雨に濡れて、君の温度
南條 綾
雨に濡れて、君の温度
雨が降り始めたのは、ちょうど私たちが並んで歩き出した瞬間だった。
駅前の雑踏を抜けて、普段ほとんど人が通らない古い書店の路地裏の軒先で、私は無言で傘を広げた。
すぐ隣にいた遥が、少し遅れてその下に滑り込んでくる。肩が触れ合うくらいの近さ。
濡れた制服の袖が、ほんの少し冷たくて、ぞくりとした。
「ごめん、傘小さいね」
私がぽつりと言うと、遥は小さく笑って首を振った。
「いいよ。むしろ嬉しいかも」
「……何が?」
「綾とこうやってくっついてられること」
一瞬、言葉が詰まった。
私は視線を逸らして、濡れたアスファルトを見つめた。
水溜まりに映る私たちの姿が、ぼやけて揺れている。
中学の頃からずっと一緒だった。
クラスも部活も、進学先も、なぜかいつも同じ。
周りからは「仲良いね」「まるで姉妹みたい」なんて言われてきたけど、
私はもう、わかっていた。
これは友情なんて言葉で片づけられるものじゃない。
危うくて、脆くて、それでも止められない、熱を持った何か。
「ねえ、綾」
遥の声が、少しだけ低くなった。
「今日さ、うち来ない?」
「親、いるんでしょ」
「いないよ。今日も明日の夜まで帰ってこないって」
私は傘の柄を握り直した。指先が白くなるくらい強く。
「……また、キスしたいって顔してる」
遥がくすっと笑う。
悪戯っぽくて、でもどこか切なげで。
「バレた?」
「バレバレ」
「じゃあ、隠さない」
遥の手が、私の空いている左手を探って絡んできた。
冷たい指先が、ゆっくりと私の温もりを分け合うように重なる。
「私、綾のこと考えるだけで頭おかしくなるんだよね。最近特に」
「……大袈裟」
「本当だよ。授業中も、部活中も、ご飯食べてるときも、寝る前も。ずっと綾のことばっかり。もう病気だと思う」
私は小さく息を吐いた。
それはため息じゃなくて、諦めと喜びが混ざった音だった。
「私もだよ」
初めて、はっきり言葉にした。
遥の瞳が一瞬大きく見開かれて、すぐに柔らかく細くなった。
「……やっと言ってくれた」
「言わないと、もっと面倒なことになりそうだったから」
「たとえば?」
「たとえば……このまま何も言わずに卒業して。どっちかが遠くの大学に行って、会う回数が減って。そのうち気まずくなって、最後は自然に消えていく。そんなふうになりそうで、怖かった」
遥は少しの間黙って、
それから私の手をぎゅっと握り直した。
「ならないよ」
「どうしてそう言い切れるの」
「だって、私が絶対離さないもん」
単純で、強引で、でも信じたくなるような声。
雨音が少し弱まってきた。
軒先から滴る水が、ぽつぽつと私たちの靴の先を濡らす。
「行くよ、遥の家」
私が小さく呟くと、遥の顔がぱっと明るくなった。
子供みたいに無防備で、愛しくて、思わず目を細める。
私たちは傘を少し傾けて、肩を寄せ合ったまま歩き出した。
路地を抜けて、住宅街に入って、古びたアパートの階段を上る。
そして、遥の部屋のドアを開けた瞬間。
まだ濡れた制服のまま、遥が私を壁に押し付けた。
「待ってたんだから。ずっと」
唇が触れる前に、遥が囁く。
「好きだよ、綾。本当に、本当に、好き」
その言葉が、私の胸の奥に熱い矢のように突き刺さった。
息が詰まる。心臓が、耳元で暴れだすみたいに鳴り響く。
遥の瞳が近い。濡れた睫毛が、ほんの少し震えていて、それがたまらなく愛おしい。
「……私も」
声が震えた。喉の奥から絞り出すみたいに。
「遥のこと、好き」
次の瞬間、私たちの距離はもうゼロになった。
遥の唇が、私の唇に重なる。最初は柔らかく、探るように。
冷たい雨の残り香が混じった、ほのかに甘い息がすぐにそれが熱くなる。
遥の舌先が、ためらいながら私の唇をなぞって、そっと割り入ってくる。
私は反射的に目を閉じて、受け入れる。
舌が絡まって、互いの唾液が混ざり合う音が、耳にまで響く。
恥ずかしいのに、止められない。
遥の手が、私の背中に回って強く抱き寄せる。
まだ濡れた制服が、肌に張り付いて冷たいはずなのに、遥の体温が、布越しにじんわりと染み込んでくる。
胸が触れ合って、鼓動が同期するみたいに重なる。
私の指は、遥の髪に絡まって、濡れた黒髪を掴む。
もっと、もっと近くに居たい。
「ん……」
遥の小さな吐息が、私の口の中に零れる。
それは甘くて、切なくて、胸を締め付ける。
私は無意識に、遥の腰を引き寄せて、壁に押し返すように体を預けた。
制服のスカートが捲れ上がって、太ももが触れ合う。
肌と肌の冷たさが、すぐに熱に変わる。
雨音が遠く聞こえる。
部屋の中は、私たちの息遣いと、布ずれの音と、時折漏れる小さな喘ぎだけ。
遥の唇が離れて、額を合わせる。
息が荒くて、互いの吐息が混じり合う。
「……もっと、して」
遥の声が、掠れて甘い。
私は頷くことすら忘れて、ただまた唇を重ねた。
まだ始まったばかりの、誰にも言えない、
私たちだけの熱い季節が、そこにあった。
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雨に濡れて、君の温度 南條 綾 @Aya_Nanjo
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