プロローグ

第一話 救済と支配

 雨に濡れた神社の境内。石畳の上で、それはバラバラに崩れかけていた。

中身を別のパーツに入れ替えられ、自分という定義を失った「テセウスの船」の怪異。その成れの果てである一匹のワニ。


「……あ……あ……」

 そこへ通りかかった青年、背反二 律(せばに・りつ)は、傘も差さず、冷徹な瞳でその惨状を見下ろした。彼は生物学的ロジックを静かに突きつける。

「人間の脳細胞は、他の部位と違って入れ替わらない。……なら、お前のその『脳』さえ俺が定義すれば、お前はお前のままでいられる」

 律が指先で怪異の額に触れた瞬間、霧散しかけていた肉体が、一人の少年の形へと強引に固定された。

 死の淵から引き戻された怪異は、荒い息をつきながら律を見上げた。 


「……恩に着るぜ。オメーは、オレの英雄だ」

 感謝を口にする少年。だが、律は眼鏡の奥で冷たく笑った。


「英雄? 買いかぶりすぎだ。だれがタダで助けたなんて言った?」


「……え? オイ、どういうことだよ?」


「お前に選択肢は二つ。一つはこの場で俺に逆らって、存在が消滅する。二つ目は、半永久的に俺の仕事を手伝う。……いわば、俺の所有物になることだ」


 少年の顔から血の気が引く。救い主だと思った男の瞳に、慈悲などひとかけらもなかった。

「そんなこと、なんでオマエにさしずされるんだよ!」


「逆らうのか? ……いいだろう。なら、お前を『ワニのパラドックス』で縛ってやる」


「できるものならやってみろい!」


「……さて、俺の問いに答えろ。ワニ、お前は、俺の予言を外すだろう』」

 その瞬間、少年の心臓に目に見えない論理の鎖が食い込んだ。

 外せば予言が当たり、当てれば予言が外れる。永遠に終わらない自己矛盾(ループ)の檻。


「あ……が……っ!?」

「そうだ、お前のことはこれから『累』と呼ぶことにしよう。ワニのパラドックスからワニ、即ちクロコダイルの黒田累。いい名前だろう?

今日からお前は、一生俺の予言の中で足掻き続けるんだ」


しかし、次の瞬間──律は憑き物が落ちたように、絶望に染まる累の肩を優しく抱き寄せた。

眼鏡の奥の瞳は、まるで迷子を見つけた兄のように温かい。


「さあ、帰ろうか、累。お腹が空いただろう? 出会いの記念に、今夜は僕の特製ハンバーグにするよ」




【解説】ワニのパラドックス


今回の怪異・累(るい)を縛った「ワニのパラドックス」について、少しだけ解説しますね。


大昔、ワニが人間の子供をさらって、お母さんにこう言ったのです。

「私がこれから『何をするか』を当ててごらん。当たったら子供を返してあげるよ」

そこでお母さんは、こう答えました。

「あなたは、子供を返さない(食べちゃう)つもりでしょう!」


……さあ、ここから「地獄のクイズ」の始まりです。


Aもしワニが子供を「返そう」としたら?

→お母さんの予想(返さない)が外れたことになるので、ルール通りだとワニは子供を返さなくてよくなってしまいます。


Bじゃあ、ワニが子供を「食べちゃおう」としたら?

→お母さんの予想(返さない)が当たったことになるので、約束通り子供を返さなければなりません。


「返そうとすれば返せない」「食べようとすれば返さなきゃいけない」。

ワニはどちらの行動も取れなくなって、永遠にフリーズしてしまうんです。

本作で律が累に言った「お前は、俺の予言を外すだろう」という言葉も、これと同じ仕組みです。

累が予言を「外そう」としても「当てよう」としても、どちらに転んでも律の言う通り(支配下)になってしまう……という、逃げられない論理の檻(おり)のことなのです。



律(りつ):【論理の糸】

能力: 世界の「ルール」を書き換える力

正体不明の怪異に、「お前はこういう存在だ!」と名前や理由を突きつけることで、その力を無効化します。

強制力:B

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