第4話 嘘つきの喉に咲く茨③

 一時間後。事務所の呼び鈴が、静かに、そして弱々しく鳴った。

 現れたのは、白いワンピースに身を包んだ、線が細く影のある女性だった。彼女は店内の異様な光景――椅子に縛り付けられ、黒い茨を喉から溢れさせている恋人・正樹の姿を見て、悲鳴を上げることすら忘れて立ち尽くした。


「ま、正樹さん……っ!? そのお姿、一体……」


「ようこそ、お嬢さん。私は解呪士の背反二 律。……そして、そこに転がっている無様な塊は、自らの『嘘』という毒に中てられた哀れな患者だ」


 律は眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な声音で告げた。律は彼女に、正樹が「一生、君だけを愛する」という誓いを破り、別の女性に溺れたという残酷な真実を淡々と突きつけた。


「嘘……! そんなはずありません! 彼は、世界で一番優しい人です!」


「いいや、嘘を吐いたのは彼だ。……さあ、ここからが本番だ」


 律は立ち上がり、椅子に縛られた正樹の喉元へ歩み寄った。茨が正樹の首を絞め上げ、顔面が紫に変色していく。


「累。……始めなさい。この男の『全能』に、決定的な綻びを作る」


「へっ、合点承知だぜい!」


 累が床を蹴った。少年の小さな体から溢れ出した影が、巨大なワニの顎となって正樹の頭上に君臨する。累の瞳が完全な金色に染まり、彼は正樹の耳元で残酷な問いを放った。


「おい、嘘つき野郎。今からオレ様が問いを出す。……『オマエは、オレが次に言うことが外れると予言するか?』」


 これこそが、かつて律が累を縛り付けた「ワニのパラドックス」の変奏だ。

 正樹の脳内に累の声が響き渡り、論理がループして精神(ロジック)が悲鳴を上げる。茨が激しく蠢き、正樹の喉を食い破ろうとしたその瞬間――律が正樹の喉を強く掴み、顔を至近距離まで寄せた。


「叫べ、正樹さん。あんたが今、この瞬間に言える唯一の真実を。……あんたのこれまでの嘘をすべて灰に変える、最高の誠実さを私に見せてみろ」


「あ、が……っ、ごふっ……!」


 律は男の喉に指を突っ込み、茨をあえて深く食い込ませた。激痛に、正樹の瞳孔が見開かれる。


「叫べ!」


「お、れ、は……っ!! 俺は……嘘つきだああああああっ!!」


 正樹が、血を吐きながら絶叫した。

 その瞬間、正樹の喉を締め上げていた黒い茨が、目に見えるほどの速さで茶褐色に変色し、灰となって崩れ落ちた。


「げほっ! ごほっ、ごほっ……!」


 茨は、「嘘を吐こうとする言葉」を裂く呪いだった。だが、彼が叫んだ「俺は嘘つきだ」という言葉が「真実」である以上、茨はその定義(ルール)を失い、自らの存在意義を失って消滅したのだ。


 恋人の裏切りを知った女性は、一瞥もくれず店を飛び出していった。正樹は床に這いつくばり、自由になった喉で、醜く喘ぎ続けている。


「解呪完了だ。……さて、正樹さん。あんたは声を失わずに済んだが、同時に最も大切な人を失い、一生消えない傷と、私への莫大な借金を背負った。……おめでとう、これがあんたが望んだ『自由』の正体だ」


 律は眼鏡を外し、再び「温厚な青年」の顔に戻った。

 累は少年の姿に戻り、不機嫌そうに茨の灰を踏み潰した。


「ちぇっ、後味悪りィな。律、こいつホントに金払えんのかよ?」


「心配いらないよ。……さあ、掃除をしたら夕食にしよう。今日はピーマンを多めに入れた特製ハンバーグだからね」


「げぇっ!? 結局それかよ! 勘弁してくれい!」


 窓の外では、夜の帳が降りていた。律は丁寧にジャケットを畳み、静かな闇へと微笑みかけた。




【嘘つきの喉に咲く茨:解説】

• 怪異の正体: 「誠実でありたい」という強い意志が生んだ「全能の逆説」。自分を縛るルール(石)があまりに完璧すぎたため、動けなくなった状態です。

• 解呪のロジック: 律は、「自己言及の矛盾」を利用しました。この世で最も誠実な言葉は「自分が嘘つきである」と認めること。

• 結末: 茨は「嘘」を裂くシステムでしたが、叫んだ言葉が「真実」になったため、茨は定義を失い枯れ果てました。

• 教訓: 「自分を縛る完璧なルールを作った人間は、そのルールによって自滅する」。



累:【ワニのパラドックス】

能力: 相手を「思考停止」させる力

「Aと言ってもダメ、Bと言ってもダメ」という、どっちを答えても間違いになる意地悪な質問をして、相手をフリーズさせます。

強制力:B

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