第80話 三条河原に響くノミの音
大阪城を出た万吉は三条河原にいました。秀次の妻子が処刑された場所です。どうしてこんなおぞましいところにきたのか万吉にもわかりませんでした。
そこで万吉はある老人を見ました。その老人はブツブツ何かをいいながら何かをしていました。
「竹阿弥さん!」
「万吉さん」
振り返った竹阿弥は泣いていました。
「これを見てくれ」
その石塔には「悪逆非道秀次」「畜生秀次」と彫られていました。
「秀次は死んてまでこのように貶められるほどのことをしたんじゃろうか」
「秀次の子どもたちはこんなわしをじじ様と言って慕ってくれたんじゃ。あの子たちやその母親、他の妻たちが何をしたというんじゃ」
そう言えば聚楽第でこの方と子どもたちはよく遊んでいた。
「何もしていません。秀次様は関白としてなさねばならないことをしようとしただけです。あの方の妻子には何の罪もありませんでした」
「だったら、なぜじゃ。こんなことなら仲のいうとおりにしておけばよかった」
「大政所様?」
「日吉が出世して、わしらを呼び寄せてくれた時、仲は言ったんじゃ。このままでいい。貧しくてもここで家族で笑いおうて暮らしていければええと。そのとおりじゃった。だが、わしが母なら、姉、弟妹なら日吉の出世を祝ってやれと言ったんじゃ。言わねばよかった。わしが皆を殺したようなものじゃ」
「それは…竹阿弥さんのせいでは…」
「いや…わしのせいじゃ。秀長は次はもう兄の弟には生まれきたくないと言って死んだ。旭は次は甚兵衛殿と最期まで添い遂げたいと言って死んだ。二人ともわしが殺したんじゃ。そして…今度は秀次たちじゃ」
「………」
万吉にはかける言葉が見つかりませんでした。ふと見ると竹阿弥は石塔にノミを入れていました。
「何をして…」
「何が悪逆非道じゃ…何が畜生じゃ」
どうやら石塔に刻まれた文字を削り取っているようでした。
「竹阿弥さん、ノミはありますか」
竹阿弥は万吉に黙ってノミを渡しました。
二人は石塔に刻まれた文字を削り始めました。
「竹阿弥さん…父…いえ…親というのは他を犠牲にしてでも子どもが可愛いものなのでしょうか」
「日吉のことか」
「いえ…私の父のことです。秀吉が言ったんです。私の父は私を守るために大勢の者を死にやったと…」
「それで…万吉さんは自分のお父上が嫌いになったのか」
「わかりません。ですが、今まで私にとって父はバカがつくほどお人好しで優しくて慈悲深くて、私の誇りだったんです」
「日吉が言ったのが万吉さんの父上なら、今まで万吉さんが誇りに思ってきた方も、また、万吉さんの父上じゃろ。二人も自分の子を死に追いやったわしが言えた義理ではないが」
「………」
石塔の文字が削り終わった時、日はとっぷりと暮れていました。
「万吉さんはこれからどうなさる」
「長浜に帰ります。そこには父の墓も妻の墓もありますから。お師匠様の墓も…竹阿弥さんは…?」
「わしか…わしはとものところへ行こうと思っとる。三人の子どもや孫までも、すべてを失ったんじゃ。さぞ、気落ちしておるじゃろ。あれの亭主も讃岐に流された」
「秀次様の父上までも…」
「わしが行ってもどうなるものではないが、拙い茶を点てて慰めてやることはできる」
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この作品における歴史的事実との相違
浅井万福丸
歴史上、10歳で織田信長により処刑されています。万福丸という名前も確かではないようです。
名古屋山三郎
この作品では豊臣秀次に仕えていますが、彼が仕えていたのは蒲生氏郷です。
千丸
阿閉貞征の子どもですが正確な名前はわかっていません。浅井長政によって処刑されたと言われています。
茶々(淀殿)
この作品では政治的に才を見せていますが、実際は政治的素養はなかったようです。
鶴松の前に懐妊していたという史実はありません。
秀頼
この作品では淀城で生まれていますが、実際は大阪城で生まれたようです。
豊臣秀次
石塔の文字が削られたのは江戸時代に入ってからです。角倉了以によって削り取られました。
文字は秀次悪虐塚
豊臣秀次が朝廷を動かそうとした事実はありません。
石田三成 藤堂高虎 片桐且元と浅井長政とのかかわりは創作です。接点はあまりないようです。
この作品は史実と違うところが多くあります。
その他、いろいろ、矛盾点はあるかと思いますが、物語として楽しんでいただければ幸いです。
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