時間外労働は死神でした
きょろ
時間外労働は死神でした
大手ゼネコンで働く渡辺(36歳)は、同期の中でも早くに出世していたが、そこには彼なりの理由が二つあった。
一つ目は、渡辺以外にも多くの社員が犠牲となっていた「超過労働」の体制だ。
共に頑張ろうとしていた同期が、頼れる先輩や上司、信頼する後輩が、明日には突然退職しているということは珍しくなかった。
渡辺もそんな一人であり、彼も過酷労働な日々に何度「もう辞めよう」と思ったかは分からない。
しかし、ここで辞めたらただ犠牲者が増えるだけ。
それならば──と、渡辺は自分が出世して地位と権力を得て、少しずつでもいいからこのブラック企業を良い方向に“改革”したいと思った。
二つ目は、ただの意地だった。
このままで終わりたくない。
自分を含め、今も犠牲という歯車に巻き込まれている社員達、それに辞めていった人達が少しでも報われるように、何も変わらないかもしれないけど、何かを変えたかった。
渡辺はそんな思いがあったからこそ、出世を貪欲に目指した。
「ふぅ〜、もうこんな時間か……。今日も帰れないな」
努力した渡辺は、同期の中では早く出生した。だが一つの企業、それも大手の労働体制を変えるのは予想以上に険しい道のりだった。
(俺も30半ばだからな……昔と比べて疲れが抜けない……)
もう誰もいない。暗いオフィスを見渡しながら、渡辺は小さく溜息をこぼした。
疲れているのかいないのか。眠いのか眠くないのか。必死に働く日々が当たり前になっていたからこそ、年々感覚が分からなくなっていた。
「──お疲れ様」
渡辺は不意に声をかけられた。
誰もいないはずのオフィス。見たことのない、渡辺と同じ歳ぐらいの爽やかな男性だった。
「お、お疲れ様……って、えーと」と言葉に詰まる渡辺。
「西上(にしがみ)だ。君とは違う部署だけど、一応同期さ」
大手の新入社員は、当たり前に人数も多い。お互いに顔も名前も知らずに定年を迎えることもしばしばある、という話を渡辺も聞いたことがあった。
「そうなんだ。西上君も残業かい?」
「まぁね。残業じゃなくこの時間にいたらホラーだろう」
「ははは、確かに」
渡辺と西上は、何気なく雑談を交わした。
そして不意に、西上が渡辺に言う。
「やっぱ渡辺君はプレゼンが圧倒的に上手いよ。説得力がある。だからここまで出世したんだと俺は思うけどな」
「そうかな?」
「うん。だからこそ、君が本気でこの会社の労働体制を変えたいなら、そこをプレゼンするべきだと思う。“こうしたほうがいい”なんていう軽い提案ではなく、それこそ特大プロジェクトを我が社が奪いにいく時のような本気のプレゼン。内容は勿論、今の労働体制を改善させるものでね」
「本気のプレゼン……か」
妙に納得感のある西上のプレゼンを聞かされた渡辺は、一理あると思った。
だからこそ、西上の言う通りに「労働体制を変える為の本気のプレゼン」の資料作りをこの日から始めた。
一日の中でプレゼンの資料作りに費やせる時間は僅かだったが、渡辺の意欲はとても高かく、数週間後にプレゼン用資料が完成した。
更にそこから渡辺は上層部に直談判を続け、遂に「労働体制を変える為の本気のプレゼン」が行われた。
西上や他の同期からも「頼むぞ」と託された渡辺は、皆の期待を背負ってプレゼンに挑んだ。
その結果、渡辺の渾身のプレゼンは上層部を──そして会社を動かした。
長年の古い悪しき習慣が取り払われ、会社は渡辺や西上、それから他の多くの社員達も驚くほどのスピードで、いわゆるホワイト企業へとどんどん変化していったのだった。
「本当にこんな日が来るなんて……」と小さい声を漏らした渡辺。
定時で、それもほとんどの社員が当たり前に退勤していく光景をふと見た渡辺は、無意識に独り言を溢していた。つい最近までは過酷なブラック労働が基準であったのに、今では全く違う。帰る社員の表情は、以前よりも明らかに明るいものが多かった。
「こうして皆が定時で帰られるのも、渡辺君のお陰だね」と西上。
「いや、元々会社の労働体制が可笑しかったんだよ。俺はただきっかけを作っただけし、そのきっかけのきっかけは君だよ」
渡辺はそう言いながら、隣にいる西上に改めてお礼を言った。
「じゃあ、俺はもう帰る。今日は他の連中と飲みに行く約束をしていてな」
渡辺は西上に告げて軽く手を振ると、そこへちょうど、飲みに行く約束をしていた同期の鈴木と田中が姿を現した。
「おう鈴木、今日はどこに飲みに行くんだっけ?」
「……ん? あなた……“誰”ですか?」
「ったく、お前はまたそんなボケを」
いつも冗談を言う鈴木のボケを、慣れた様子で流した渡辺。
しかし今日は珍しく、いつもは渡辺側である田中もボケていた。
「何してんだよ。お前“誰”と喋ってんだ?」
「おいおい、まさかの田中も悪ノリかよ。もういいから早いとこ飲みに行こうぜ」
渡辺は何の疑いもなく、当たり前のように返す。
ただの冗談だと思っていたが、渡辺は直後に違和感を覚える。
「誰って……俺も誰か分からないんだよ。急に話しかけられてさ」と鈴木が田中の方に振り向きながら言う。
「だから、お前は誰と喋ってんだよ? “誰もいないじゃないか”──」
田中が平然とそう言った。
(誰もいない……? 何言ってんだこいつ)
渡辺が田中の言葉に戸惑っていると、再び渡辺へと振り返った鈴木が目を見開いた。
「あれ? ほんとだ。“誰もいない”」
冗談にしては、やけに芝居が上手かった。
「ちょ、もういいって。面倒だから早く行こ……「さっさと行くぞ、鈴木」
渡辺の言葉を遮るように田中が言いうと、鈴木と共にこの場から去って行く。
「は……? おい、待てって! もうその悪ノリは分かったか──っ!?」
次の瞬間、鈴木の肩を掴もうとした渡辺の手が、鈴木を“すり抜けた”。
(え?)
