6話
巨大な影が、頭上の空を塗りつぶす。
地下からせり上がった本体は、幾千の死骸を練り合わせたような、歪な巨塔だった。
その中心で、心臓のように脈打つ赤い光。七二一の右拳が、焼けるような熱を帯びる。呼応している。あの中にある「核」が、自分の中の「何か」を引きずり出そうとしている。
――逃がさない。
七二一は地を蹴った。同時に、一二七の姿が視界から消える。
彼女は影のように低い姿勢で、巨塔の根元へ滑り込む。本体から無数に噴き出す触手を、彼女の刃が「線」をなぞるように断ち切っていく。
「道、作るよ!」
一二七の叫びとともに、幾重にも重なっていた黒い肉の壁が左右に割れる。最短距離。赤い核へ至る、一筋の道。
七二一はそこへ飛び込んだ。重力が消えたような錯覚。視界には、赤い核の表面に走る、これまでで最も太く、鮮明な「終わりの線」。
右拳に、すべての「熱」を流し込む。皮膚の下で紋様が暴れ、骨を軋ませる。
「……っ!」
核の直前。本体が最後の抵抗として、全質量を一点に集め、七二一を押し潰そうと収束する。
背後から、凍てつくような震えが追いついてきた。
一二七だ。彼女が七二一の背を蹴り、さらに上空へと彼を押し上げる。すれ違いざま、二人の視線が交差する。
笑っていた。彼女の赤い瞳が、確信に満ちて。
自由落下。七二一は、剥き出しの核に向けて拳を突き出す。
「終わらせる」
拳が核に触れた瞬間、世界から音が消えた。
黒い紋様が、赤い光を喰らうように広がっていく。爆発ではない。それは「消滅」だった。
巨塔が内側から崩壊を始める。結合を失った肉片が、砂のようにさらさらと崩れ、風にさらわれていく。
着地。膝をつき、肩で息をする七二一の隣に、一二七がふわりと降り立つ。
街の脈動が、止まった。
沈黙。ただ、二人の荒い呼吸だけが灰色の街に響く。
七二一の右拳から、紋様がゆっくりと消えていく。だが、その指先はまだ、かすかに震えていた。
「……ねえ」
一二七が、折れた剣を鞘に納めながら呟く。
「私たち、本当に『適合』してたんだね」
その声には、初任務を終えた安堵も、勝利の喜びもない。ただ、引き返せない場所に来てしまった者特有の、諦念にも似た響きがあった。
七二一は答えず、空を見上げる。瓦礫の隙間から、どこか遠くの監視レンズが、無機質な光を放ち続けていた。
【任務完了】
【実戦評価:計測不能】
どこか深い場所で、データが更新される音が聞こえた気がした。
七二一は拳をゆっくり開いた。
震えは、止まらない。寒さではない。恐怖でもない。あの赤を、確かに“喰った”という感触が、まだ掌の奥に残っている。
「……見てる」
一二七が小さく呟く。
七二一も気づいていた。瓦礫の隙間、上空の死角。光学レンズが一つ、わずかに角度を変える。
報告はもう上がっている。計測不能。適合。その単語が、どこかで並べ替えられている。
「後悔してる?」
一二七が、不意に聞く。視線は空のまま。
七二一は数秒、答えない。
「……してない」
嘘ではない。だが、全部でもない。
一二七は小さく息を吐く。笑ったのか、どうか分からない声。
「そっか」
間。
「私も」
それ以上は言わない。言葉にすれば、きっと軽くなる。
遠くで、救援のドローンが近づく音がする。瓦礫の上に、二人の影が長く伸びる。
七二一は立ち上がる。一二七も同時に。
半歩の距離。だが今は、触れれば分かる近さだ。
「帰るぞ」
「うん」
二人は並んで歩き出す。
背後で、崩れきった群体の残骸が、最後に小さく崩れた。
――その音は、誰にも記録されない。
ただ一つ。
七二一の右手の奥で、ごく微かな、二度目の脈動があったことだけは。
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