ハイスぺな准教授2

 その翌日。私は大学の庭で昼食を取っていた。いつもは学食で食べるけれど、たまに気分転換の為にここで食事を取る事があるのだ。


 私が木製のベンチに座ってサンドイッチを食べていると、不意に後ろから声を掛けられた。


「あ、いたいた、有紗先生」


 振り返ると、そこには笑顔の遠藤先生がいた。ワイシャツに黒いスラックスというシンプルな服装だけど、よく似合っている。


「先生、私を探してらしたんですか?」


 私が口の中のサンドイッチを慌てて飲み込んで聞くと、先生は「うん」と言って自身のバッグに手を入れた。そして、ベージュ色の小さな箱を取り出すと、私に手渡してくる。


「これ、良かったら食べてよ」


 見ると、その小さな箱には金色のリボンが掛けられていて、見覚えのあるロコが印刷されていた。


「これ……お高いチョコレートじゃないですか! いいんですか? 私がこれを貰って」


 私が目を見開いて聞くと、先生は笑って答えた。


「うん。昨日駅を歩いてたら偶然見つけてね。有紗先生にどうかなって思ったんだ。頭を働かせるのに糖分は必要だし、いつも有紗先生は頑張ってるからね。それに、試験の採点とかお願いしてるから、そのお礼も兼ねてるけど」

「あ、ありがとうございます……」


 お礼の意味もあるとはいえ、好きな人にお菓子を貰って嬉しくないはずが無い。私は、温かい気持ちでチョコレートの入った箱を眺めていた。


 あまりに嬉しかったから、私は気付いていなかった。遠くから、福田さんがもの凄い目付きで私を睨んでいた事を。


       ◆ ◆ ◆


 翌朝。上機嫌で研究室の中に入った私だけど、机の引き出しを開けて目を見開いた。私の研究データの入ったUSBメモリが見当たらないのだ。


 私は、慌てて他の引き出しも全て開けてガサゴソと探す。それでも、USBメモリは見当たらない。どうしよう……。


 私が呆然と佇んでいると、研究室のドアが開いた。入って来たのは遠藤先生。先生は、私の表情にただならぬものを感じたのか、心配そうな表情で聞く。


「どうかした? 有紗先生」


 私は、青ざめた表情のまま呟く。


「私の研究データの入ったUSBメモリが……見当たらないんです」


 先生は、真剣な目になるとこちらにズカズカと近付いて来た。


「有紗先生、いつもUSBメモリを引き出しに保管してたよね? 昨日に限って別の場所に保管したとかは無い?」

「いえ……昨日もUSBメモリを引き出しに入れて帰ったはずなんですけど……」


 そう言いながら、私は念の為、机に乗っている資料の隙間や床を探してみる。それでもUSBメモリは見当たらない。


「昨日、一番最後に研究室を出たのは有紗先生だったよね? ちゃんと研究室のカギを掛けて帰った?」

「はい、もちろんです!……もしかして、先生はUSBメモリが誰かに盗まれたと思ってるんですか?」


 先生は、困ったように視線を落としながら答えた。


「う……ん。考えたくは無いけどね。日中だって、研究室に誰もいない時間があるでしょ? だから、誰かが持ち出す事は可能かなって……」

「そんな……」


 私の研究データにはパスワードをかけているから、外部に漏洩する事は無いと思いたい。

 でも、世の中どれだけハッキングの技術が発達しているか分からないし、研究データを盗み見られる事もあるかもしれない。それを他人に自分の功績として発表されてしまったら……。


 私の目に、涙が浮かんだ。睡眠時間を削って泊まり込みで研究した日々。遠藤先生にアドバイスを貰いながら試行錯誤を重ねた日々。

 そんな日々が無駄になってしまうと思うと、どうしようもなく胸が苦しくなった。


「……とにかく、もう少しこの部屋と、隣にある実験室を探してみよう。それで見つからなかったら、事務局に行って相談すれば良い。ノートパソコン本体にバックアップは取ってるよね?」

「はい。なので、研究データが他者に発表されるかどうかだけが問題です」

「そうか。じゃあ……」


 先生が言いかけた時、研究室のドアがノックされた。入って来たのは、福田さん。福田さんは、深刻な顔の私と遠藤先生を見て聞いた。


「おはようございますう。……あれ、お二人共、どうしたんですかあ?」

「おはよう、福田さん。……実は、研究データの入ったUSBメモリが見つからなくて……」


 私が答えると、福田さんは大げさに両手で口元を隠して言った。


「ええっ、大事なUSBメモリを無くしちゃったんですかあ?……データの管理を怠るなんて、研究者としてどうなんですかあ?」


 何も言い返せない。私は、グッと拳を握り締めた。


「とにかく、USBメモリをもう少し探してみよう。俺は実験室の方を見て来る」


 先生がそう言って実験室の方に向かおうとしたけれど、福田さんが引き留める。


「先生! 先生もお忙しいでしょう? 探すのを手伝うなんてしなくても良いんじゃないですかあ?」


 でも、先生は振り向きながら答えた。


「……確かに忙しくないと言ったら嘘になる。でもね、俺、知ってるんだ。有紗先生が夜遅くまで残って研究してた事。分析機器から出て来たデータと睨めっこしながらああでもないこうでもないと試行錯誤してた事。……同じ研究者として、その頑張りを無駄にさせたくない。だから、俺は探すよ。USBメモリを」


 私は、泣きそうになった。私の努力を認めてくれる人がいる。その事が、こんなにも嬉しいなんて。


 福田さんは、ムスッとした顔をした後、遠藤先生に言った。


「……私が実験室を探しますよ。先生は、ここでUSBメモリを探して下さい」


 そして、福田さんは実験室へと向かう。私は、福田さんの背中に向かって声を掛けた。


「ありがとう、福田さん」


 福田さんは、チラリと私を見た後、無言で研究室のドアを閉めた。



 それから数分して、福田さんが実験室から戻って来た。そして、無表情で私達に告げる。


「ありましたよお、USBメモリ」


 福田さんが、私に一つのUSBメモリを手渡す。猫のシールが張られた白いUSBメモリ。それは確かに、私のUSBメモリだった。


「福田さん、これ、どこにあったの?」


 私が聞くと、福田さんは私と目を合わせる事なく答える。


「質量分析装置の側にありましたよ」


 質量分析装置……? 私、そんな所にUSBメモリを置いたかな……? 何はともあれ、見つかって良かった。


「ありがとう、福田さん」


 私がニコリと笑って礼を言うと、福田さんはまたムスッとした顔で何事か呟いた。


「……そういう所がムカつくんですよ……」


 何を言ったのかは分からないけれど、私は気にしない事にした。


 福田さんが「じゃあ、私は実験の準備してますねえ」と言って再び実験室へと向かった。その背中を見ながら、私は一昨日福田さんに睨まれた事を思い出す。


 ……まさかね。福田さんが私に嫉妬してUSBメモリを隠す嫌がらせをするなんてあり得ないよね。でも、都合よく福田さんがUSBメモリを見つけるなんて……。


 私は、ハッとして首を横に振った。後輩を疑うなんて良くない。それより今は、研究を進めないと。

 そして、私は自分の使っている席に着いた。


 ふと遠藤先生の方に視線を向けると、先生は真剣な顔で福田さんの背中を見つめていた。

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