第2話

  


 分厚い本を読み終え、すぐに次の本に手を伸ばそうとしてステンドグラスが目に入った。


 蝋燭の明かりが煌々とするすぐ側で書物を読んでいたので気付かなかったが、いつの間にか日が落ちている。

【天界セフィラ】では時間が緩やかに流れている。

 夜も星も雨も黄昏時も、全てがゆったりと、思い出したように訪れる。

 朝から何時間経ったから夜になる、とかいうことではないのだ。


 ここでは時が歪む。


 精霊の動きに関わってるのではないかとラムセスは思ったことはあったが、定かではないので考えるのをやめてしまった。

 今はそれよりももっと、考えたいことが山ほどある。

 緩やかに流れる分には、別にどうだっていいのだ。

 問題はそれが颯爽と去り行くようになり、限りのある時間軸に移った時である。



 古い聖堂の壁に飾られたステンドグラス。

 星の空を描ている。



 ラムセスはそっと、それに手を伸ばす仕草を見せた。


 伸ばした自分の手にある、指輪。

 炎の紋章を象ったものだ。


 炎神ウロボロスの魔印といい、この神が司るのは【失われない情熱】――。


 ゆっくりと、額を手の平で押さえる。

 目を閉じ、沈黙の中にしばらく身を置いた。


 ふと少し時間が経って、ラムセスは思い出し、長い梯子を使って下に降りた。

 書庫を出て聖堂の方へ行き、明かりは灯っているが人気のない聖堂内を通りすぎ、外に出る。


 風がふわりと身体を包み込み、同時に聞こえて来た。


 手琴の音だ。


【天界セフィラ】を包み込む華やかな讃美歌とは異なる、素朴で透き通った一音の連なり。


 緩やかに丘になっている、セフィラの草原に片足を伸ばし、片足は折り曲げて手琴を抱え、弾いてる姿があった。


 側にこの異界において特別神格の高い【光竜】グリゴーンが座り込んで、安心しきった様子で首を草の上に寝かせている。

 その光景にラムセスは小さく笑うと、草を踏み、歩いて行った。

 あるところでメリクが気付いて弦を弾いていた手を止める。


 音が止むと、メリクの側にいたグリゴーンと彼の肩に乗っていた小さな白蝙蝠がほぼ同時に目を開いた。


「セス」


「メリク、曲思い出したのか」


 彼は生前吟遊詩人として旅をしていたらしく、魔術師の隠れ蓑として名乗っていても、実際曲は幾つも覚えていたという。

 だが【天界セフィラ】に目覚めてからは全て忘れてしまって、曲は弾けなくなっていた。

 だが今は、確かめるようにではあるが、確かに旋律を奏でていた。


「はい。これだけなんですけど」

 メリクは微笑む。


「なんで思い出したんだ?」


 ラムセスはメリクの目の前に腰を下ろす。


「貴方が私にも見れそうな珍しいものを本棚に置いてくれたでしょう。

 あの中にアレンダール神教の水神紋が描かれた鏡があって、手で触ってなんの紋章か調べてる時に急に思い出したんです。


 アレンダール王国の西にサンアゼール公国というごく小さな島国があるんですが、一年に一度【水神祭すいじんさい】という大きな祭礼が行われていまして……吟遊詩人時代、祭りの間は稼ぎ時だったので何度か足を運びました。

 その【水神祭】のことを思い出したら、……歌も急に思い出して。

 祭礼の間、街でふんだんに奏でられる、謳われる曲なんですよ。

 精霊の謳なんです」


「精霊の謳か。綺麗な曲だな」


 もう一回聞かせてくれ、と促す。

 下手ですけど、いいですよとメリクは軽く笑んで、思い出すように目を閉じながら、再び指で弦を弾き奏で始めた。


 グリゴーンは曲が始まるとまた眠そうに二、三瞬きをしたあと、目を閉じた。


 ラムセスの予想通り、グリゴーンはメリクを気に入ったようだ。

 神格の高いグリゴーンを連れて来ると、書庫の管理者が渋々だが、彼が気に入った者ならば特別に、と奥の書庫にまで入れてくれるのだ。


 ちょっとそいつ飛んで行かないように見といてくれとぞんざいにメリクに任せてしまったのだが、メリクは聖堂の側を散歩などしながらグリゴーンと過ごしてくれた。

 

 白蝙蝠はラムセス以外誰にも懐いてなかったのだが、最近メリクの肩や膝に乗っている姿をよく見かけるようになった。

 ラムセスがその場にいれば一目散に飛んで来るのだが、いないとメリクの側にいて羽を休めていたりする。


 メリクの静かで穏やかな空気は彼らの世界に溶け込むらしく、白蝙蝠は最初グリゴーンが出現しただけでふわふわの毛をぽんぽんにして怖がってラムセスやメリクのフードに潜り込んで出て来なかったのだが、最近はこうしてグリゴーンの側にいても大丈夫になったようだ。



(これが普通なんだろうな)



