最時

第1話 こどもの手紙


 今回のテーマは手ということでそれについて考えてみると、子どもの頃に近所の和菓子屋さんに力士の巨大な手形の色紙があったことを思い出した。

 あまりの大きさに本当の手形なのかなとか、力士の中でも特別大きな手形なのかなとか考えた記憶がある。

 相撲の力士に限らず手の力を使う重量級の格闘家の手は大きく発達しているだろう。


 それとは違う方向の優れた手としては正確で繊細なものを作り出す芸術家や職人の手がある。

 美術館などで見た緻密な線が引かれた漆芸作品や写真と見紛う絵画を思い出した。

 これらを完成させるためにどれだけの修練や労力を積み重ねたのだろうと。


 どちらもあこがれる手だ。


 突出した達人たちの手で、私では決して真似できないが手が届きそうなあこがれる手もある。


 日常の中でのちょっとした親切というやつだ。

 人見知りである私は、特に知らない人に対しての気遣いに躊躇してしまう。

 かえって迷惑になってしまうのではないかと余計なことを考えて逃げる。

 そう思っている内に差し出される手。

 あこがれる手だ。


 さらに差し出すのは手だけでなく、もはや身体を貸す人たちも大勢いる。

 ボランティアなどだ。

 特に大きな災害などでその助けは大きいだろう。


 一方で人に危害与えることも手を出すなどと表現する。

 その顕著なもとしては戦争だろう。

 出された手で殺され、また差し出された手で助けられたり。

 人は何をやっているのだろうと。

 何とかならないものか。


 他、手で思いついたのは手紙だ。

 手と紙を組み合わせたもの。

 趣味でこのような文書を書いてはいるが、キーボードによる打ち込みだ。

 ペンを持って字を書くことに比べれば手の役割は薄く感じる。

 最近ではAIが代わりに打ち込んでくれたりもする。

 手の役割はだんだん減ってきているように思える。

 個人的にはペンを持って書くのはちょっとしたメモや住所氏名数字くらいだ。


 ただ、最近ペンを持って文書を書く機会ができた。

 四十代の私に小学校の頃の先生から年賀状が届いた。

 それも一月半ばに。

 なんでそんな時期によこすのかいくつか推測できるが迷惑な話だ。

 実はこれがほぼ毎年のように届く。

 若いころ放浪していたのを人伝いに聞いて心配しているのかなとか。

 余計なお世話なのだが。

 このタイミングで適当な年賀状を返すのも違う気がするので、はがきを買って寒中見舞いと近況報告を書く。

 宿題だ。

 ただ、貴重な機会だ。


 たまに思うが私が小学校の頃先生は二十代だった。

 そういう仕事なのだが大変だっただろうなと。

 そして、これまで様々な人と接してきた中でも尊敬できる良い人だと思う。

 当時から感謝はしていたが今になってその思いが強くなっていることは伝わっていないと思う。

 近いうちに伝えなければいけないなと。


 差し伸べられた先生の大きな手を思い出す。

 あの頃と同じ私はまだまだ子どもだなと。

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