冷や水
◇………………………………………………………………………
「あれ?なんか騒がしいね?」
「なにかあったんでしょうか?」
もう少しで『湖の小鳥亭』に到着するといったところで、何やら騒ぐ声が聞こえてきた。
それは魔物の襲撃を乗り越えた喜びの声ではなく、どこか焦燥と嘆きが入り交じったものだった。
「――――っ急ごう!」
まさか魔物の残党でも出たかと、いまだ疲労が色濃く圧し掛かる足を無理やり持ち上げて駆け出す。
しかし、そこで起こっていた事態は、彼等が想像していたものよりもずっと悪かった。
「リルッ!リルゥッ!!」
そこには、普段の穏やかさは見る影もなく、狂乱とばかりに泣き叫ぶエリルーラと、暴れる彼女を取り押さえる男性、そしてその周りで一様に暗い表情で俯く人達。
一目でただ事ではないと分かる状況だった。
「何があったんですか!?」
「あ、あぁ……。」
一目散に駆け寄ったモカ達に、俯いていた内の一人が顔を上げ、憤懣やるかたないといった様子で口を開いた。
「リルちゃんが…………魔物に攫われたっ!」
「「「なっ――――!?」」」
リルルーラが攫われた。
一瞬、脳が言葉を理解することを拒んだ。
そして次に最悪の光景が脳裏を過り、全身の血が氷に変わってしまったかのような寒気に襲われた。
「魔物の掃討が終わったってんで、避難場所から家に戻るところだったんだ……。」
絶句するモカ達を、さもありなんと思いながらも男は話を続ける。
「本当に一瞬だった。突然狼が飛び出して来たかと思ったら、一緒にいた冒険者の一人を吹き飛ばして、もう一人も剣を構えたんだが簡単に圧し折られてやられちまった。」
人影で見えていなかったが、すぐそばに治療を受けている冒険者がいた。見た限り、命に係わる怪我などではなさそうだ。
「俺達もパニックになっちまって、あたふたしてる内にリルちゃんが攫われちまったんだ。」
再び俯いてしまった彼の手は真っ白になる程に強く握りしめられていた。
彼とてリルルーラを助けたくない訳がない。しかし、ただの村人でしかない彼等には、魔物に立ち向かうだけの力がなかった。
「リル……リル……。」
もはや暴れるだけの気力も無くなってしまったエリルーラが崩れ落ちている様を見て、モカはギリッと音が鳴る程に強く歯を噛みしめる。
彼の心中に渦巻く思い、それは後悔だ。
もっと早く魔物の群れを殲滅できていれば、戦闘後に気を抜かず村内を見回っていれば。
それは無理筋だが、それでももしかしたらという思いが止まらなかった。若さ故の傲慢とも言える考えだが、モカにはそれを成せるだけの力があったのだからより一層悔いがあるのだ。
魔物に攫われた人間が、それもまだ小さな女の子が生き残っている、それはあまりにも希望的観測だ。
モカもマリエル達も、胸の内に込み上げてくる絶望に顔を俯かせた。
「これは……っ!」
俯いたモカの視界に、何かキラリと光る物が映る。
地面から拾い上げたそれは、モカ達がリルルーラにプレゼントした髪飾りだった。
モカの胸中を激情が狂い荒らし、唇を血が出そうなほどに強く噛みしめる。
「リルちゃんを攫った魔物がどちらに行ったかは分かりますか?」
重苦しい空気の中、そんな問い掛けをしたのはラテだ。その顔には、いつもと変わらぬ微笑みが浮かんでいる。
「……あっちだ。」
村人の一人が指差した方向を見てラテは一度頷くと、俯くモカへと向き直り告げた。
「リルちゃんはまだ生きている可能性が高いです。」
「――――っ!!」
「モカッ!?」
ラテの言葉を聞いた瞬間、モカはやにわに駆け出した。
静止の声も届かずまっしぐら。
理由や証拠など必要ない。ラテがそういうのであれば間違いない。それは彼等の間に育まれた無条件の信頼だった。
「ったく、しょうがないわねっ!私達も行くわよ!」
「オッケー!絶対リルちゃんを助けて見せるよ!」
「い、急ぎましょう!」
モカを追ってマリエル達も駆け出してゆく。
疲労はいまだ濃い、だがその足取りに迷いはない。彼女達にリルルーラを見捨てるなどという選択肢は存在しなかった。
「お、おい。本当にリルちゃんは無事なのか?」
「絶対ではないですが、急げばまだ間に合うと思います。」
「あのっ!」
理由を説明する時間もないと、モカ達を追いかけようとするラテの背に、エリルーラが声をかけた。
「リルを……リルをお願いします!!」
微かな希望に縋りつくように、ほんの僅かに光の灯った濡れた瞳で懇願する彼女に、ラテはいつも以上に優しい笑顔を見せる。
「お任せください。リルちゃんとは一緒に遊ぶ約束をしてますからね。」
指差した方向は南西。
向かう先は――――ダンジョンだ。
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