空白

ササキタツオ

第1話 空白

 空っぽの心をあざ笑うかのように、今年の最高気温がまた更新された。まだ夏本番前である7月上旬にもかかわらず、日本列島は異常気象の波に飲み込まれ、すでに真夏の様相を呈していた。

私は、放課後のクーラーの効きが最悪な状態の教室で、空欄の進路希望調査書を見つめていた。18歳。夏の熱気に倒れる前に、進路の選択に迫れて、答えを出せない不安に押しつぶされそうであった。虚しい。その一言で片づけたくなる、そんな現実。

私が通う高校は、吉祥寺の外れにある公立の進学校である。対外的には進学校と言われているが、内部をみる限りでは、みんな勉強しないで部活に明け暮れたりしている、どこにでもいる普通の高校生という感じの学校であった。そんな私の高校では、高2の終わりに文系理系の選択を決めて、3年で分かれる。理系科目が苦手だった私はとりあえず文系を選択した。あくまでも、とりあえずの文系希望・選択だ。その程度の志望度合だったので、具体的にどこの大学に進みたいとか、どの学部に行きたいといったことはまったく考えられていなかった。

クラスでは、目標を決めた子はすっかり受験モードという感じの勉強顔になっていた。実際、日常の話題も勉強のこと一色といった具合だ。そんな中で、私と、友達の杏奈だけは、真面目系グループには属さず、属せずの、フラフラ組として生き残っていた。

 だが、そんな未確定進路な私たちも、中間テスト・実力考査を経て、いよいよ進路選択に追い詰められつつあった。その象徴がこの進路希望調査書である。

私は、少し真面目な顔を作りながら、進路希望調査書とにらめっこを続けた。そろそろ決めたい。でも、決められそうにもない。決めることそれ自体もはや面倒くさい。だってこの溶けるような暑さだ。頭は思考停止の活動終了状態である。そんな中、決断しなければならない。青春というのはなんて残酷なのだろう。

すると、そんな私を横目に、向かいの席に座る杏奈は能天気に欠伸をした。

「奏はさ、彼氏欲しくない?」

「へ?」

あまりにあっけらかんとした杏奈の言葉に、私はすっとんきょうな返事をしてしまった。

「私は欲しい。欲しくて欲しくてたまらん」

 そう続けた杏奈の関心事は、相変わらず《恋》であった。恋に忙しい杏奈は、高校に入学してからこれまで累計10人の男子と付き合ってきた。だがどの男子とも長続きはしなかった。杏奈としては「人数の問題ではない、大事なのは中身なのだ。中身のない男子には用はない」ということらしい。私もその感覚はわからないではない。大事なのは中身。ただし、彼氏を作ったことがない私からすると、10人は人数としては単純に多い気がしていた。つい先日も杏奈は2カ月付き合った彼氏と喧嘩別れをして、それ以来、男付き合いを控えているようでもあった。それでもやっぱりめげてない。それは実に、杏奈らしかった。しかし、私にもその価値観を押し付けてくるのは少々困ったものである。私は、とりあえず適当に相槌を打った。

「そうだね」

「え、奏はさ、彼氏欲しくないの? 欲しいよね?」

 いつもはこれで終わる会話のはずが、今日の杏奈はしつこかった。いまの私は進路に忙しい。進路希望調査書を杏奈に見せる。「ゲッゲッ」っという顔をして杏奈は顔をそむけた。

