あの夏の夜、君と交わした約束
凪原 恒一
第1話
鈴虫の音。
どこかで流れている川のせせらぎ。
薄いカーテンの隙間から溢れる夏の空気。
少し寝転ぶ体勢を変えると床がギシッと鳴る。
視線の先にある風鈴は揺れなかった。
「かいとー、そんな所で寝転がってないで、お皿とか出すの手伝ってー」
部屋をひとつ挟んだ先のキッチンから母さんに呼ばれた。
「へーい」
テーブルには刺身、煮物、山菜の天ぷら、茶碗蒸しが並んだ。統一性は無いけど、田舎ならではの料理が並んだ。
「かいくんはいつ帰るんだい?」
婆ちゃんにそう言われ、尽かさず母さんが、
「今日来て早々もう帰る話なの?」と言った。
「んーわかんないけど1週間くらいかな?」
「今回は少し長めにいてくれるんだねえ」
婆ちゃんは嬉しそうに優しく微笑んだ。
じゅるっとした音を立て、
「今回は珍しく有給が使えたからな。茶碗蒸しうめえな」
と父さんが言った。
「そういえば千佳ちゃん達明日来るってよ」
母さんが言うと、はあと溜息をつきながら、
「母さんと千佳さんが揃うとやかましいんだよな」
父さんが言った。
田舎あるある、近所の人はみな親戚同様。
「千佳ちゃんとこの椿ちゃんは元気かねぇ」
と婆ちゃんが言った。
椿。その名前を聞くまで俺は何も考えていなかった。
「うちと一緒でみんな東京出ちゃってるからね。椿ちゃんは来ないんじゃない?」
俺は何食わぬ顔でサクッと天ぷらを頬張った。
田舎は涼しいけど、エアコンがないからやっぱり少し暑い。
木の軋む音が近づいてきてガチャっとドアが空いた。
「かいと起きろ。墓参り行くぞ」
久しぶりにすんなりと起きれた気がする。
大きくあくびをし、思い切り空気を取り込んだ。
歯を磨いて顔を洗って緩く着替えて外に出た。
朝とはいえ、田舎とはいえ、さすがに暑いな。
ウーブブンと目の前に軽トラが止まった。
「これで行くの?」
「2人とも後ろだ」
父さんは親指を立て、荷台の方へクイッと指した。
「懐かしい~昔千佳ちゃんと乗ったわー」
「婆ちゃんはさすがに助手席だな」
「よっこらしょ」
皆当たり前に乗り込んでるけどこれ違法だよな。
と思うもつかの間、車は走り出した。
荷台の煽りがカタンカタンと音を立て、夏草の香りが颯爽と体を通過する。
ほとんど周り山だし、お巡りさんもいないか。これが田舎の醍醐味ってやつなんだろうな。
その後、婆ちゃんの畑へ行き、ナスやトマト、ミョウガを採集し、帰路に着いた。
「あ、いけね、今日呑む分たりんわ」と父さんが言った。
「あたしおばあちゃんと夜ご飯の支度するから、かいとと一緒に行ってきてよ」
「おーそうするか。いくぞ」
ふう。やっぱ普通の車の方が落ち着くや。
でもなんだかいつもより芳香剤の匂いが強く感じた。
「珍しくお前ゲーム触ってないんじゃないか?」
スーパーに向かう中父さんに言われた。
「まあ別に、婆ちゃん楽しそうに話してくれるからさ」
「お、お前も大人になったな!」
「別にそういうんじゃないわ」
「前に来た時はまだ小学生の時だもんなあ。覚えてるか?」
「ん、多少は。」
「お前あん時初めて椿ちゃんに会って、幽霊がでたって騒いでたもんな!ハッハ」
「あれはあんな所で突如として現れる椿が悪い!」
――あんな所。
「千佳ちゃんが来るんじゃ、母さんと馬鹿みたいに呑むだろうから、荷物持つの手伝えよ」
車のサイドミラーに映った自分の顔が、真夏の眩しい夕日に照らされていた。少し汗ばんでいたようだった。
婆ちゃんちに着く頃には赤と青が混ざるような空色をしていた。
腹が減る匂い。家中に広まったカレーの匂い。どうやら千佳おばさん達はまだ来てないらしい。
「俺ちょっと散歩してくるよ」
「千佳ちゃん達来るんだからね、早く帰ってきなさいよー」
「へーい」
ほとほとと歩き出す。都会にいたときより道が長く感じる。
散歩。なぜそうしたのか。向こうにいた時は散歩なんか一度もしたことがないのに。
辺りは暗くなり、気温は間違いなく涼しくなっているのにセミの鳴き声がどうも暑く感じさせる。
何も考えずに向かった先は川だった。そんなに大きくはない。川の真向かいには数十歩で行けそうな距離。人が渡るために作られたかのような石が、何個も川を横切っていた。自然が勝手にそうしたにしては偶然がすぎる。
しゃばしゃば、ちゃぴちゃぴと水の流れる音と共に数え切れないくらいカエルがいるみたいだ。
あんな所。
記憶にあるあんな所とは、全く変わっていなかった。
都会は1年そこらであんなに景色が変わるのに。
ぐるるとお腹がなった。
「カレーくいてえな」
そう思い、振り返ると、
ひえっ!!!
