第32話 判断の不在

 その日は、珠音が現場に出ていなかった。珠子の判断で、待機。

 

 理由は簡単だ。無理をさせないため。背負わせ過ぎないため。

 

 案件は、軽いものだった。

 

 学校近くで起きる小さな怪異。被害も少ない。危険度も低い。


「今回は三人組で行ってきて」

 

 珠子はそう指示を出した。珠音は黙って頷き、何も言わなかった。現場は、予想通り静かだった。


「楽勝だな」


「久々に平和案件っすね」

 

 三人組は油断していた訳ではない。ただ、決める役が居なかった。

 

 怪異は、姿を見せない。痕跡だけが増えていく。


「分かれるか?」


「いや、固まった方が……」


「でも効率悪いだろ?」

 

 意見は出る。だが、決まらない。時間だけが過ぎる。

 

 その間に、怪異は一人を狙った。致命傷ではない。だが、逃げ遅れた。


「くそっ、判断が遅れた!」

 

 結果は、失敗。怪異は取り逃がした。事務所に戻った夜。

 

 珠子は報告書を見て、黙った。


 被害は軽微。判断としては、間違っていない。だが、胸に引っ掛かる。


 もし、珠音が居たら?

 

 その問いを、珠子は自分で否定した。それは依存だ。それは間違いだ。

 

 同じ時間。

 

 別室で、珠音は机に向かっていた。

 

 ノートは開いている。

 

 だが、文字はない。ただ、線だけが増えている。現場の配置。人の位置。逃げ道。報告を聞いただけで、再現している。

 

 珠音は呟いた。


「決めないと、誰かが遅れます」

 

 感情はない。後悔もない。事実の確認だけ。


 翌朝。

 

 珠子は、珠音に声を掛けた。


「昨日の件だけど……」

 

 珠音は、顔を上げる。


「失敗しましたね」

 

 珠子は、否定できなかった。


 珠音は続ける。


「私が居なくても、世界は回ります。ですが、判断が無いと、遅れます」

 

 珠子は気付く。止めたのは、暴走ではない。判断そのものだった。

 

 その夜、珠子は一人で呟く。


「……正しかったのよね」

 

 誰に言うでもなく。返事は、無い。だが別室では、珠音が次の“空白”を埋める準備をしていた。

 

 そして、ノートを閉じた。

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