星霜の披露宴

水落護

星霜の披露宴

「わたし──結婚するんだ」


 入相いりあいの頃、波の打ち寄せる砂浜にある桟橋で、幼馴染の少女──アリスは、そう言った。


 その瞳は、空の彼方で朱に呑み込まれそうな、頼りない青を懸命にめていて。しかし、その髪の金色こんじきがごとく、しっかりとした存在感で放たれた、その言葉に、カイルは、世界の消え去る思いを胸に一つ、二つと勇気を溜めると、なんとか冷静さを保って、ついと問いかけた。


「相手は……誰だい?」


 沈黙を通せば、彼女がそのままどこかに行ってしまいそうで、カイルは、震えそうになる声を、努めて冷静を装って、やっとの事で、そう尋ねた。すると、アリスは言って良いものかと、すこし間を嫌って、それからやっぱりと、訥々とつとつと話を切り出した。


「シュタイン王家の王子様──ハイゼル殿下。これで、わたしも玉の輿こし、だね」


 たはは、と笑う彼女は、ちっとも嬉しそうではない。これが政略結婚である事など、自明の理であるからだ。それは、彼女の立場を思えば、必然と言っても良いだろう。


 アリスは、元々は農奴の娘だ。それは領主の息子だったカイルが、よく知っている。歳も近かったから、父親に内緒で、昔はよく遊んだものだ。泥だらけになって、時には怒られて。アリスも、今の見目麗しいとは打って変わって、淑やかさとは縁遠い、まるで、少年のようなお転婆だった。時には、騎士ごっこをするカイルと、木剣で試合うこともあったくらいだ。


 ささやかながらも、カイルにとって、それは幸せな日々だった。このまま大きくなれば、アリスをめとって、幸せな家庭を築くのも悪くないのかもしれない。自然と、カイルはそう思っていた。


 運命が決定的になったのは、カイルが十二の頃だ。カイルがいつものように、アリスを遊びに誘おうと、父の納める領内にある、小さな村へ向かった時の事だった。いつもと違う人々の慌ただしさに、カイルの胸には、何とも言い知れぬ不安がさざめきった。


 ざわざわと粟立あわだつ心は、アリスの家へ近付くほど増える人だかりと共に、その内に、膨れ上がる胸騒ぎを覚えさせて、幼いカイルの心を、これでもかと震え上がらせた。


 そうやって、カイルが人混みを掻き分けてアリスの家の前に辿り着くと、まさに今、幼馴染の少女が、しゃなりしゃなりと家から歩き出てきたところだった。


「アリス──」


 アリスの顔を見て、ぱあっと明るくなった表情も、常の彼女と違う姿に気がつけば、たちまち曇った。馬子まごにも衣装──とでも言うべきか、麻布のボロを着ていた少年さながらの少女は、立派な出立いでだちをしていた。それこそ、領主の息子である、カイルよりも立派な晴れ衣装だった。


「カイル!」


 沈んだ面持おももちをしていたその少女は、カイルの姿を認めると、パァッと明るい笑顔で出迎えようとした。それだというのに、カイルは、いつもと違うアリスの姿に、綺麗だという感想よりも、空恐ろしさが勝って、脇目も振らずに逃げ出していた。


 待ってと声が聞こえた気がしたのに、カイルは、一度も振り返る事ができず家までひた走っていた。


 ──これは、カイルが騎士養成学校に入った後で聞いた話だが、アリスは、王国を守護している国の象徴『ウルパトカテラ』という聖龍に見初みそめられたらしい。この国では聖龍に見初められた者は、その龍の力の象徴とされる聖剣──『リュシテンバルク』を扱う事を許されるのだ。


 その聖剣たるや。曰く、悪しき者を断てば、たちまち聖なる炎が敵を焼き尽くし、その心に、善なる心を灯す。これは、人を斬る事かなわず、悪しき心、これに抗う事かなわず、世界に平定をもたらすものなり──。


 そう言い伝えられており、その剣を手にした者を、人々は剣聖と呼んだ。


 アリスは、その聖剣に選ばれ、剣聖となったのだ。


 それからの彼女の活躍は目覚ましく、聖剣に導かれるままに、人々を脅かす魔に連なる者ものを、見事討ち果たして、魔獣のはびこる荒野に、人を住まわす事すら可能とさせた。


 その奇跡に、人々は彼女を聖女と呼び、歓喜した。


 その一方で──カイルも負けじと活躍はしていた。


 自身より格下だと思っていた少女を、自分が幸せにしてやるのだと思い違いをしていた日々は、いとも容易くちぎり去られた。悔しさに枕を濡らした翌日から、カイルは剣を振った。王国騎士になれば、彼女に相応ふさわしい男になれるのだと信じて。


