第11話 飛竜1
中型竜を狩って帰還したアンヘルを待っていたのは、賞賛ではなかった。
ギルドの広間は、いつも以上に騒がしかった。
掲示板の前には人だかりができ、剥がされた依頼書が床に散らばっていた。湿った汗と鉄の匂いが混じり、空気が重く澱んでいた。靴底が石床を擦る音が絶えず、怒りを込めた囁きが渦のように絡み合っている。
「状況を把握しろ。」
烈しい声が広間を切り裂いた。
書記官たちは一見、普段通りに仕事をしているように見えた。古い依頼書を剥がし、新しい依頼書を貼りつける。だがその様子は機械的で、無理に平然を装っているようにも見える。
何かが起きている。
人だかりの中から、アンヘルに近づく者がいた。イネス隊の一人、マテオだった。
「アンヘル。噂を聞いたか。」
何の話か分からず、アンヘルは首を横に振った。
マテオは小さく
「飛竜だってよ。」
マテオの言葉が、アンヘルの心に鉄片のように沈んだ。
マテオの話によれば、城塞から南にある村落で、空を覆うほど巨大な影が目撃されたという。そして翌日、その村は崩壊した。
生き残った者はわずかで、彼らは口を揃えてこう言った。
——翼を持つ巨人が、家畜を喰い尽くした。
そのように証言したとのことだった。
「今、調査隊を編成している。お前、参加するか。」
マテオの問いに、アンヘルは首を横に振った。
全身に残る疲労が、骨の奥で軋んでいた。今は何も考えず、暗い場所で眠りたかった。
そのとき、身なりの良い青年が一歩前に出て、張りのある声を張り上げた。
「静粛に。」
広間のざわめきが止み、沈黙が訪れた。
「竜狩りの勇者たちよ。私たち騎士官と共に、名誉ある任務に参加してほしい。」
青年は騎士官を名乗り、さらに言葉を重ねた。
「今回の任務は現地調査だ。しかし、戦闘も十分に予想される。駆除対象は、飛竜だ。」
若い騎士官はそう叫び、周囲の戦士達を見渡した。
沈黙の中で、何人かが一歩前へ出た。
その中に、イネスの姿もあった。
「やれやれ。」
マテオが大きくため息をついた。
「飛竜狩りか。」
低く呟かれたその言葉には、苦い不安が滲んでいた。
数日経過しても、調査隊は帰還しなかった。その後、騎士官たちがギルド内に何度も出入りし、「徴兵令だ」と叫んで広間を駆け回っていた。
アンヘルはその様子を眺めていた。老年の騎士官が「おい」とアンヘルに声をかけた。
「貴様、耳が聞こえんのか。そうなんだな、きっと。徴兵令だ。強制なんだよ。」
老騎士官は烈しく声を発し、アンヘルを広間の中央に追い立てた。アンヘル同様、中央に追い立てられた竜狩りの戦士達が大勢いた。皆一様に無気力に見えた。誰もが騎士官たちの怒声にただ従っているだけのように見えた。
「これから、竜狩りに向かう。諸君らが軍属ではないことは本官も承知している。しかしこの任務を全うするその瞬間まで、本官を含む騎士官を上官と認識してもらいたい。」
騎士官の長らしき人物がそのように声を発した。しかし、どのような人物が声を発しているのか、アンヘルの立つ位置からは分からなかった。
「敵は強大である。しかし国家の盾たる諸君らならば、必ずや道を切り開くことだろう。大いなる成果を期待している。以上だ。」
訓示はそれだけだった。
その言葉を合図にしたように、騎士官たちが怒声を発した。竜狩りの戦士達を怒鳴りつけ、自動車両のトレーラーへと押し込もうとしていた。対して、竜狩りの戦士達は誰もがのろのろと行動していた。飛竜狩りなど、だれも経験したことのない大仕事だ。
誰も飛竜狩りの方法論を知らなかった。
誰も飛竜狩りの実際を知らなかった。
そして、すでに自動車両は目的地に向けて動き出していた。床板の振動が、アンヘルの脛骨に直接伝わってきた。だれも何も準備できていない。だれもが流されるままに、未知の領域に踏み込もうとしていた。
そのようにしてアンヘルたちは現場へたどり着いた。
村落の状況は、目を逸らしたくなるほど凄惨だった。
家屋の壁面は崩れ落ち、積み上げられていたはずのレンガは、無秩序な山となって地面に散らばっている。瓦礫の隙間から、何かが
家畜の死骸は、もはや原形をとどめていなかった。裂けた皮膚が地面にへばりつき、砕けた骨が無造作に散乱している。内臓を引きずった跡があり、それが赤黒い線となって土の上を這っていた。噛み砕かれた柵の破片が、そこかしこに転がっている。
麦畑は一面、踏み潰されていた。
かつて黄金に揺れていた穂は泥にまみれ、折れ伏し、地面に貼りついている。風が吹くたび、折れた茎が擦れ合い、かすかな音を立てた。