 ラムセスは胡坐を掻いた自分の足に頬杖をつき、奏でているメリクの表情を見つめた。


 普通の人間は、メリクに会ったら慕うと思うのだ。


 魔術学校での優秀さや、平民だが女王に育てられた背景など、やっかみは買うことはあったかもしれないが、普通に優しく温和で優秀な人間が好きだと思える感性を持ってる者は、メリクのことは出会い頭に惹かれると思うのだ。


 ラムセスはこの前ようやく会い見えることになった【魔眼まがんの王子】を思い出していた。

 メリクに向けた凶性も。

 メリク自身も、あの人は誰にでも壁は作る人だが、自分に対するそれは、異質なように思うと冷静に分析していたがラムセスもそう思った。


 実際、助手としてメリクを側で使ってみると、有能だが決して出過ぎず、こちらの領域を悪戯に侵しても来ず、しかし求められればきちんと自分の考えも話し、その中には時折優れた感性も間違いなく閃かせて来て、様々な興味を持ち、多彩な色合いを持つ人間だと思う。


 あの【魔眼の王子】がメリクの何をそんなに嫌がったのかが、ラムセスは全く謎だった。


 話を聞くと結局――、孤児だったメリクが王宮に連れて来られ、王宮で女王の庇護の許に育ち、王統の自分がその教育に無理に携わることを強要され、更には魔術の師弟などと言われる関係になったことが、余程王子としての矜持を傷つけ、気に食わなかったのか程度しか思い浮かばなかった。



(だとしたら、王族の矜持なんぞ、本当にしょうもない)



 しかし、


(お前も、黙って言われっぱなしになるからいけないんだぞ)


 音を奏でているメリクの顔を見ながらラムセスは思った。


(普通はそれだけやって報われなかったり敵意を向けられたら幻滅するものだ。

 それをなに従順に悪態を受け入れて命まで殉じちゃったんだよ。

 あいつが元凶とはいえ、お前もちょっとおかしいぞ)


「こんな感じでしょうか」

 弾き終えて、小さく笑んだメリクを見て、ラムセスは笑ってしまった。


 まったく、魂が弱っているくせに随分暢気な時は暢気な奴だと思ったのだ。

 その指先を取る。


 さらさらと草を風が撫でて行く。

 星許の涼やかな空気の中で、唇が重なった。


 まるでそうであることが当然みたいにこの人は抱きしめて来たり唇を重ねて来る、とメリクは口づけを受けながら不思議に思った。


「ん?」


「いえ……魔術学院や【知恵の塔】でもそういう人が多かったんですが、

 普通高名な実力ある魔術師って大概人に触れたり触れられるの苦手な人多くありませんか?  

 他者の魔力とかを鋭く感じ取るので、煩わしく思うことが多いと思うんだけど」


「うん。煩わしいな。俺も他人が側に寄りつくの大嫌いだ」

「……。」

「集中してる時とか触られるとホント邪魔なんだ。近くに気配がするだけでイライラする」

「そうですか……」

「? どうした?」

 しっかり今この瞬間もメリクの手を握りしめながら、ラムセスは明快に答えた。

「いえ……」

「なんだよ」

 この迷いのない瞳は一体何なのだろうか。

「いや、その割には結構貴方から触れて来るなあって思って」

 ラムセスは吹き出した。


「だから興味もない他人がだよ」


 指摘したつもりだったが、全く動じずラムセスは額をメリクに寄せて来た。


「おまえは、そうじゃないからな」


「……それは、……はい。……ありがとうございます」


「こういう時思うけどメリクも全然要領よくないよな!

 お前が気の利いた言葉返せるの本当に魔術に関してだけだ」

「自覚はありますよ」

「まあ、いじけるのは待て」

 ラムセスはメリクの身体を両腕で抱きしめて来る。

 子供を慰めるみたいな抱擁だとメリクは思った。


「――だが魔術に関する反応はお前は抜群にいい。

 普通の人間としての至らなさなんか、

 問題にならないどころか可愛くて魅力的に思えるくらいだよ」


 メリクは目を瞬かせてから、幼い顔で笑った。

「あなたに魔術のことを誉められるのが一番嬉しいな」


 そんな風に言ったメリクをラムセスは優しい表情で見遣る。

 こうして時折見せるようになったこの笑い方は、もしかしたら彼の素の表情なのかもしれない。


 師匠のこと、王宮のこと、魔術のことで、

 周囲に気を遣い過ぎて、自分でもよく分からないような複雑な人間になってしまっているが、本来のメリクはこうして素朴な才を純粋な言葉で誉められることを喜ぶような、分かりやすい人間だったのではないだろうか?