 歳若くして騎士団の門戸を叩き、血反吐を吐くような訓練に堪え、今現在では、七聖騎士団の一人として名を連ねているのだから、地方の男爵家を出自とするカイルとしては、もはや快挙だ。王都を守るカイルと、国を守るアリス。歴史に名を残す出世ではあったものの、それでもアリスと比べれば、やはり見劣りしてしまうのも、詮方なき事である。


 そして。王家にとって手放せない存在となった彼女を繋ぎ止める為、王国は、いよいよこの国の第三王子であるハイゼルと結婚させようとしているのだ。


 カイルがいくら出世したとは言え、相手がこの国の王子では分が悪い──というよりも、実際問題としては、相手にすらならないのが、非常な現実である。それは、辛酸を舐めて、成熟した心を育てたカイルが──いや、アリスも、知っているのだろう。だからこそ、こうやって寂しげに瞳を揺らしているのだろう。


 アリスは、波面に揺れる光を目に宿しながら、言った。


「あの頃は──楽しかったなあ。カイルと、バカばっかやってさ」


 黄昏に焼ける海で、波のさざめくのに耳を傾け、気持ちを水平線に預け、藍と茜の入り混じった向こう側へ届けと、悲しみを揺蕩たゆたわせているような──そんな、儚げな笑み。


「それよりわたしが結婚ってさ、ははっ。笑っちゃう──よね」


 笑っているのは目だけで、口元は、今にも泣き出しそうだった。夕星ゆうつづが見え出した頃、カイルは、何と声をかけるべきか、その会話の糸口を掴み損ねていた。


「もし結婚したらわたし、アリス=シュタイン・ロウ・ティフォーリヤになっちゃうんだよ。なんだかさ、ちょっと仰々ぎょうぎょうしいよね」


 苦い顔で笑う少女。そんな彼女に、本来であれば「おめでとう」と大手を振って、祝うべき立場にカイルはあった。けれど、忘れられない過去が、自身の望む未来が、はっきりとそれを拒んでいた。しかし、立ち向かうべき現実という壁が、あまりに大きい。


「……」


 結果として、カイルは沈黙を選んだ。その姿に、アリスは間を嫌ってか、どこか困ったような顔をして、ぱちゃぱちゃと水面に足先を引っ掛けると、まるで子どものように水辺で戯れていた。


「オレ、は……」


 歯切れの悪い物言いだ、と、カイルは自分を恥じた。騎士団に入ってから、すっと通る声で話してきたのに、今この瞬間、カイルは、自分がどうやってその声を出していたのか、少しも思い出せなかった。我ながらなんと情けない、と、カイルが己の不甲斐なさを嘆いていると、


「わたし──好きな人がいるの!」


 痺れを切らしたように立ち上がり、少女は、震える背を向けて、突然そんな事を言いだした。


「何、を──」


「その人は! 強くて優しくてカッコよくて。わたしが辛い時に、傍にいられるようにって、頑張って騎士団に入ってくれて! 先の戦いでは、敵の策に嵌って逃げ損ねたわたしの事を、必死になって守ってくれたわ!」


 たじろぎ、狼狽うろたえるカイルの言葉を押さえつけて、せきの切れたように、滔々とうとうと語り出したアリスは「わたしの心はその時から──」と、一度そう言いかけて、それから「ううん」と自身の言葉を、すっぱりきっぱりと否定した。


「きっと、ずっと昔から──わたしの心は、その人のものなの。だから!」


 くるりと振り返ったアリスの空色の瞳が、真っ正面から、カイルを捉えた。


「だから──わたし、その人、、、が言ってくれたら、結婚を断るわ」


 強い眼差し。幾度となくこの国の脅威を退けてきた強さを宿すその瞳が、カイルの視線を、鮮烈に手引きしていく。


「オレ、は──」


 様々な葛藤があった。王都を守る者として、国を守る者として──一、国民として。十八を迎えて大人となったカイルが、それではいけないと、アリスの甘言を突っぱねようとする。


 けれど、男としてのカイルが、それを拒んだ。思い描く言葉のどれもがお為ごかしで、そこにカイルの本心など、すこしも含まれてなんかいなかった。その実の無い言葉を口にする勇気が、まだすこし足りない。けれど、この誇り高き少女は、きっともう待ってはくれないだろう。


(オレは──!)


 怖い。カイルは思った。どれだけ強大な魔物に立ち向かったって、こんなにも足が震えてすくむことはなかった。アリスがこの縁談を打ち明けるまでは、気にも留めていなかったのに、今は、口の中が乾いて乾いて仕方がない。喉など貼り付いて、空気が通るだけで今にも張り裂けてしまいそうだ。凍ったような口では、息のすることさえ覚束ない。


 怖い、怖い、怖い……!


