Scene3




 あまりにも使い古された脅し文句。近未来フィクションで死ぬほど見てきたお決まりの展開。実際にVR技術が浸透した現代において、真面目に振りかざせば笑いものにしかならないほどの荒唐無稽さ。


 なのになぜか、本能がそれを否定できなかった。


 本物と見紛うほどに解像度を上げた、異常にリアルな仮想空間、持続性を無視し、立ち上げるだけならどんな非合法も成立する分散型自立組織DAOという新時代の経済活動、演出にしては明らかに過剰な但し書き、そして先刻よりネメシスくんから漂ってくる、滲み出てくるような悪意。それら全てが、ありえないと否定したい私の本能を、査読不能な論理を持って押しつぶしに来ていた。


「なんやこれ……バカバカしい」


 どこかで誰かがそう言った。それは皆が思っていたことだろう。だけどなぜか、記されたルールを破るものはいなかった。失格を恐れ、始まる前から賞金取りっぱぐれたくなかったのかもしれない。配信者の矜持として、撮れ高もなく脱落したくなかったのかもしれない。あるいは単純に、死にたくなかったからかもしれない。


『さあさあ皆さん、ルールは理解しましたかな? そろそろアイテムのダウンロードが終わる頃ですが、まずは腕試しに次のセーフエリアまで鬼ごっこと行きましょう』


 そう言って、ネメシスくんがのっぺりとした棒のような腕を振り下ろすと、島の森の奥の方から光の柱のようなものが立ち昇った。


『ルールは簡単。あの光る柱の下にあるセーフエリアまで、エネミー敵対AIから逃げ切るだけ。エネミーに追いつかれて倒されれば当然脱落です。手段は問いません、とにかくセーフエリアまで無事に辿り着いてください。更に──』


 ネメシスくんはそこで言葉を一旦切り、何かのコマンドを実行した。すると、空間に浮かんだ光が十に分割され、それぞれのインベントリに収められた。


『既に体感済みなのでお分かりかと思いますが、この仮想空間は皮膚感覚も非常に高精度に再現されています。セーフエリアに向かう森を裸足で走るのはやや危険。特に水着にビーサンのみなさんが、砂利を踏んだり葉っぱで切ったりするとめーっちゃ痛い! ですので初回ボーナスとして、ささやかながらお役立ちアイテムを各自配布させていただきました』


 私のインベントリに追加されたのは、一足のサンダルだった。だがそれは、今わたしが履いているビーチサンダルと殆ど変わらない。いやむしろ、こっちのほうがボロいとひと目でわかる見た目をしていた。


 だが──


「なんやねんこれ! こないなもんでどうせえっちゅうねん」


 キツい訛りの怒鳴り声に、ハッとなって私は振り向く。憤懣やる方ない様子で目を剥いていたのは、私や八兵衛とは別の理由で輪から外れていた男。特徴的な天狗の鼻マスクと低めの身長。底意地の悪そうな目つき。何よりその所業から界隈では蛇蝎のごとく嫌悪されていた暴露系インフルエンサー、煽堂せんどうという男だった。


 彼の手に握られていたのは、底がまるまるくり抜かれたスリッポンだった。煽堂はそれを足にはめると、これみよがしにがなり立てる。


「見てみいや、これ。ビーサンないからちょうどええって思ってたら、こんなゴミ寄越しおって。こんなんない方がマシやんけ」

『じゃ捨てれば?』

「なんやと……?」

『あってもしょうがないんでしょ? じゃ捨てれば?』


 まるで取り付く島のないネメシスくんの態度に、煽堂は露骨なまでの怒りを顔面に貼り付ける。


「おいコラ、主宰だかなんだか知らんけどな、あんま調子こいてっと燃やしちまうぞ? テメエんとこの仮想通貨ガバナンストークン、一晩で紙くずにしたろか?」

『はっ、産廃ナポレオンが。チビはいちいち声がでけえなあ』

「テメエッ!」


 耳まで真っ赤にしながら、煽堂がなりふり構わずネメシスくんに殴りかかる。にわかに周囲が殺気立った瞬間、一つの影がするりとネメシスくんと煽堂の間に割って入った。


「その辺にしておけよ、煽堂」


 煽堂の腕をブロックし、低い声で牽制した黒尽くめの男。一人だけ水着アバターにも着替えず、更にはガスマスクで顔さえ隠していたため、煽堂にも増して近寄りがたい雰囲気を醸し出していた彼のプレイヤーネームには、ただ一文字『K』とだけ表示されていた。