だが、ここで、勉強のことなど持ち出したら、友達関係がギクシャクしてしまうというものだ。私は杏奈のテンションに合わせるように「彼氏は欲しいよね」と返事をした。

「やっぱりそうだよね。受験もあるけど、奏も彼氏欲しいよね。そうだよね。だよねだよね」

 杏奈は楽しそうに少し考えた風を見せてから、ひらめいたとばかりに手を挙げた。

「奏。じゃあさ、紹介する。彼氏候補」

「ふへ……?」

 私は訳が分からず動揺し、喉の奥から変な声を出してしまった。

「紹介するよ。いい話だと思うけどなー」

 杏奈は何を言っているのだ。私に紹介するというのは、一体どういうことなのか。自分で行けばいいのではないか。それなのにお節介にも私に紹介するとはどういうことか。

つまりは、私が杏奈の紹介してくれる男子と付き合う、ということなのか。そうかそうか。なるほど。状況を理解した。

「いや、いいよ」

 私は遠慮した。遠慮というか、正確には半分拒否した。

「でも、奏も彼氏欲しいんじゃないの?」

 杏奈は追撃の手を緩めない。

「それはそうだけど……」

 追い詰められたので、私はそれ以上は言い返せなかった。杏奈が私の方に身を乗り出す。

「なら! 話は早い。連絡先」

 杏奈はそう言って、《ある男子》の連絡先を無理やり私のスマホに送りつけてきた。ふわふわパーマの茶髪男子の画像が私のスマホに表示された。それが、青山拓斗であった。


■2

 この青山拓斗という男子と放課後に吉祥寺駅で待ち合わせをすることになった私は、駅前の交番前で日傘をさして待機していた。今日も暑い。

スマホで髪型をチェックしていると、青山拓斗とおぼしき男子が現れた。ふわふわパーマの茶髪男子なのですぐわかった。

 ちなみに、事前情報としては、同じ高校の違うクラス。杏奈は1年の時に同じクラスだった。一見チャラいけど、根は真面目。面白い人。杏奈は狙っていない。ずっと杏奈は友達として付き合ってきた。どうしても彼女が欲しい希望があるらしく、杏奈的には、私と合いそうだから推薦したとのこと。以上。

 そもそもこんないかにもチャラチャラしてそうな男子が私に似合うと思っている杏奈はどうかしている。私は、勉強はできないが、真面目系に属していると思っていた。髪も染めたことはない。おしゃれもそんなに好きじゃない。むしろ自然体でありたいと思っている派である。地味でけっこうなのだ。そんな私とどうして青山拓斗が合うということが想像できたのだろうか。まあ、人は見た目で判断してはいけないが、それにしたって、この青山拓斗という男子はいかにも、というか、絶対に、チャラい。私の直感がそう囁いていた。

「奏ちゃん? 想像していたよりもめっちゃタイプ」

 それが私に対する青山拓斗の第一声だった。レベルが低いのか。幼いのか。最低なのか。

「あ、はい。こんにちは」

 私はそっけなく返事をした。

「俺、青山拓斗。よろしくっす」

 青山拓斗は笑顔を見せた。その笑顔はどこかうさんくさい。うわ、やっぱり苦手だ。私の直感は正解となった。

「さーてと。どこ行こっか?」

 青山拓斗は思慮深そうに、パーマのかかった前髪を触って唸った。

「スタバ」

 さらっと私が回答する。

「お! いいねー」

 青山拓斗はノリノリで乗っかってきた。

「でも私、お金ないから今日はやっぱり無理かもです」

 私にはこの軽いノリがもはや限界であった。こんな男子、第一印象の段階でお断りである。

「そんな悲しいこと言わないでよー。わかった! 俺がおごるからさ。初デート記念」

 そういう問題じゃないんだけどな。私は難しく困った顔をした。青山拓斗は、そんな私に再び笑顔を向けてきた。気安く微笑む男はやっぱりうさんくさい。ただ、その時の私は、これ以上断る口実を暑さで見失ってしまっていた。だから、仕方なく流されて、青山拓斗とフラペチーノを飲む羽目になるのであった。


■3

 吉祥寺駅からすぐのスタバは混雑していたが、ちょうどタイミングよく向かい合わせに座れる席が空いた。私が席をとって、青山拓斗が注文に行った。なんかデートっぽい感じになってしまったのは一生の不覚だと私はこの時ようやく思った。

 私のオーダーは、チョコチップ追加のダーク・モカチップ・フラペチーノ。それとアイスコーヒーを持って青山拓斗が戻ってきて、私の向かいに座った。

 私はフラペチーノを受け取ってさっそく一口飲んだ。控えめに言って、最高だ。夏の暑さも和らぐおいしさ。青山拓斗はアイスコーヒー・ブラックである。なんだ、コイツ、大人ぶっているのか。カッコつけているのか。そのどちらかだろうな、と私は思った。