 ──世界にとっての寸秒と、カイルにとっての悠久が流れた。


 カイルが思い悩む中、水平線に沈みそうな夕日が有終の美を飾ろうと、一層激しく、水面を煌めかせた。その反射光が、彼女の顔をきらきらと化粧していく。十七になったその少女は、昔と違ってとても気高く美しく、目は、変わらず大きく愛らしく、唇は、薄くもぷっくらしており、胸は──控えめながらも、それがどこか奥ゆかしさを感じさせて。


 子どもの頃よりも、ずっとずっと魅力的になった彼女を、カイルが、諦められるはずもなかった。


 しかし、カイルは知っている。その選択が誤りである事を。我を通せば、世界に不和の生ずる事を。世論は、決して受け入れてはくれないだろう。そんな自分が、彼女を幸せにできるはずなどない。アリスの為にも、という言い訳が、結ばれていた重たい口を開かせる。


「……アリス」「うん、どうしたの?」

「……」


 優しい語り口調は、まるで手を引く母親のような温かさに満ちていた。同時に、食いつくように早い言葉は「それはいやだよ?」と言っているように感じた。カイルは、喉まで出かかっていたはずの祝福の言葉を、途端に肺まで引っ込めた。


「オレは──君が好きだ」


 気が付けば、カイルは、思っている事とは反対の言葉を口にしていた。言いたい事をようやく言えて、胸など、き物でも落ちたようだった。


「……うん」


 知ってる、とでも言いたげな、落ち着いた声色。その声に背中を押されて、カイルは、思いの内を赤裸々に明かした。


「君に、いい格好を見せたくて、たくさん努力をしてきた。逆に言えば──そうだな。君がいなきゃ、オレは、たぶんここまで来れなかったんだ」


 何を言いたいのか、要領を得ず、纏まらない言葉であった。けれどアリスは、一つも茶化さず、黙って受け止めてくれた。それが余計に嬉しくて、カイルは、確かめるように言葉をつむいでいく。


「先日──君を失うのが怖くて、オレは、規律を破って隊則を無視してしまった。結果として、剣聖を助けたという事で、お咎めこそなかったが、正直、国からの覚えはあんまり良くはないだろう」


 もしかすると、降格処分だってあり得る話だ。そう言いながら、カイルは「いや、違うな」と首を振った。


「たとえ職を失う事になったとしても、国を追われたとしても。君が笑っていられるように、オレは、努力を惜しまないつもりだ」


 いつの間にか暗闇が辺りに立ち込める中、カイルは、手探りに言葉を掬い上げて、一つ気持ちを落ち着ける呼吸を挟むと、ようやく、紫紺の瞳をアリスの空色と交わらせた。


「オレと──一緒ともに生きてくれないか?」


 六年前に言いたかった言葉。時を超えて、カイルは、ようやくその思いを伝える事ができた。月がひょっこり顔を覗かせて、二人を見つめる中、時間だけがただ静かに過ぎていく。だが迷わないと決めたら、心は楽なものだ。少しも見逃したくなくて、カイルはアリスを見続けた。おもてを下げた彼女の顔を、黄金色をした前髪が、のれんのようにぱさりとひた隠している。


 そんなアリスの顔をうかがい知る事は叶わない。けれど少しの間だけ、その華奢な肩が震えたかと思うと、


「あっ──」


 次の瞬間、二人の唇は重なっていた。動揺、混乱──そんなものは、口と鼻とを刺激する少女の香りが忘れさせた。やがて、銀の糸が名残惜しげにつうっと二人の口から切れると、アリスは──。


「ばーか。やっと、言ってくれたね」


 空色の瞳は喜色に濡れ、目尻から溢れた涙をアリスが指の背で掬い取る。その顔は──幸福に満ちていた。


「返事を、まだ、聞けていないけど?」


 気恥ずかしくて、カイルは、ぷいと顔を逸らした。けれど、地平線を立ち去った茜色もなければ、頬の赤を隠す事など、到底できやしない。それを知ってか知らずか、夜風は語らい、木々は風鳴かざりに笑った。


 しかし、アリスは一つも揶揄からかう事なく、言った。


「ふふっ、わたしが断ると思うの?」


 カイルの顔を両手で挟んで自分の方へと向けさせると、アリスは、もう一度唇を重ねた。今度はひと呼吸するほどの、短い時間で。


「喜んで」


 万人を虜にするであろう笑みに、カイルは涙した。それは、アリスと同じ喜びであった。


 ──こうして二人は結ばれた。この先にどれほどの障害があろうとも、決して負けないと誓いを立てて。霜降るそらの下──二人の結婚式を、月と星々が静かに見守っていた。

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