第30話 恵投


 石畳の街路を少し外れた場所に、ひっそりと佇む甘味処がある。奈珠那と瓊環は、その店で小休憩をとっている最中だった。

 奈珠那は、目の前に置かれたあんみつを宝物でも見るような目で見つめていた。透き通った寒天の上に、あんこと果実が彩りを添えている。艶やかな蜜をかけると一気に甘い香りが広かった。

「いただきます」と手を合わせ、匙を取る。一口運んだ瞬間、思わず息がこぼれた。


「……美味しいです」


 頬を緩ませ、奈珠那は大切に次の一口を運ぶ。「あんみつ」という食べ物があることは、前々から知っていた。だが、それを口にする日が来るとは思っていなかった。


「お前は甘いものが好きだよな」


 向かいの席で頬杖をついていた瓊環が、ふとそう言った。


「紅玉の果実のときも、そうだった」

「そうかも……しれません」


 奈珠那は匙を止め、少し考えてから続ける。


「甘いものって、こんなに幸せな気持ちになるんだって。最近、知りました」


 かつては、好き嫌いなど考える余地すらなかった。生きるために、味など関係なく、あるものを口にしていただけの生活だった。

 頬を緩めている奈珠那の前に、瓊環は懐から出した巾着を無造作に机に置いた。中には、人間界で通用する硬貨が詰まっている。


「金ならある。好きなだけ食え」

「そんな……! 申し訳ないです、こんなに良くしていただいているのに」


 奈珠那は恐縮して手を止める。瓊環は頬杖をついたまま、どこか遠い目をして窓の外を眺めた。

 

「金など、ただの金属の塊だと思っていた。途切れない貢ぎ物も、生贄だって、俺にとっては無意味なものでしかなかったが……」


 一泊の間を置いて、瓊環は奈珠那のほうへ向き直る。


「お前がそんな顔をするなら。たまにはこうして下界に来るのも、悪くはない」


 細められた目元と、やさしく上がった口角。その笑顔に胸がきゅっと締めつけられた。


「……ありがとうございます」

「礼はいらない」

 

 そう言いながら、彼はまた視線を窓の外へと逸らす。耳の奥がわずかに赤くなっているのを、奈珠那だけが見つけてしまった。

 あんみつは最後の一口まで優しくて、甘かった。


 ⁂


 甘味処を出たあとも、手を繋ぎながら街中を見て回った。人の波に紛れながら進む大通り。行き交う声も、多彩な看板も、すべてが奈珠那には新鮮に映った。

 ふと、通りに面した格式高そうな装飾品店が目に入る。その店の前で、奈珠那は歩みを緩めた。

 硝子張りの窓越しに、きれいに並べられたかんざしや首飾りが、陽光を受けてきらきらと輝いている。その煌びやかな店内に、奈珠那の視線は釘付けになった。


「気になるか?」


 隣からかけられた声に、奈珠那ははっとして視線を逸らした。

 

「あ……すみません。先へ行きましょう」

「せっかくだ。何か買うか」

「いえ……! 私には、もったいないものばかりですし……」

「俺が、お前に買いたい。そう言ったら?」


 思いがけない言葉に胸の奥が小さく鳴る。途端に頬が熱くなって、言葉を探すことも忘れてしまう。

 沈黙を誤魔化すように瓊環は「それに」と続け、

 

「何か物に残しておかないと、珀弥がうるさそうだ」


 と、奈珠那の手を引く。照れ隠しのようで、迷いがない手のひら。有無を言わせぬ足取りで店の中へと導かれた。


 扉が閉まると同時に、外の喧騒が遠のく。柔らかな光と、ゆったりとしたクラシック音楽が二人を包み込んだ。

 人の気配はあるのに不思議と静かで、奈珠那は自ずと背筋を伸ばした。


 ──場違い、じゃないかな……。


 そわそわする気持ちを抑えながら、瓊環の後ろをついて歩く。

 

「いらっしゃいませ。ごゆっくりご覧ください」


 店主らしき男性に穏やかな案内され、視線を巡らせる。宝石が惜しげもなく散りばめられた首飾り、緻密な細工がほどこされた腕輪、重みまで伝わってきそうな純金の陶器。外観の印象そのままに、並ぶ品はどれも一目で高価とわかるものばかりだった。

 奈珠那は触れてはいけないものを見るように、そっと息を潜める。


 一方で、瓊環は迷う様子もなく店内を進んでいた。陳列された品々を鋭い眼差しで見定めている。そのひとつひとつを、値段ではなく質で量っているようだった。

 やがて彼は足を止める。そこにあったのは、硝子細工でできた繊細で澄みきった白百合をかたどった、一本のかんざし。過度な装飾はなく、凛とした佇まいが際立っていた。

 しばし無言でそれを見つめた瓊環は、静かに店主を呼んだ。


「これを」

「……え」


 思わず声がもれる。


「こんな高価な簪……それに白百合なんて、私には……」


 瓊環を制止するように、少し慌てながら彼の袖を引いた。触れることすらはばかられるほど、高貴で綺麗すぎる簪。自分が身に着けていいものではない。

 けれど、瓊環は視線を逸らさなかった。それどころか、彼は店主から受け取った簪を、ためらいなく奈珠那の髪へと挿し込んだ。あまりにも自然で、流れるような所作。


「た、瓊環様……!?」


 驚いて声を上げると、彼は一歩引き、真剣な眼差しで言った。

 

「よく似合っている。鏡を見てみろ」


 促されて恐る恐る鏡を覗き込むと、そこには別人のような自分がいた。白百合は黒鳶色の髪に溶け込み、純白の花弁が緋色の瞳を神秘的な宝石のように際立たせていた。

 

「『私には』だの、『私なんて』だの……そういう言葉は、使うな」


 叱る口調とは裏腹に、その表情には焦りのようなものが滲んでいる。奈珠那が自分を低く見積もることを、どうしても許せないという顔に見えた。

 

「俺が選んだ」


 短い一言と、金の双眸が奈珠那を射抜く。否定などできるはずもなかった。胸は熱を帯び、言葉にならない感情で満ちていく。


「……はい、ありがとうございます」


 そう答えた声は、わずかに震えていた。このとき初めて、ほんの少しだけ自分の瞳が綺麗なもののように思えた。


「支払いを済ませてくる。先に外で待ってろ」


 一瞬だけ返事に迷う。こんなに高価なものを、本当に受け取っていいのだろうか。そんな遠慮が小さく疼く。

 それを払拭したのは瓊環の言葉だった。


 “──俺が選んだ”


 簪だけではない。自分という存在そのものを、彼が選んでくれたような言葉にも聞こえた。

 奈珠那は「はい」と小さく頷き、扉を開ける。背後で扉が閉まる音を聞きながら、胸に残る温もりを抱きしめた。

 

 ──嬉しい……。


 外の空気に触れ、白百合の簪にそっと指先を伸ばした、そのときだった。


「ごきげんよう」


 聞き馴染みのある、猫撫で声がかかる。声の主を理解した瞬間、奈珠那の全身から血の気が引いた。

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