と声にならない声がでた。バクバクと心臓がなり、足元から顔へ視線を向けた。
幽霊がいた。
「よっ。久しぶり」
周りの音が再び聞こえ始め、少しだけ深く呼吸をした。
木陰からでてきた彼女の髪は、川のように流れ、月夜に照らされていた。
「久しぶりすぎて忘れたの?それとも、見惚れてた?」
「…椿、だよな?」
「それはどういう意味かな?」
「数年ぶりだし、ほら、わからないもんだろ」
「私はすぐにわかったけどね。かいとだ、って」
それはそれで小学生の頃と変わってないと思うと少し悲しいような悔しいような。
「でもあれだね、少し背が伸びた感じだね。私と同じくらいかな?」
椿は俺に近づいて頭に手のひらを乗せて背比べをした。
「俺の方が少しでかいな」
「えー、かいとのほうが年下なのに」
「たった1個しか変わらないだろ」
「1個は大きいよ?私が女子高生になってもかいとはまだ中学生だからね」
これは悔しいという感情ではないけど、何となく腑に落ちない中で納得はできた。
「そういえばなんでこんな所に一人で来たんだよ」
椿は軽く頬に手を当てながら、
「久しぶりにこっちにきたら、あの時のこと思い出しちゃってさ。誰かさんが私を幽霊と間違えた時のこと」
あれは、そうだ。
今の椿の姿を見て鮮明に思い出した。
6年前。同じこの場所で父さんに水切りを教わっていた。
チャポン
「もっとこう、腰を入れて低くアンダースローのようにっ、ほっ!」
チャポン
「これだ、伝説の手裏剣石」
「おいかいと、ちゃんと見とけよなあ」
「父さん見てて、伝説の火の玉ストレート!」
「火の玉ストレートはアンダースローじゃねえぞ」
シュッチャンッ......ザッ...
「お前どこ投げてんだよ。もう見つからないなあれ」
川の上をワンバウンドだけして伝説の手裏剣石は川を超えて茂みの中へ入っていった。
「あれじゃなきゃ駄目なんだ..。ちょっと探してくる」
川に敷かれている石をトントンと渡り、向こう岸へと渡り、木々の中に入った。
四つん這いになって探し、諦め、ため息をついて顔を上げた。
「うおおおあああ!!」
はっはっはっと呼吸が荒くなった。
「どうした!かいと!」父さんが急いでくるのがわかった。
「で、でた…」
軽く腰を抜かし、指を向けた先に黒いワンピースを着た女の子が立っていた。
「失礼ね」
幽霊がボソッと言った。
「あれ、もしかして千佳さんとこのかい?」
手を顎に当て、父さんが言った。
「普通に人間?」
「あたり前でしょ。ほんと失礼。ほら、伝説の手裏剣石」
そう言われ渡された瞬間、何故かものすごく恥ずかしくなった。木漏れ日を背景にいたずらそうに微笑む彼女はとても印象的だったんだ。
...おーい。...おーい。
「何ぼーっとしてんの一?伝説の手裏剣石一」
今はもう恥ずかしくはない。
「それはもう忘れてくれ」
「今日カレーなんでしょ?そろそろ行こうよ。
私野菜の甘みがいっぱい入ったカレー好きなんだよね」
椿は後ろで手を組みながら歩き出した。
椿はあの時のことを思い出してここに来たと言っていた。それはただの思い出として来たのかそれともーーいや、今のは自意識過剰が過ぎた。そもそも俺自身はどうしてここに来たんだろう。それこそ思い出巡りか?
