完成度が高い。昭和の文学風である。
それが路面電車というレトロ感のあるお題によく合っている。
課題が「路面電車で春を待つ」ならば、幼稚園児が描くようなのどかで明るい光景、通学途上での若者のアオハル、或いは老人の想い出話、だいたいこのあたりが最初に想い浮ぶ。
直截で単純な印象ではあるが、これをこのまま、素直に書くのももちろんありだ。
しかしこの作品は寒々しいのだ。
師走の、しかも夕刻である。
せかせかと襟をかき寄せて帰宅を急ぐ人々と、クリスマス時期特有の街の電飾のあかり、重たく頭上に垂れこめた冬の空と、歳末大売り出しのアドバルンまで見えてくるようなのだ。
そんな街で主人公は、燐寸売りの少女ならぬ、「マッチ売りの青年」と出逢う。
主人公は青年が売っているマッチをすべて買い上げてやる。
青年は「あっそう」という態度でマッチを売り渡し、主人公に、なぜこんな場所でマッチを売っているのかを語る。
そしてその話は作り事だという。
善人丸出しの主人公は青年の話が作り事であったことに喜ぶのだが、しかしラストは冬のままに閉ざされているのだ。
最初から最後の一行まで、びしっと決まっていて、練度が高く、作者の頭の中にはしっかりと現場の絵が見えているのだろうことが読み手にも伝わってくる。
声高に何かを説明するでもない中に、当時あったであろう社会の貧富や不条理、人生順風満帆といわんばかりの篤志家に対して、斜に構えている青年の、ひねくれきれぬ若い心や、人生への未練などが滲み出てくる気がする。
青年は春を待ってはいる。待っているのだが、すでにその希望も、燐寸の火のように凍えて尽きた感がある。
しかしまた同じ場所で彼はマッチを売るのだろう。
もろびとこぞりて。まちびときたらず。
行き交う路面電車がはこぶ人々の倖せを、僻みながら、眺めているだけで疲れながら、それでも地べたから眼を離せずに。
文句なく良作。
これを国語の教材にするならば、「翌日、青年は主人公との約束を果たし、同じ場所にいると思いますか?」とわたしならば児童に問う。
出張先の街で「私」は、一人の青年を見た。
彼は路面電車の駅で敷物を敷き、マッチを売っていた。
一度はマッチを断ったが、気になって青年に声をかける。
募金箱を持つご婦人に躊躇せずお金を入れる描写、そして次の瞬間には家族のことを想うことからも、主人公は善良な人なのだろう。
対する青年からは、嘘と本当をない交ぜにして自分自身をはぐらかすような態度が垣間見える。
そんな青年からは人を安易には信用しない人物像が浮かび上がる。
そんな青年と、ただただまっすぐに善良な大人が出会って短い会話を交わす。
ただそれだけであるにも関わらず、とても心を揺さぶられるものがあった。
読みながら青年の嘘と本当に翻弄され、最後には青年に春風が吹くことを願わずにはいられなくなる。
ぜひご一読ください。
ストーリー全体を通じて感情を右に左に揺さぶられてしまいました。実に見事な筆運びです。
雪降る停車場でマッチ売りの青年に出逢った主人公。淡々と会話を重ねるなかで、青年がそこで妹を待ち続けていることを知る――。
「路面電車で春を待つ」というお題に合わせて執筆されたそうですが、全くそうは思えない違和感のなさ。感動掌編として非常に高い完成度を誇っています。
どこか温かくどこか冷たい筆致で綴られる物語は、短い文字数の中で二転三転。静かに明かされたラストにはグッと胸を締め付けられる思いがしました。
2000字という制限字数を余すところなく使いきり、内容も無駄なく引き締まっています。
サクッと読めて心を動かされる物語を欲している方は是非ご一読ください!