「なんや、お前」

「ボクのことなんてどうでもいい。リングのダウンロードはもう終わった。これ以上場を乱すな」

「この野郎……」


 最悪の空気だった。主宰の態度にもだいぶ問題はあるが、それ以上に煽堂のKYっぷりが周囲の空気を乱しに乱していた。

 しかし、そんな空気を一気に中和するかのように、舌足らずな可愛らしい声が響いた。


「あのお……これ」


 そこには、どう考えても無用の長物でしかないスニーカーをぶら下げながら、一生懸命空中を泳ぐコンコンの姿があった。


「なんや、このオイナリは」

「あのお、このお靴、しゃまには必要ないので。よかったらいかがですか?」


 コンコンが煽堂に差し出したのは、私や彼のとは明らかに質が違っていた。これは一体どういうことなのだろう……。


「なあ、もう良いじゃないですか。このゴタゴタも配信乗ってるんでしょ? 色々まずいんじゃないですか? ねえ」


 そこに、ここぞとばかりに割り込んできた八兵衛の一言で、煽堂はようやく振り上げた拳を下ろし、コンコンからスニーカーをひったくった。


「コンしゃま~。ナイス! ナイスだよ~! ああ……もう! かわいい優しいお利口さん! 天使! 大聖母!」

「しゃ……しゃま~」


 あの場におけるMVPともいえるコンコンを、マオぴんが抱きしめながら熱烈に褒めそやし、そして気を取り直したように皆の方に向き直った。


「さあさ、トラブルは水に流して、皆でゲームクリアしよ! 三千万だよ? 三千万。終わったらメンバーシップ特典で焼き肉オフ会しよ」


 そう言って、マオぴんはダウンロードの完了したリングを腕に装着。私たちもそれに倣ってリングを装着しようとしたのだが──


「ねえ、これ一回つけたら外れないとか、外そうとしたら爆発なんてことはないでしょうね?」


 とそこに、今まで黙っていたカノンがネメシスくんに問いを投げた。それに対し、ネメシスくんは何でもないかのように即答する。


『そんな機能はないですよ。なんなら試してごらんなさい』


 その言葉に従い、私とカノン、それに他の何人かもリングを外した。爆発はしない、そもそもこのリングにはロック機能自体がついていないようだった。感触も軽く、青く光る線状のインジケーターと、何を示しているのか分からない数字が表示されているだけだった。


「なんの数字かしら……これ」


 私のリングに表示されていたのは、1578。隣のカノンは5720。一番多いのはマオぴんの三万以上。逆に最下位は『K』で、八兵衛とほぼ並んでいた。こんな具合に数字が近い人もいるにはいるが、全員がまったく違う数字を示していた。何だこれは、人気投票か何かか?


「主宰さーん、これってなんの数字なの?」

『…………』


 ナノの問いに、しかしネメシスくんは答えない。まるでスイッチが切れたように、急にだんまりを決め込んだ。というかこのネメシスくんとやら、中に人間がいるのか、高機能AIなのかまったく判然としない。


「ちょっと……主宰さん? これ何の数字?」

『…………』


 二度目の問いにも、やはり答えない。これにも何かしらのルールがあるのだろうか。


「しゃま~……」


 不自然な挙動を見せるネメシスくんをよそに、またしてもコンコンの可愛らしい声が耳を駆け抜けた。放っておくという選択肢を自然と取り去る甘え声は、キュート系特有の媚びる感じはないのに、無性に母性をくすぐられる。その効果は、特に姉御肌の強いマオピンには覿面だった。


「どうしたの、コンしゃま?」

「このリング……しゃまの腕に嵌められないですぅ。キャラデザのせいですぅ……」

「た……たしかに深刻な問題だ」


 全メンバーの中で、唯一デフォルメサイズのマスコットとして投影されているコンコンの腕には、確かにこの腕輪は大きすぎた。不可解なことに、それに対するUIの最適化保証が起動していないのだ。

 マオぴんはしばしの黙考の末、なにか閃いたように指を弾いた。


「ネメシスくん、この腕輪、この子の首にかけても問題ない?」

『問題ありませんよ~。体のどこかに巻き付いていれば、リングは起動状態になります』

「おっけ~。じゃあコンしゃま、これ首にかけよっか」

「しゃま!」


 無事に問題は解決するようで、コンコンはご満悦だった。ケモノ系アバターの特権であるフサフサな毛をかき分けながら、マオぴんは丁寧にリングをコンコンの首に装着。明るい青に輝き出したコンコンのリング、もとい首輪には、八千を超える数字が表示され、それをもって全員の数字が明らかになった。


「────」


 異変が起きたのは、まさにその直後だった。


「ひっ──」


 ──何か、そう。たとえるなら生木がねじ切れるような、硬さと水っぽさの混同した、決して心地良いとは言えない異様な音だった。


 それから刹那に遅れ、海面を叩く破裂音としぶきの舞う音。ここで初めて、私を始めとした何人かが虚をつかれて音の方に振り返る。だが異変の始まりを目撃していた者は、すでに次の反射シークエンスにシフトしていた。血と骨と臓物と脂、異なる質感の異物達が乱舞する理解不能な光景に、脳の処理が止まり、瞳孔の拡大とともに現実感さえ遠のいていく。やけに印象的だったのは、吹き飛ばされた後頭部の髪型が、時代錯誤な小銀杏であったこと。


 ここで気の毒なのは誰だろう、なにひとつ見せ場のないまま退場した八兵衛だろうか。

 過剰なほどリアルな人体破壊の一部始終を最初から目撃してしまったリゼッタだろうか。

 まったく無防備なまま、視界の外からせ返るほどの血を浴びたナノやペタバイトだろうか。

 それとも、もはや怪物としか思えない強烈なビジュアルに変身し、眼の前にいた八兵衛を粉々に砕いた、にこれから追われることになる、のインフルエンサーたちだろうか。


『駄目だなァもう。最初に言ったじゃないですか。全員がリングを装着したら企画始動スタートだって』




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