『三国志演義』という物語の中盤に「主人公の養子」として登場し、各場面で武芸に秀でた武将として名前こそ上がるものの、脇役としての出番が続き、やがて身の処し方を誤ったことにより、味方に死を命じられるという非業の結末を迎える。
この作品はそんな「劉封」という武将を中心に展開する歴史改変物語であるにもかかわらず、主人公は「劉封」ではなく、その影である「側近」という設定がお見事。
・「劉封」の物語だが、「劉封」自身は転生モノにありがちな軍師役にならない
・「劉封」ほどの地位が主人公に無いので、主人公の発言力がなかなか大きくならない
・「劉封」は義父の劉備に忠誠を向けるが、主人公の忠誠が向く先は「劉封」である
・「劉封」にとって同僚は味方だが、主人公にとって「劉封の同僚」は必ずしも味方ではない
という「側近」という立場から生まれる諸設定が『三国志演義』という有名作品を下敷きにしている物語」でありながら、「物語の筋を大きく改変せず、それでいて先の読みにくい展開」にしていて面白かったです。
もちろん歴史改編の転生モノならではの「色々なつじつま合わせ」などについては、読む人によって好みが分かれたりもするのかな?などとは思いますが。
『三国志演義』好きの方はぜひ一度、目を通してみてはいかがでしょうか?
三国志演義の世界に現代人が転生するという転生モノ。ただし、転生先は、劉備の養子の劉封の側近という微妙(失礼)な立場。本作では、これが、三国志演義の本質を綺麗に浮かび上がらせる仕掛けになっている。
演義というのは、「義」を演ずる、つまり「義」を表現する物語である。では「義」とはなにかというと、約束事のことである。ほら、本当の両親ではないけれど、約束事の上では親である、というような人のことを義父とか義母とか言うであろう。あれである。あるいは、「義」とは、約束事を大切にすることである。約束を違えないことを、正義、という。
演義、というのは、約束事を大切にする男たちの生き方を表現した物語である。だから、その主人公たちは、本当の兄弟ではない、約束事の上での兄弟との口約束のために、生きて、死んでいく人間である。とくに、そのなかでも、関羽は、特に約束を大切にする人柄として描かれており、そのため、敵である曹操との口約束でも大切にし、華容道では作戦に反して曹操を見逃してしまう。
そういう関羽は義兄の劉備のために死んでしまう。その関羽に殉じて死ぬのが関羽の義子である関平である。歴史上の関平は、関羽の実子だったそうだが、演義では、義のために死ぬというテーマを強調するために、関平は義子という設定になっている。
演義で、この関羽関平の義の引き立て役にされているのが劉封である。劉封は、劉備の義子であるが、関羽を見殺しにしてしまい劉備によって処刑される、義のために生きられなかった義子として描かれる。
では、劉封は義がわからぬ男だったのか、というと、そうとも思えない。
彼の不義は、おそらく、劉封に、ほんの少しだけ先が読む力が不足していたせいで起きた事故だったのだろうと思う。では、劉封が、もう少しだけ先が読めたとしたら、というのが、この小説である。三国志の結末を知っている転生者が劉封の助言者になる、という転生モノの典型のようなパターンの小説であるが、その結果起こることは、演義という物語の面白さを別の角度から描き直す、実に面白いストーリーになっている。
演義のファンなら必読である。