...6年前に会ったあの子にもう一度会いたかったのだろうか。
そんなことを考えながら彼女の方を見ると、軽く揺れる長い髪にスラッとした背筋、ワンピースから垣間見えるふくらはぎ、なんとなく目を逸らしまた少しだけ鼓動が高まった。
なにか話さなきゃ..。(星空が綺麗だな)キザすぎる。(フッ。カレーってうまいよな…?)カレーはうまいよ。そんなこと思っていても話しかけはしなかった。きっと椿だろうけど、ふわっと甘い石鹸のような香りが漂ってきて思考が遮られたんだ。
椿は常に俺の少し前を歩き、表情は見えなかった。二人の歩幅が重なったりズレたりする音がやけに大きく聞こえた。結局お互い無言のまま婆ちゃんちに着いた。
昔ながらの和室のリビングに、皆集まっていた。
「えー!かいとくん?ひさしぶり!大っきくなったね〜もうお酒飲めるの?まだかー!」
ペチン!と自分のデコを叩きながら千佳おばさんが言った。
「あっはは....久しぶりです」
「どう?うちの椿可愛くなったでしょ?」
素直に言っても冗談のつもりでもこれは照れくさい。
「いやーまぁそうですね....」
「お母さんやめて。ほんとに」
椿はそう言い、軽くため息を着いた。どうやら千佳さんは既に出来上がってるよう。
大人たちがガヤガヤ会話してる中、ずっと気になっていた。
野菜の甘みが詰まったカレーはたしかに美味い。どれだけ食べても罪悪感を感じさせない、お腹を壊すこともないよな丁寧な味。特にナスがいちばん生きている。それでいてピリッとスパイスもしっかり感じる。
でも疑問だった。
なんでカレーライスに熱々の味噌汁が付属しているのだろう。水で良くない?
「かいとくんいま中学2年生だっけ?」
急に話を振られた。
「あーっと、そうです」
「はやいねーあの頃はまだ全然子供だったのに、敬語まで使っちゃって」
「いやもう、全然っす」
「あ、そういえば昔のアルバムあるわよ」
「えーみたーい見せてー」
母さんが言うと千佳さんはノリノリだった。
「俺先に風呂はいってくるよ」
自分から少しツンとした匂いがした。今日は1日かけて汗
をかきすぎたかな。
「かいくん、お風呂溜めてるからゆっくりしておいでな」
「婆ちゃんありがとう」
ーーチャポン。
風呂は今風のものにリフォームされてたけど、なんだろうこの木の匂いは。落ち着く。
目を閉じ、ひたすら無心で入っていると頭皮から汗が流れ落ちるのを感じた。
椿は確かに可愛くなったよな…。以前にも増して。いや以前からそうなる面影はあった。なんて。
はあああ...。でかくため息を着いた。
コソコン。
洗面所の方の扉からノック音が聞こえた。
ガラッと奥の方で聞こえ、誰かが入ってくるのがわかった。
「ごめん、もう出る?」
「いや、まだ、もう少し」
「ちょっと歯磨きだけさせて」
「おう」
せっかく風呂に入ってるのに全身から汗が噴いてくる。
シャカシャカ…。
どうにも分からないけど、ちゃぽんとか水の音を出してはいけないような気がしてじっとしていた。そっと両手を口の前に持ってきて、小さくハアーと吐いた。うん。カレーの匂い強いな。
シャカシャカ...。
もう10分くらい歯磨きしてないか?
