【第一部】蠱惑的な美少女……だと?

一匹目 何だっていいじゃないですか

 とはいえ、泰司も健康な思春期の男の子である。

 女神が言ったことに興味がないかといえば、そんなことは全然なかった。

 しかも、どんな生物でも美人で確実に好みのタイプに変化するのだという。

 まだ見ぬパートナーのことを想像すると、自然と口元が緩む。


「信じたわけじゃないぞ」


 そう言いつつも心は素直で、泰司は浮ついた面持ちでカードを眺めていた。

 ちょうどその時、耳元をかすめるかん高い羽音に手が反応した。

 反射的にカードを持った手で払うが、すばやくかわした蚊を泰司は恨めしくにらむ。

 そして、直後に青ざめた。


「あ、あぶね」


 そう、血を吸う蚊はすべてメスなのだ。

 蚊が人化してどんな女性になるのかなんて想像もつかないが、蚊がパートナーになったら後悔するに違いない。

 これからの戦いを考えたら、少しでも強そうなパートナーのほうがいいに決まっている。

 パートナーにふさわしい強そうな生き物といえば何がいいのだろう。

 動物? 鳥? もしくは……。


「……どこまで本気で考えればいいんだよ。この馬鹿げた状況」


 大きなひとり言を吐き出して、泰司は素に戻ってしまった。

 再び溜息をつくと、カードを握ったままベッドの上に仰向けに倒れた。


 ぼふん!


 突然の破裂音に驚いて泰司は跳ね起きた。

 というか衝撃に跳ね飛ばされた。


「な、なんだ!?」


 ベッドから転げ落ちた泰司は、今度は床に尻餅をついたままベッドを見上げる。

 するとそこには一人の少女が座っていた。

 年の頃は十台半ばくらいで、たぶん泰司と同じくらいだろう。

 黒いワンピースを着ていて、つやっとした流れるような黒髪だった。

 透き通るような白い肌と、和風な端正な顔立ち、くりっとした大きな目つき。どこから見ても泰司の思い描く理想的な美少女だった。

 黒服の少女性はぐるりと一周部屋を見回したあとで、泰司を見据えて微笑みかける。

 その笑顔だけで、泰司は魅了されたかのように声も出せず、顔が熱をおびていった。


「嬉しい……泰司さんがわたしを選んでくれた」

「え? まさか」 


 泰司はメタモルカードを見てみると、今まで何も無かった鏡面に、黒服の少女が映っていた。

 そして、その姿の下にスペルが記された。


 Periplaneta fuliginosa


「なんだこれ?」

「私の学名です。人化に成功すると、元になった生物の情報が記録されますので」

「学名? 人化? ってことは……俺って、何かを人化させちゃったのか!?」

「その通りです! 数ある地球の生命体から私を選んでいただけたなんて光栄の極みです!」


 黒服の少女は胸の前で手をあわせて、感極まった表情をしている。


「いや……選んだわけではないんだけど」

「愛があれば、どんな不都合でも糊塗できるのですよ!」

「愛……といわれても」


 いまいち釈然としない泰司だった。

 とはいえ目の前にいる少女はどこから見ても理想的な女性だ。

 美人なのに感情豊かな顔とか、スリムなのに黒ワンピースの下から主張する胸とか。

 そんな彼女が一途に愛してくれるのなら、悪いことは何も無いような気がしてならいような、あるような……。

 こんな想定外の展開に、泰司の思考と感情が足踏みをしていた。

 すると、黒服の少女がずりずりと泰司のほうへにじり寄ってきた。


「な、なに!?」

「あの……、その……」


 黒服の少女は嬉しそうに頬を赤らめながら泰司を覗き込む。


「繁殖しましょう!」


 言うなり、ベッドの上から泰司に跳びかかった。

 ついに大人の階段を上ってしまうかもしれない。そんな思いを胸に、泰司は魅惑のボディを抱きとめるつもりで両手を伸ばす。

 だが、その寸前にわきあがった激しい負の感情のせいで、思わず少女の肩口に足をかけ、そのダイブを止めてしまう。

 結果、踏みつけられるように床に突っ伏した黒服の少女が恨めしい声をあげる。


「泰司さん……酷いです」

「あ、いや、ごめん。なんだか近づかれた時、急に嫌悪感がこみあげて……」

「よもや! 女性恐怖症なのですか!?」

「いや、そんなことないよ。全く」


 別段モテるここともないが、クラスに女友達がいないわけでもない。

 普通に会話だってするし、できれば彼女だって欲しいお年頃である。


「うーん、何故でしょう? まあ、嫌なことはすっきり忘れまして。もう一度!」


 やり直しを訴えた少女が上体を起こした時、泰司は見てしまった。

 黒髪の少女の頭頂から、二本の黒くて長い触角のようなものが生えていたのだ。

 さっきまでは黒髪にまぎれていたのと、大部分が背中に隠れていたため気づかなかったのだが、ふよふよと動くその様はどうみても触角だった。


「ちょっと待った!! お前は何者だ? 何が人化したんだ?」


 家の中にいて、触覚があって、黒っぽい生物なんて嫌な想像しかつかない。

 黒服の少女は笑顔がこわばりながらも、必死で愛らしい表情を作ろうと頑張っていた。


「そんなの……何だっていいじゃないですか。絶対にわたし、泰司さんの一番になれると思うんです! 駄目ならいくらでも努力します! わたしには泰司さんしかいなんです!」


 その懇願はいじらしく、つい魂を惹かれそうだった。だが、泰司は心を鬼にして詰問する。


「言えないなら、ネットで学名を調べるぞ!」

「わかりました! そんなことをされるくらいなら自分で言います! あのですね、えーと、真実と向き合う覚悟はありますか?」

「癌の告知かよ!? とにかく、早く教えてくれ!」

「は、はい。えーと、わたし、平たくいうと、その、クロゴキです」

「……あ?」

「わたし、しばらくこの部屋に住んでいましたから、泰司さんがありえないくらいゴキ嫌いなことよく知っていて……。だからとても心配だったのですが」

「……う?」

「なんだかんだでパートナーになったあたり、やっぱり運命だったんだなぁ、赤い糸だったんだなぁ、なんて考えたりして」

「……ぉ」

「それで……え、あの、泰司さん? ねえ、泰司さん! 気をしっかり持って! あああ、どうしましょう!?」


 人間、ありえない程の精神的ショックを受けると、案外簡単に気を失うのである。

 泰司は心の底から嫌悪するゴキの化身に抱きかかえられたまま、小一時間ほど意識が飛んだまま悪夢にうなされることになった。

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