第2話 チェインギャングと保健室 02

 薄い桜貝色のカーテンで区切られた隣のベッドに、山崎祐介は長身を折り畳んで膝を抱え丸くなって寝ていた。小さな子どものように。

 枕もとには投げやりに眼鏡が放り出してあり、無造作に黒い髪が散らばっている。

 カーテンの側から遠巻きに、眠っているのを確かめた。それから静かに近づき顔を寄せる。

 眼を閉じ、軽い寝息を規則的に吐いている。眼の下にうっすらと影が落ち、白いシーツのなかに身体を埋もれさせて健やかに眠っているその表情には、先ほどの空虚な面影はどこにもなく、安心する。


「なにやってんすか、アンタは」

 黒い髪にそっと触ってみると、思ったより硬くて、まっすぐで素直な髪で、端正な顔には吹き出物もなく日に焼けていない肌は青白く柔らかかった。


(このひと、ちょっときれいな顔だ。なんだかいつもと雰囲気が違う)


 一つひとつが子どもっぽいパーツで幼く見えた。四月にはじめて文芸部へ行って出会ったときの彼と、先刻の音から想像した気配を思い浮かべた。

 四月、誰もいない本棚に囲まれた部室の隅に陣取り、眼鏡で華やかさはないけれど、暗い引き込むような憂いを帯びた眼で、じっと見つめてきた。彼は、背後に窓からの夕陽を浴び、すでに淀んだ空気をまとっていた。

 どんよりした眠そうな眼が閉じ、まるで別人に見えた。寝ることで、すべてから解き放たれたように無防備だった。


「なにやってんだ、俺……」


 カーテンを静かに閉め、隣のベッドでひと眠りした。

 放課後に文芸部の部室で、いつもの席に座って所在なげな山崎祐介に声をかけ、連絡先を聞いた。

 スマートフォンを取り出して、こちらへ向けてきた、その指は細く色のない儚さを持っていた。

 どんな人物なのか知りたかった。これまでどんなふうに過ごして何を見てきた?

 それは天気の良い、さわやかだけど風が吹き荒れる春のことだった。 

 山崎祐介は、そんな俺の心の動きを、まだ知らない。


 そのあと、ぽつりぽつりと山崎祐介とやり取りを交わしたが、あまり進展のない会話が続いた。他愛もないこと、俺たちの住んでいる寮での怪談話、日常のこと、明日テストで、勉強しなくちゃ、眠い、だとか、いつか大きな犬を飼いたいだとか。


 教室にいる彼を見にいったことがある。高畑楓には年子の姉がいて、所用でと言うから、くっついていった。


「は? なんやお前。好きな子ぉでもおるんか? どれや」

「別にそんなんじゃない。あ。いや、ちょっと気になる子いるか」

「で、どの子や?」

「あの魔法系学科の女の子。髪長くて華やかだよな。名前知らんけど」

「ほおお。マドンナやん。日野美咲ちゃんな。うわあ、お前、正統派美女を狙っとるとは」

「ほっとけ。見るだけはタダ!」

 そうして日野美咲ちゃんたちが集まり喋っているその輪から離れた後ろの席で、彼は背筋を伸ばして本を読んでいた。静謐でその場所だけ時間が止まっていた。

 近寄りがたい雰囲気にたじろぎ、楓は弁当を届けるだけの簡単な用事だったから、入り口で待つことにした。


 そこから彼を見つめていたけれど、振り返ることなく、視線にはまったく気がつかない没頭ぶりだった。何の本を読んでいたのか、文庫のそれをゆっくりめくる指は、頼りなく、美しく真剣な顔つきだった。その顔は文芸部の定位置で読んでいるときよりも深く本の世界に潜行していて、拒絶に近かった。

 それを見た途端、俺の尻尾がぶわりと出てきて、慌ててその場を離れた。


(……わ、ちょ、鎮まれ。もうちょっと見ていたかったのに)


 いつか大きな犬を飼いたいと送って来たメールの文面からは、拒絶のかけらもなく、日常のほとんどを教室で過ごしているというのに、こんなに壁を作っている山崎祐介は想像できなかった。

 そして、その次のときにも本を読んでいた。次の次のときにも。山崎祐介は、いつだって安定のぼっち君だった。

 

       ••✼••


 ねえ。俺、聞いてたんだ。あの日。

 祐介の耳に、ささやきたい。

 小さな声で耳に流し込んで、赤くなる顔を眺めて、それで。

 自分の……自分だけのしるしをつけたい。

 ああ、ヤバいな。思うだけで尻尾が飛び出してくる。

 俺はアンタに身体ごと持って行かれてなんとかしようにも、どうにもならなくて止まらなくて、たまんないんだよ。

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