第9話: 地上に堕ちた贖罪




空が裂けたのは、音もなく、だった。


雲が押し潰されるように歪み、

光とも闇ともつかない裂け目が開く。


そこから――


落ちた。


翼の片側だけを引き裂かれた存在が、

回転しながら、

ただ、落ちた。



「やめるのだ!!」


その声は、まだ天に届いていた。


「お姉ちゃんは――」


指先から白銀の光槍が、空間そのものを断ち切る。


熾天監査官 サリエルの一撃。


逃げ場はない。

許しもない。


「全員救えなきゃ意味がないのだ!!」


その瞬間。


翼が、裂けた。


光が消えた。

天界の力が剥離していく。


堕天処理。


意識が、落ちる。


ただ、落ちる。



石畳に叩きつけられた衝撃で、肺の空気が抜けた。


「……ッ、ぁ……」


見上げた空は、

ただの空だった。


神も。

光も。

裁きもない。


代わりにあったのは――


人の、視線だった。


「なんだあれ……」

「翼……?」

「化け物じゃねえのか……」


ラミエルは、立てなかった。


片翼は、焦げている。

骨が露出している。

もう飛べない。


もう帰れない。


「……ここ……どこなのだ……」


誰も答えなかった。



三日、彷徨った。


水は盗んだ。

パンは投げつけられた。

石も飛んできた。


怖くない。


ただ――


寒かった。



「おい」


声がした。


低い。

やる気がない。

めんどくさそうな声。


ラミエルは振り返る。


そこにいたのは――


弱そうな男だった。


ボサボサの黒髪。

合ってない鎧。

錆びた剣。

抜いた形跡がない。


「あー……お前、迷子?」


ラミエルは、瞬きをした。


「……そう、なのだ」


男は、少しだけ考えて。


「飯、食う?」


それだけ言った。



グラナディア兵舎裏。


ラミエルは、木箱に座っていた。


パンを、両手で持ってちびちび食べている。


男は壁にもたれて座っている。


「……うめぇ?」


「……うまいのだ……」


「そりゃよかった」


沈黙。


風の音。


遠くの鍛冶音。



「……お前、名前は」


「ラミエルなのだ」


水色のハネのあるショートカット。ボロボロの布切れを羽織っている。方翼は折れ、痛々しい瘡蓋になっていた。


男は頷いた。


「俺はザコ」


「……ザコ?」


「一兵卒のザコ」


誇りでも自虐でもなく、

ただの事実として言った。



その時。


右眼が、疼いた。


ズキ、と。


ラミエルが、息を止める。


「あぁ!!!……いる……」


「は?」


「そこに……いるのだ……」


ラミエルは、ザコの顔を覗き込む。


右眼を。


そして――


震えた。


「……お姉ちゃん……」


沈黙。


風だけが吹く。



(……ラミエル…どうして…)


声が、響く。


冷たい。

静か。

だが確実に――存在する。


ラミエルの目から、涙が溢れる。


「……生きてたのだ……」


ザコは、顔をしかめる。


「……おい、なんか今、俺の中で女が喋った気がすんだけど」


ラミエル「お姉ちゃん…いや、大天使ミカエル様は話しの行き違いから処刑されたのだ…」


「僕も…同じだけど…」


ザコ「天使様だぁあ?…マジかよ…」


ザコは初めて、自身の右眼にとんでもない者が宿された事を知る。




ラミエルは、ザコを見る。


本当に、弱そうだ。


怖くない。


でも――


消えそうでもない。


「……お姉ちゃんは……」


「……ずっと、戦ってたのだ」


ザコは、黙って聞く。


茶化さない。

否定しない。


ただ聞く。

傷付いた少女がおとぎばなしを読むかの様に

一生懸命に話す。



「守ろうとしてたのだ」

「全員……」


「天界も」

「地上も」

「罪人も」

「選ばれなかった者も」


「全部を…」


ザコは、空を見る。


「……あぁ、それ、サイコーにバカやろうだなw」


「……そうなのだ」



沈黙。


しばらくして。


ザコが、立つ。


「……まぁ、なんだ」


「ここ、物騒だからよ」


「とりあえず、死ぬな」


ラミエルは、小さく笑う。


「……御意、なのだ」



その瞬間。


右眼が、静かに、脈打った。


拒絶でもなく。

承認でもなく。


ただ――


観測するように。



遠く。


誰かが、動き出していた。


神を求めて。


神を奪うために。



ザコは、欠伸をする。


「……あー……」


「なんか、めんどくせぇことになりそうだな……」


ラミエルは、頷く。


「……なるのだ」



風が吹いた。


戦争は、まだ止まっている。


だが。


確実に。


何かが――動き始めていた


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