誰かが落とし、誰かが拾い、誰かが返し、そして誰かが落とす。


円環。

出口のない、丁寧な地獄。


背後に人の気配があった。

振り向かなくても分かる。

一定の距離、一定の温度。


自治会の女性。

高橋。

拾いもの好きの男。

そして——見知らぬ住民たち。

全員、スマホを構えている。

“見ないでください”と言いながら、町はいつも見ている。


自治会の女性が柔らかく言った。


「お疲れさまでした」

「最後です」

「……見ないでくださいね」


最後。

最後という言葉が、いちばん嘘っぽい。


高橋が淡々と言う。


「確認」

「あなた(増)を落とす」

「拾わない」

「成立させる」


拾いもの好きの男がタブレットを差し出した。

画面には、簡単すぎる手順。


「最終手順」


1. 箱を落とす



2. 落とした“あなた”を見ない



3. 拾わない



4. “脱”として承認される




承認。

評価の街みたいな言葉。

星じゃなく、役割で承認される。


僕は箱を抱えたまま、回収箱の前に立った。

中に入れるんじゃない。

“落とせ”だ。

入れたら返却。

落としたら呪い。


箱の底が、かすかに震えた。

呼吸。

中身が“あなた”として、まだ生きている。


耳を当てると、声がした。

僕の声。

でも僕じゃない声。


「……見て」

「……拾って」


拾って。

拾わないでくださいと言われた瞬間に、拾ってが来る。

矛盾は僕の中に巣を作って、僕の手を動かす。


僕は目を閉じた。

閉じたって見える。

見えるのは“像”じゃなく“知ってしまうこと”だ。

知ってしまうと確定する。

確定すると増える。

増えると町が安定する。


自治会の女性が、少しだけ声色を変えた。


「落としてください」

「あなたのために」


あなたのために。

最悪の優しさだ。

人を縛る時に一番便利な言い訳。


僕の喉が動いた。

謝罪が出そうになる。

でも声はもう僕のものじゃない。

出たら、丁寧な言葉が勝手に並ぶ。


——だから、声を使わずに決めた。

“落とす”の意味を、町が想定していない形にする。


僕は箱を、地面に落とさなかった。

回収箱にも入れなかった。


代わりに、箱のラベルを指で剥がした。

「あなた(増)」の文字が剥がれて、白い紙片になった。

それだけで場の空気が一瞬止まる。

止まると言うな。

でも止まった。


ラベルの下から、別の文字が出てきた。

最初から印刷されていたみたいに。



箱は、最初から“脱”だった。

僕が名前を返した時点で、残りは全部確認作業だった。

“あなた”は餌で、僕は器だった。


住民の誰かが、小さく息を呑んだ。

その息の音が、やけに嬉しそうに聞こえた。

町は、驚きが好きだ。

驚きは声を生む。

声は回収される。


高橋が初めて苛立った声を出した。


「剥がすな」

「それは、順番が違う」


順番。

町の宗教は、順番を守ることだ。

順番を壊すと、成立がズレる。

ズレると困る。

困ると“補正”が必要になる。


自治会の女性が、笑顔のまま言った。


「大丈夫です」

「補正できます」

「落とす側が足りないだけです」


足りない。

そういうことか。

落とす側が足りないから、僕が落とす側になる。

拾う側から落とす側へ。

呪いの継承。


僕はラベルを握り潰した。

握り潰すと言うな。

でも潰した。

紙が汗で湿り、手の中で“名前のないあなた”になっていく。


スマホが震えた。

いつもの、冷たい確定。


> 補正:開始

推奨:抵抗しないでください

あなたは落とす側です




落とす側。

承認されるというより、割り当てられる。


その瞬間、本殿の鈴が勝手に鳴った。

ジャラ……と一度だけ。

誰も触れていない。

触れたのは“成立”だ。


住民たちのスマホ画面が一斉に光った。

通知が届いたのが分かった。

僕のじゃない。町全員の。


そして、彼らは同時に口を動かした。

声は揃っていないのに、意味だけが揃っている。


「拾ってください」


……僕に向かって。

僕を拾え。

落とす側の僕を、拾い直せ。

拾い直して、また返して、また落として、また拾って。

循環を回すために。


自治会の女性が、静かに言った。


「“落とす側”は、表に出てはいけません」

「落とす側は、町の外に“落とす”担当です」

「だから——あなたは、外へ行きます」


外へ行く。

外とは何だ。

町の外に落とすって、どういう意味だ。


拾いもの好きの男が、地面に何かを置いた。

白い封筒。

表に黒い文字。


配達先:外


外に配達。

落とし物は配達される。

落とす側が配達物になる。


高橋が、僕の背中を押した。

押すと言うな。

でも押された。

押される感覚が、最初の頃の“回覧板の圧”と同じだ。

人間が紙に戻る時の圧。


僕は抵抗しなかった。

抵抗しても成立するから。

成立するなら、せめて形を選ぶ。


僕は最後に、回収箱(落)の前に立った。

箱の蓋が少し開いている。

待っている。

待つものは動かないはずなのに、待つものは確実に僕を呼ぶ。


タブレットが、最後の表示を出した。


「落とす側:登録」

推奨:あなたを落としてください

推奨:拾わないでください

※あなたが落ちると、町は安定します


安定。

また安定。

安定のために、誰かが削られる。

それがこの町の仕組みだ。


僕は——箱(落)に、箱(脱)を入れなかった。

入れない。

落とす。

だから、箱の前で、手を離した。


ラベルを剥がされた白い箱は、僕の腕から落ちた。

コトン。


落とし物の音。

僕の人生をずっと引っ張ってきた音。


その瞬間、胸の奥が“空っぽ”になった。

名前を返した時より、声を燃やした時より、もっと空っぽ。

空っぽというより、誰かに中身を抜かれた。


住民たちは、箱を見ないように目を逸らした。

でも全員、スマホで撮っていた。

見ないで、撮る。

矛盾を技術で解決する。

町は賢い。

賢さは残酷だ。


自治会の女性が、満足そうに頷いた。


「落下、確認」

「拾得、未成立」

「……完了です」


完了。

完了と言われた瞬間、背中が冷えた。

完了の後に、いつも次が来る。


スマホが震えた。

僕のじゃない。

住民全員のスマホが、一斉に震えた。

同じ通知が行き渡ったことが、音で分かった。


そして自治会の女性が、最後の一文を読み上げた。


「次の方へ」


住民の中の誰かが、思わず声を出した。


「え?」


その声は、すぐに別の声にかき消される。

町の声。

紙が擦れる声。


「拾ってください」


——僕は見たくなかったのに、見てしまった。

箱の白い蓋の隙間から、ほんの少しだけ覗いたものを。


中に、カードが落ちていた。

硬いカード。

免許証みたいなカード。


印刷されていたのは、名前じゃなかった。


あなた


そしてその下に、小さく。


拾得礼:1

提供者:脱


最初に戻る数字。

町は、最初に戻すことで終わりに見せかける。

でも終わりは、始まりの形で続くだけだ。


僕の背後で、誰かが箱に手を伸ばす気配がした。

拾う。

拾った瞬間、その人の“役目”が始まる。

返すほど深くなる。


僕は声を出せなかった。

声はもう僕のものじゃない。

だから、口の形だけで言った。


「……やめろ」


でも誰も止まらない。

止まらないと言うな。

でも止まらない。

町は安定を選ぶ。

個人は揺れる。

揺れるものは、回収される。


最後に、僕のスマホだけが静かに震えた。

画面に出たのは、今までで一番短い通知。


> 拾ってください




(最終話・終わり)

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拾ってください ぼくしっち @duplantier

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