「奏ちゃん。杏奈の親友だって聞いたからさ、絶対にいい子だろうなって」

「は、はあ……」

 アイスコーヒーを片手に、青山拓斗は私のことをじっと見つめてきた。

「え? 何?」

 私は見つめられるのには慣れていなかった。その行為に嫌悪した。

「いやー。さっきから何考えてるのかなーって。奏ちゃん、そういう魅力あるよー」

 ホント、図々しい男。私はそんな彼を一刀両断するようにきっぱりと言った。

「進路。高3でしょ、ウチラ」

 すると、青山拓斗は目を丸くして、私をまじまじと見た。

「お、奏ちゃん偉いわー。俺、勉強とかそういうの、苦手だから。まだ全然進路も決めてないんだよねー」

 相変わらず笑顔なのは、なんなんだ。

「え。でも、大学は行くでしょ?」

「行くよ。でも、勉強は苦手なんだよな。推薦も狙えないし。いっそ芸術系? 目指してみよっかなーなんて思ってるわけ」

「なにそれ」

「俺、こう見えても、絵上手いんだよ」

「芸術系って……そういうのは、本当に才能がある人だけが行くところでしょ」

「俺、本当に才能あるから」

「あ、そ」

 私は呆れてしまった。青山拓斗という人間が私にはわからない。杏奈もどうしてこんな男が私に合うと思ったのか。

「わかった。じゃあ、証明するね」

 そう言って、青山拓斗は鞄からペンとノートを取り出した。

「え? ここで?」

「奏ちゃんを描くよ」

「いや、いいよ」

「遠慮しないで。すぐ終わるから」

 そう言って、青山拓斗は問答無用で私の姿をノートに書き始めた。私は嫌だったけど、その様子をじっと見守るしかなかった。

 ペンを走らせる青山拓斗は急に真面目な表情になり、その真剣な眼差しは、少なくとも今までの中では、嫌いじゃないな、と思った。 

 才能。その言葉を私は心の中で反芻した。才能がないというのは私のことだ。平凡という言葉がよく似合う私には、一芸みたいに秀でたものなど何もない。ただ、学校の勉強がそこそこできる、というくらいものもであった。周囲におくれをとってはいけないという危機感だけで、勉強している、そんな女子。それが私だった。いま目の前で、そんな私を描いている、この男子は、もしかしたら、私とは違う世界の人種なのかもしれない。そう思うと、どこか突き放されたような気がして、居心地悪く、怖くなった。

「できたよー」

 青山拓斗が完成した絵を私に見せた。驚いた。本当にうまい。描かれた私の姿は、私の想像を超えて、微細で、鮮やかであった。

「意外とやるね」

 私はフラペチーノを飲んだ。

「だろー。俺、やっぱセンスあるんだわー」

 その自惚れ発言に、感心していた私の心が一瞬で崩れた。

 そんな私の様子を見て、青山拓斗は急に身を乗り出して声をひそめた。

「ね、俺、わかっちゃった。奏ちゃん、本当は恋人なんてほしくないでしょ?」

「は……!?」

「大正解だ」

 青山拓斗は満足そうに微笑んだ。ホントなんなの。見透かしたようなことを言って、何なのコイツ。それが正解だったからって何だっていうの。私はイライラしてきた。

「……恋より勉強が今は大事だとは思わない?」

「まあね。でも、俺は、そんな奏ちゃんの真面目なところ好きだよ」

 さらに何言ってんだ、コイツは。いちいち発言が軽い。もう限界だった。

「でもさ、逆に青山君が私の恋愛対象にはならない、とは思わない?」

「え? 俺のこと好きにならないヤツなんていないから」

 なんだそれ。どれだけ自信過剰なんだ。

「私、帰る」

 残りのフラペチーノを一気に飲み干す。頭がキーンとなる。でも、これ以上ここにはいたくない。私は立ち上がった。

「送るよ」

 青山拓斗も立ち上がろうとするので、それを私は制止した。

「そういうの、いらない。サヨナラ」

 私はそう言って、青山拓斗を捨てるように置き去りにして、スタバを出た。


■4

 家に帰った私は、自室のベッドに寝転がりながら、まだ空欄のままの進路希望調査書を見つめた。杏奈から「今日ダメだったの?」とメッセージが届く。思い出しただけでイライラしてきた。だがそこはぐっと堪えて「合わなかった、相性の問題かな」と返事をした。すると「そうなんだ。残念」とすぐさま返信が来る。そう、これで終わりだ。終わりでいい。でも、どこか虚しい感じがする。一体何がどうしたっていうんだろう。あの絵のことか。才能のことか。