驚きのあまり、思わず動きが止まった渡辺。
一方の田中と鈴木はそのまま少し歩くと、渡辺の部署のオフィスにある、彼のデスクへと向かった。
よく見れば、田中の手には綺麗に装飾された「一本の花」が持たれていた。
そして田中はその花を、整理整頓された渡辺のデスクにそっと置いた。
「渡辺が“死んでから”もう3年か──」
「早いな……」
まるで息をするかのように自然な言葉を交わしながら、田中と鈴木は渡辺のデスクの上に備えた花を前に、両手を合わせた。
「お、おい……一体何を……?」
渡辺は、ただただ戸惑っていた。
だが無理もないだろう。田中と鈴木の行動が意味しているものが、渡辺には全く理解できなかったから。
しかし、そんな渡辺の戸惑いを晴らしたのは、西上であった。
「無理だよ、渡辺君──」
「に、西上……?」
急にそこにいた西上に、反射的に驚いた渡辺だったが、本当に渡辺が驚いたのは直後の言葉だった。
「残念だけど、君は“死んでる”んだよもう。色々とお疲れ様」と西上。
「なに? 俺が死んでるなんて、そんな馬鹿なこと……」
「実はね、俺は『死神』なんだよ。この世の彷徨える魂を管理する死神」
淡々と言い切った西上──の姿をした、「死神」と名乗った男。
渡辺はいきなりの告白に開いた口が塞がらない。ただ困惑の顔を浮かべるのが精一杯だった。次の言葉も出ない。何を聞けばいいのかも分からなかった。
思考がフリーズしていた。
「あの日、初めて俺と君が会った時があるよね? あの瞬間こそ、君の命が尽きた瞬間さ。君は過酷な労働によって、遂に肉体が限界を迎えてしまった。自分でも気づかなかっただろう? それほど君は頑張っていたということさ」
西上という死神の言葉を理解するのは難しかった。だが同時に、渡辺は彼の言葉がスッと心に入った感覚もあった。
その直後、渡辺は率直にこう思った。
『なんだ、俺はもう死んでいたのか』──と。
自分でも意外なほど自然と受け入れられ、なんだか腑に落ちた。
それならば、鈴木と田中の一連の行動にも全て納得できる。
自分がもうこの世にいないから、鈴木達は渡辺が見えなかった。触れられなかった。花を手向けた。
全ての辻褄が合った。
「渡辺君、君は確かに死んでしまっている。だけどね」と西上が再び喋り出す。
「君はちゃんと変えたんだよ。君の死がきっかけで、会社はその後に大きく変わった。勿論、良い方向にね。そして君が亡くなったお陰で過酷な労働もなくなり、本来であれば未来に失われていた予定の108個の命が救われた」
「108……? そんなに死者が出る予定だったというのか?」
「ああ。君以外にも肉体の限界を超えた者が数名いてね。君の死で会社で変わらなければ、その肉体の限界を超えた数名がきっかけで、この会社は大規模な事故を起こしてしまう未来だった。そこで失われるのが108個の命というわけさ。だから君が108個──いや、大事故で会社は倒産まで追い込まれるから、結果的には数千人規模の人の職や生活を君が守ったんだよ」
変わらず淡々と説明をした死神。
全てを聞いた渡辺の表情は、嬉しさと悲しさと驚き。いくつもの感情を混ぜた無表情だった。
渡辺がどんな気持ちだったのかは死神にも分からない。
だが渡辺は最後にふと、こんなことを考えていた。
(そういえば“西上”って、もしかして「しにがみ」を並び替えた伏線だったのか……? まぁ別に、今更どうでもいいか──)
渡辺はフッと、静かに口角を上げた。
【完】
時間外労働は死神でした きょろ @kkyyoo
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