 魔術のことを誉められるのが一番嬉しいと、

 これだけの実力ある魔術師がそんなことを喜んでいる。



 どれだけ魔術を誉められて来なかったんだよ。



「メリク……」


「はい?」


 何かを言おうとして、ラムセスはメリクの閉じた表情に聞き返され、思わず自然の流れで口にしようとしていた言葉を止めた。

 噂に聞く翡翠の瞳が、輝いてこちらを見て来てくれたら何の躊躇いも無く言えてた。


 だがメリクの目が閉じたままであることは、


 あの【魔眼の王子】に与えられた傷が本物であり、深刻であり、……こうして時折明るい表情を見せるようになった今も、間違いないく彼の魂が消滅の轍の中にある証だった。


「……いや。なんでもない」


 ラムセスは言葉を止めた。

 メリクがこちらを見たことが分かった。

 優れた魔術師は多彩な情報を、常人より遥か多く、瞬間瞬間で感じ取っている。

 勘がいいと言われることがあるが、勘などではない。

 実際にはっきりと感じるものだ。

 風のように感じたり、温度差で感じることもあるかもしれないが、

 紛れもなく実際に感じ取れるもの。


 ラムセスは天界セフィラの草原にメリクをそのまま押し倒した。

 うたた寝していた白竜グリゴーンの瞳がぱちりと開き、目の前で唇を重ね合う魔術師二人を見ている。


 ほとんどの時、触れて来るラムセスはあまり熱というものを帯びて来ない。

 本当に軽く、触れ合うことを楽しんでいるようなその程度の気配だ。

 だが、この時覆い被さって来たラムセスからは一つの強い意志のような、強い熱を感じた。


 一度だけ彼にこうして触れられたことがある。

 だからそれが分かった。

 そうしたいのだろうか。

 それとも別の何か求めるものがあるのか。

 その判断はメリクにはつかなかった。


 ただ求められていることだけははっきり分かるのに、何を返せばいいのか理解してやれないことが、メリクは無性にもどかしく思った。



(この人は多分、俺が今、器の中に持っていないものは求めないから)



 リュティスのように、

 優れていることや、邪悪の欠片もない魂であることや、

 自分の不快に触れないことを求められては、メリクには返しようがない。


 そういうものを自分が全く持ってないからだ。


 だがラムセスはメリクの中にあるものと無いものを、明確に捉えてくれてるように思う。

 例えメリク自身にその自覚がないとしてもだ。

この人といるとどこか安心出来るのはそれが理由かもしれない。

なにも、幻想を押し付けられない。


「セス」


 赤毛を天界セフィラの風に騒がせながら、彼は言った。

「もう二、三今日は読み込みたかったけどやめだ」

 メリクの首筋に顔を埋め、唇で触れて来た。

 はっきりと、情欲を煽るような触れ方だった。


「……グリゴーンさんが……側で見ていらっしゃいますけども」


「平気だ。こいつはウン万年生きてるかっていう人生の大先輩様だから、人間の性行為なんぞ俺たちが動物の交尾を見てるような程度にしか思っていらっしゃらん」

「まあ……確かに……そうかもしれないですけど……」

「なっ!」

「そうかもしれないですけど……というか性行為って貴方こんな天界とか呼ばれてる場所の草原で何をするおつもりですか」


「何をするおつもりって俺サンゴール時代外でやったこと全然あるぞ。

 まあ主に招かれた貴族の私有地だったけども」


「はぁ、そうですか。それはなかなか開放的なお考えで……」

「なんだメリク外でやったことないのか?」

「逆に聞きますけどあるように見えました?」

「国を出て随分奔放になったって聞いたから」

「奔放の意味が大分違いますけど」

「なんだ、多彩な大魔法を使う魔術師のくせに外でやったこともないのか。

 まったく呆れるほどの真面目だな~~~~~おまえは」


「大魔法を使うのと外でやること関係ありますかね?」


「当たり前だろ。魔術でその辺一帯焦土と化せるくせに人の目とか気にしててどうする」

「ああ、なるほどそういう考え方……」

「よし んじゃ 外でのやり方俺が教えてやるよ」

「えっと、外でのやり方とか別に教えなくていいですよ。外でやるだけなんで。分かってますし。そんなキラキラした気配を漂わせてもいいですいいです結構ですから」


「そうか? 俺が偉大な賢者様だからといって遠慮しなくていいんだぞ」

「遠慮してませんし、賢者とかもこれに関しては全く関係ないんで」


「メリクのこの素っ気ない態度どう思う? 照れてんのかな?」


 ラムセスがグリゴーンに話しかけると、彼は首を傾げてクゥ? と声を出した。

 首を傾げたのはメリクから見えなかったが、鳴き声は聞こえた。大体のことは分かる。


「竜は高尚な生物なんですからそんなこと聞かないであげて下さいよ」


「ちぇーっ。外でやるの気持ちいいのに」

「おかしいなぁ…………。魔術以外、俗世間のことに興味を持たない厳格な人物って載ってたはずなんだけどなあ」


「そんなのいいように作ってる作り話に決まってるだろ?

 どこの世界に偉大なる魔術師それが分かるまで宮廷及び社交界で手品師させて苛めてました! って正直に書くんだよ。人間どもというのは偶像を勝手に書いてるんだよ」


 メリクが笑った。

「まあ……そうですよね」

 幼げな彼の笑顔を、目を細めて見下ろしラムセスはもう一度、覆い被さるような体勢でメリクに口づけて来た。



 ――人懐っこい魔術師だなあ。


 確かにこういう魔術師は、今まで会ったことがないよ。



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