 私だって、恋人がほしくないわけじゃない。私だって、私の心の空白を満たしたいって思う。寂しい時や悲しい時、嬉しい時も一緒に共有できる人がいたら、世界の見方も大きく変わると思う。でも、青山拓斗のような男子は違う。他人の心にズカズカと入ってきて、荒らすだけ荒らして去っていくタイプの男子だ。

 結論は出ているような気はするのにモヤモヤは晴れなかった。そうやってぐるぐるしていても仕方ないので、眠ろうかと思い始めた時だ。青山拓斗からもメッセージが届いた。

 そこには「もう一度会えないかな?」と綴られていた。なんだろう。もう一度会えば、この心の靄がかかった感じも晴れるのだろうか。それとも、なんだかんだ私は彼のことが気になってしまっているのか。いやいや、それは認めたくない。認めてはならない。そう思った。それなのに、私は気が付くと、青山拓斗のメッセージに「スタバ」と返事を送っていた。


■5

 放課後。吉祥寺の駅前からすぐのスタバで私たちは待ち合わせた。

 青山拓斗は相変わらずアイスコーヒーを飲む。私は、今日もフラペチーノだ。

っていうか、なんで会うことにしたんだろう。これきりで終わりにするのは可哀そうすぎるという私なりの慈悲だろうか。

「俺、なんか昨日帰ってから考えたんだ。ずっと。奏ちゃんのこと」

 今日の青山拓斗はどこか大人しかった。

「本当に奏ちゃんに惚れちゃったみたい。俺さ、チャラくなくて真面目で一直線な子がイイって希望出したんだよね。希望通りだ」

「は?」

「俺、一度こうと決めたら一途だから」

 神妙なテンションで語る青山拓斗。昨日とは180度違っていた。それはそれでなんだコイツと思った。

「その言葉、信じられないけど」

 私は、フラペチーノをすすった。

「俺さ、実は、今まで付き合った子いなくて」

「は?」

「昨日は、無理にでも奏ちゃんの気を引こうと思ったんだよね」

「……」

「でも、それ、間違ってた。ごめん」

「謝ることじゃないと思うけど……」

「だから、俺の初彼女になって欲しい!」

 青山拓斗の思考と論理はよく分からなかった。そして、私の答えは決まっていた。

「それは無理」

「そこをなんとか……!」

 頭を下げる青山拓斗。昨日の威勢はどこへやら。そう思うと、だんだん可哀想になってきた。私は、フラペチーノを飲みながら考えた。

「ねえ、昨日の絵、持ってる?」

「あ、うん」

 青山拓斗は鞄から絵を取り出して、私に渡した。その絵はやはりうまく描けていて、不思議なことに私らしい私がそこにいる、という感じがした。

「……じゃあ、一年」

 私はぼそっと言った。

「え? 一年?」

「一年間、私のこと思い続けられたら、付き合ってあげてもいい。本当に一途ならできるでしょ」

 私は青山拓斗を見た。正面からしっかりと見た。青山拓斗の瞳に希望の光が差すのが見えた気がした。

「ありがとう」

 青山拓斗は嬉しそうにそう言って、笑顔でアイスコーヒーを飲んだ。

 私は改めて彼が描いた絵を見た。なんだか妙な約束をしてしまった。でも、本当に青山拓斗が私の心の空白を満たせる存在になってくれるのなら、それはそれでアリなのかもしれない。そう思ったら、急になんだか居心地が悪くなってきた。恋が始まってしまったのだろうか。

 まだまだ暑い日は続くし、恋とか本当に面倒なだけだし、嫌になる。嫌になるんだけど、もう少しだけ前向きに考えてみてもいいのかもしれないと思う私がいた。

    

                                (終)

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