ベルの中

尾八原ジュージ

ベルの中

 高校の第二音楽室はほとんど吹奏楽部専用の楽器庫みたいになっていて、壁一面を埋める棚には大小の楽器ケースがずらりと並んでいる。

 大抵は楽器ごとに固まって、たとえばトランペットはトランペット、トロンボーンはトロンボーンというふうに、仲間同士集まっている。でも右の一番下、チューバの影にぎゅっと詰め込まれるように置かれたホルンだけは別で、今の現役は誰も使っていない。


「あれね、お化けホルンなの」

 と、友だちが教えてくれた。

 友だちはチューバ吹きで、毎日のようにそのホルンの隣からチューバを取り出し、吹き、そして戻す。

「ホルンって、持つとき右手をベルに入れるのね。あのお化けホルンを持ってると、その右手を誰かが触るんだって。こうやって、指先をつまんだりするんだってさ」

 ベルの中に入っている右手に、誰も触れられるわけがない。

 でも、確かに感覚があるらしい。

「小さくて指のほそい、たぶん女の子の手なんだって。先輩が言ってた」

 その先輩は、お化けホルンを好んで使った。「いい音がするから」というのが、その理由だった。事実、いい音はした。先輩の技術も高かったのだろう。

 三年生の夏のコンクール、先輩はホルンのソロパートを担当することになった。

「本番でつままれたらどうします?」

 そう尋ねた友だちに、先輩は答えた。

「どうもしないよ。よくあることだもん」


 でもコンクール当日、ソロを吹いたのは別の部員だった。

 先輩はほんの一週間前、お化けホルンどころか、吹奏楽部をやめてしまった。

 練習中に突然「痛い!」と叫んだ先輩が、ホルンのベルから右手を引き抜いた。

 人差し指の爪がなかった。呆然と見守るうちに、爪のない指先からみるみる血があふれだした。

「それで先輩、やめちゃった」

 先輩を保健室に連れていったのは、友だちだった。

 道すがら、青い顔をした先輩が「やっちゃったなぁ」と呟いた。

「何をですか?」

「昨日けんかしたから。まだ怒ってたんだ」

 そう言って先輩は、血の色がにじむハンカチを見つめた。


「先輩はその後すぐやめちゃったから、たぶん仲直りできてないと思う」

 そして、お化けホルンを吹く部員はだれもいなくなった。

「やっぱり手だけじゃね。意思疎通に難があるよね」

 友達はそう言いながら、チューバをケースから取り出す。あの何キロもありそうな大きな楽器を、慣れた手つきで持ち上げ、スタンドの上に置く。

「その点、大きな楽器はいいよ」

 そう言いながら器用に傾け、ベルの中に顔を突っ込む。

 ふふふ、と中からくぐもった笑い声が聞こえる。

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