そして、先行していた調査隊の遺体があちこちにあった。
鎧ごと地面に叩きつけられ、折り重なった者たち。
離れた場所に、半身だけを残し、残りを失った者。
彼らの武器は地面に散乱し、曲がり、砕け、あるものは土に深く突き刺さっていた。
その光景のただ中で、正規軍は散開して防御陣形を敷いた。
煌びやかな鎧が整然と並び、銃身には精緻な彫刻が施されている。大盾と大口径ライフルが、騎士官たちの主武装だった。
砲兵隊の動きも素早かった。
設置された二門の大砲は、複座機と駐退機を備えた最新式のものだった。
アンヘルたちの最初の仕事は遺体を一か所に並べることだった。楽しい仕事ではなかった。数は多く、そして重かった。二人一組で運ばねばならなかった。遺体は死後24時間以上たっていたから、どの身体もガスでむくんでいた。皮膚が音を立てて裂け、ガスが漏れだすこともあった。
ふと重い、風切り音が起こった。アンヘルにはその正体を確認する時間も無かった。次の瞬間、耳を軋ませる衝撃音が起こり、地面が揺れた。
「飛竜」と誰かが叫んでいた。
それは悪夢に似ていた。
アンヘルは飛竜から離れた場所にいたが、飛竜の全身を視界に収めることができなかった。最初、その姿は巨大な翼膜そのものであるように思えた。次の瞬間、翼膜を形成する前腕と上腕を確認することができた。分厚い筋肉に覆われた後ろ趾を見た。
そうして、飛竜がその
巨大な眼球。
ひし形の眼窩。
硬い鱗に覆われた頭部。
突き出した嘴。
頭部を飾るいくつもの鶏冠。
それがアンヘルの見た飛竜の姿だった。
飛竜が大砲に
騎士官たちは勇敢だった。互いを励ます声を張り上げ、大型ライフルを斉射した。大口径の弾丸が飛竜の全身を貫いていた。それでも飛竜は傲然としていた。肉体を震わせて口を開き、瞬間、重い衝撃音が村落全体を激震させた。
飛竜の咆撃が生き残った騎士官達を背後の建物ごと砕いていた。
生き残った騎士官たちは雄叫びを上げ、飛竜へと突撃した。
騎士たちは大型ライフルの先端に装着された銃剣を飛竜へと突き出し、飛竜は騎士官らを砕かんと嘴を突き立てた。牙と銃剣の噛み合うすさまじい音が大地を震わせた。
騎士官たちが一人、また一人と数を減らしていく。アンヘルは動けなかった。頭蓋の内側で金属の砕ける音が反復し、聴覚を塞いでいた。悪魔の顔面が、悪魔付きだ、と呟く幻覚が視界を塞いでいた。
飛竜は飛び去ろうとしたが、竜狩りの戦士達がそれを阻止した。ある者は飛竜の側面に回り込み、果敢に攻撃を実行した。ある者は剣を叩きつけて飛竜の嘴を砕き、ある者は翼根を叩き、ある者は背後へ回り込んで魔剣を後ろ趾に叩きつけた。
飛竜は態勢を崩さなかった。巨躯を
生き残った者たちは死力を尽くして戦っていた。騎士官と竜狩りたちは飛竜に向かって最後の攻撃を敢行した。瞬間、飛竜が凄まじい力で攻撃を繰り出した。巨木のような翼腕を振るい、三人を圧し潰した。尾をうねらせ五人の身体を宙へ飛ばした。咆撃を放ち、生き残った最後の竜狩りを吹き飛ばした。
アンヘルは、その轟音に耐えて前進していた。
戦うことができる者は、アンヘルただ一人だった。
飛竜がアンヘルに視線を向けた瞬間、アンヘルは飛竜に向けて駆けだした。飛竜の側面を取るような軌道で走り、そして飛竜の後ろ趾に魔剣を突き刺した。
瞬間、ついに飛竜が、倒れた。
アンヘルは吼えた。
無我夢中で魔剣を振るい、飛竜の肉体を縦横に切り刻み、飛竜の頭蓋を叩いた。
飛竜は蛇のように首をもたげてアンヘルを砕かんと嘴を突き立てた。
しかしアンヘルは身体を捻じって死の一撃を
飛竜が絶叫を上げた。瞬間、アンヘルは全身をバネにして飛竜の頭部に飛び乗り、魔剣の刃を飛竜の頭部に突き刺した。
飛竜が再び翼腕を振るったが、アンヘルを振り落とすだけの烈しさはなかった。尾をうねらせたが力を失っていた。飛竜が翼膜を拡げようとした瞬間、アンヘルは体重を込めて魔剣を深く飛竜の頭蓋に沈めた。
それが決着だった。飛竜の頭部が力なく地面に沈んだ。アンヘルは半ば本能的に飛竜の
目に見える部分になければ、飛竜はいずれ復活する。頸部に黒曜石に似た隆起を見つけたその時、アンヘルは全身に烈しい疲労と脱力感を感じた。
魔剣を用いて逆鱗を剥ぎ取る。
自動車両の運転手たちが、歓喜の叫びを上げてアンヘルに駆け寄ろうとしていた。
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