もしも生まれ変わったら。

きいろい なつ

第1話 わたしのはなし

 ​ 「生まれ変わったら、また自分になりたいですか?」


 そんなありふれた質問を投げかけられたら、かつての私は迷わず首を振っただろう。特に、自分の左手を見つめながら。


 ​ 私は、左利きだ。

 今でこそ「個性的」だの「天才肌」だのと都合のいい言葉で片付けられることもあるが、私の幼少期、その呼び名はもっと刺々しく、排他的な響きを持っていた。


 「ぎっ◯ょなんて、みっともない」


 親戚の集まりや、近所の大人たちの視線。そんな言葉が、まるで私の存在そのものを否定するように投げつけられたのを覚えている。


 ​ 祖父母は必死だった。私の将来を案じてのことだったのだろう、食事のたびに左手から箸を奪い、無理やり右手に持たせようとした。右手に持ち替えさせられた瞬間、食べ物はどこか味気なくなり、自分の身体が自分のものではないような、奇妙な疎外感に包まれた。結局、祖父母の涙ぐましい努力も虚しく、私の左手は頑固なまでにその役割を譲らなかった。私は今も、左利きのままだ。


 ​ 左利きというだけで、期待されるものがある。例えばスポーツだ。

 「左利きなら、きっとすごい変化球が投げられる」

「サウスポーは有利だから」


 そんな勝手な期待を背負わされるたびに、私は申し訳ないような、居心地の悪い思いをした。残念ながら、私の運動神経は壊滅的だった。

 期待の眼差しが、空振りのたびに露骨な落胆へと変わっていく。その沈黙が、幼い私の心に小さな痣を増やしていった。

 ​ けれど、そんな私にも、たった一つだけ「右の記憶」が誇らしく輝く場所がある。

 習字の時間だ。

 文字というものは、残酷なまでに右利きのために設計されている。横棒は左から右へ、はらいは右下へ。左手で書こうとすると、筆先が紙に逆らい、墨が滲み、醜い跡が残る。

 私は、習字の時だけは右手を使った。

 何度も、何度も練習した。墨の匂いが立ち込める部屋で、祖父が私の背後に立ち、その大きな手で私の右手を包み込んだ。


「すうっと引いて、ここで止めるんだ」


 祖父の手は、魔法の手だった。左手では決して届かなかった「正解」の形を、私の右手は祖父と共に描き出していく。


 ある時、私の書いた文字が学校で賞を取った。祖父は、これまでにないほど喜んでくれた。

「よくやったな」


 そう言って私の頭を撫でてくれたその手のひらは、妙にあたたかかった。あの日、右手を通して感じた祖父の体温だけが、私の「正しくありたい」という願いを肯定してくれた唯一の証だった。


 ​ 大人になっても、世界は相変わらず右利き仕様のまま私を拒絶した。

 駅の改札を通るたび、体を引き絞るようにして右側の読み取り機に左手を伸ばす。ファミレスのスープバーでは、注ぎ口が片側にしかないレードルを恨めしく見つめる。


 そして何より、車の運転だ。

 「次、右です」というナビの声に、脳が一瞬フリーズする。いわゆる「左右盲」というやつらしい。とっさに左右の判断がつかず、ハンドルを握る手が迷う。世界が当たり前に共有している「右」と「左」の感覚が、私の中では常に鏡合わせのように反転し、混乱を招く。


 便利さから見放されたような日常。そのたびに、心のどこかで舌打ちをしていた。

 ​ そんな私に、子どもが生まれた。

 最初に見守ったのは、娘がどちらの手でスプーンを握るかだった。

 右手だった。

 その瞬間、私は深く、深い溜息をついた。


(ああ、良かった。この子は、あんな思いをせずに済む)


 改札で体を捻ることも、左右盲になることもない。この子は、この世界が用意した「正解」のレールの上を、真っ直ぐに歩いていけるのだ。

 ​ しかし、育児は新たな困難を連れてきた。


 「教える」という壁だ。

 対面で箸やハサミの使い方を教えるとき、私の動きは娘にとって鏡のようにはならない。

 私が子どもの頃、左利き用のハサミは高価で、私は右利き用のハサミを無理やり左手で使い、指を赤く腫らしていた。娘にはそんな思いをさせたくなくて、私は必死に勉強した。右利きの子に、どう教えれば伝わるのか。鏡越しに練習し、言葉を選び、試行錯誤を繰り返した。


 ​ ある日、娘がふと私に尋ねた。


「ねえ、ままはどうして左でかいているの?」


 あまりにもシンプルで、鋭い質問だった。

 私は一瞬、言葉に詰まった。昔の私が言われた「みっともない」という言葉や、無理やり直されそうになった苦い記憶が、濁流のように脳裏を駆け巡った。


 なんと答えればいい? 「直し損ねたからよ」と言えばいいのか。


 ​ 答えに窮する私を見て、娘は自分で答えを見つけたように言った。


「ママのはね、生まれつきなんだよ」

 

 生まれつき。

 その言葉の響きに、私は立ち尽くした。

 私は苦笑いをしていただろうか。それとも、情けない顔をしていただろうか。


「そうなんだ! ■■は右。ママと合わせたら、ほら、一緒だね」


 ​ 娘は、私の左手をそっと握った。

 小さくて、柔らかくて、けれど驚くほど熱い手のひら。

 娘には、深い意味などなかっただろう。ただ、


「右と左で手をつなげば、ぴったり重なる」という純粋な発見を喜んだだけだった。

 ​ けれど、その温もりを感じた瞬間、私の目頭は熱くなった。

 あの習字の日、祖父が撫でてくれた右手のあたたかさ。

 あの時は、「正しくなれた」ことへの安堵の熱だった。


 けれど今、娘が握ってくれているのは、間違いだと言われ続けた私の、この左手だ。

 ​ 「生まれつき」という一言が、何十年も前の、独りぼっちで泣いていた小さな私を迎えに行ってくれたような気がした。


 左利きだから苦労した。不便だった。疎外感もあった。

 けれど、左利きだったからこそ、私は娘に教えるために人一倍努力し、彼女の手の熱にこれほどまで救われることができたのだ。


 ​ 生まれ変わったら、また左利きになりたいか?

 ​ ……また、なりたい。

 今はそう、心から思う。


 不便な世界を、この反転した視線で眺めながら。

 そしてまた、右利きの娘と鏡合わせに手をつないで、そのあたたかさを噛み締めたいから。

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もしも生まれ変わったら。 きいろい なつ @hykyu2120

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