じっとしてると長く感じるというか少しのぼせてきた。
ぐちゅぐちゅぐちゅ...ぺっ
「よし。ありがと、スッキリした。のぼせないようにねー」
「わかってるよ」
俺も後で歯磨きしよ...。
「あがったよー、気持ちよかった」
風呂から上がるとアルバムを広げ、父さん以外が談笑していた。
「よし、俺も風呂入ってくるか」
そう言い、父さんは居間を出た。
「あ、これ懐かしい、かいとくん見て見て」
写真には俺と椿が浴衣をきて、二人で線香花火をしてる姿が写っていた。
それを見た時、また思い出した。
夏祭りに行く約束をして、いつも堂々としてる椿が少しモジモジしていて、それを見た俺も少し恥ずかしくなって。周りの大人たちはニコニコしていて、屋台のソースの匂いがやけに美味しそうで。赤いボンボリとか屋台の行灯とか美しく目に映って。ちょっとだけ花火も上がったっけな。お祭りってなんかワクワクするんだよな。
「そういえばこの時期だったよね、まだお祭りやってるの?」と千佳さんが言った。
「まだやってるよぉ明後日...しあさってだっけなあ」
祭りって言っても、今思えば子供向けだよな田舎の祭りは。それでもあの頃きらきらして見えたのは事実。今はどんな景色で見えるのだろう。
なんて、心の中でふっと笑った。
一通り昔話に盛り上がったところで千佳さんはそろそろ帰ろうかなと言い出した。
「泊まっていかなくていいの?」
「泊まるも何も実家すぐそこだし大丈夫よ」
「それじゃまた連絡するからね」
「はーいまったねーお婆ちゃんごちそうさまねー。かいとくんもまたね」
玄関先で母さんと千佳さんが一通りやり取りをして帰る時、
「ねえ、2日後の祭り、行く?」
椿はほんの僅かに口角を上げて俺に言った。
「まあ、行ってもいいけど」
「わかった、じゃあ約束、またね」
その言葉が、胸の奥に残った。
早起きは三文の徳。
時計を見ると4時50分だった。
普段なら二度寝をカマして当たり前の時間なのに、なぜかすんなりと冴えてしまった。
音が響かないようにそっと窓を開ける。
朝露の香り。まだ空は薄暗い。気が付かなかったけどすぐ側にアサガオが咲いていた。グラデーションが今の空色と同じような色をしている。
昼間もこれくらいの気温なら、夏のことも好きになれるのにな。残念だけど四季の中では1番苦手だ。
やっぱり桜が綺麗で気候もいい春が良いよな。――花粉症さえ無ければ。
そういえば三文ってどれくらいなんだろう。昔だから今で言うと三円くらい?でいいや。
何が得なのか。
…。
あぁ、世界に自分しかいないような、この雰囲気を味わえることが価値あるってことか。
ただこれは、田舎と都会では全く価値が違うよな。
田舎の方が百円くらいはありそう。
物思いにふけたくなるのも早朝マジックなのかね。
たまにはいいか。
そう、たまにでいい。
毎回早起きすることはない。寝ていたい。
二度寝しよ。
こっちに来てまだ3日か。もう既にやることが無い。ゲームをする気分でもないし。婆ちゃんの昔話に空返事をしながらそんなことを考えていた。
「もう、グダグダしてないで暇ならお土産でも買いに行くわよ。楠木さんのところにも買わないとよ」
忙しないように母さんが言った。
「楓は別に、十円ガムとかでいいんじゃない?」
「あんたいつも宿題とか手伝って貰ってるのに何言ってるのよこの恩知らず。あそこのご両親からもお土産とか貰ってるんだからちゃんとしなさい」
まるでマシンガンだ。これは何を言い返してもなんでも言い返されるやつだ。
「へーい」
買い物から帰ると、懐かしい従兄弟たちが来ていた。
婆ちゃんの家の柱に、ネームペンを使って背比べをしたり、トランプで遊んだりした。歳がそんなに離れて居ないこともあり、なりに楽しかった。修学旅行に近い気分だった。
大人達は麻雀を嗜んでいた。なんか同じ模様を揃えればいい位しかルールは分からない。なんかポンとかロンとかチンとか言ってたかな。
「そういえばかいとは明日祭り行くのか?」
従兄弟のたつやが言った。
「いや、んー、行ってもしょうがない所はあるよな」
「暇だし皆でいかね?」
従兄弟のしんやが言った。
――どうしよう。あ、まじどうしよう。椿と…女の子と行くなんて知れたら絶対茶化される。根掘り葉掘り聞かれる流れは絶対避けたい。こんな親戚だらけの親もいる中では尚更嫌だ。
「俺は、いいや。せっかく田舎にいるしゆっくりしたい」
「なんだよー、わかってないなぁ!たいして美味しくもない焼きそばも、祭りの雰囲気ってだけで500円の価値になるんだぞ。よく分からん砂糖の味しかしないりんご飴もちゃんとりんごの味してくるだろ。そういうもんなんだよ」
たつやがよく分からない理論を提示すると、
お〜!!と大人達の中で歓声が上がった。
「かいと知ってるか?かき氷のシロップって実は全部同じ味なんだぜ」
君は何を言っているんだしんやくん。そうなの?え、だっていちごのシロップとかめちゃくちゃイチゴ味…え…?
「ほえー。シッテマシタケド」
絶対許さないからなブルーハワイ。
「今日は人数多いから早めにシャワーまわしなさいね」
と、母さんが言った。
無意識に時計を見ると22:00を回っていた。
なんかとてもとても長く感じた1日だった。まだ今日は終わってはいないし、風呂上がってもこの人たちと戯れるんだろうけど。
明日は祭り。
きっと…来るよな。
消灯。
「お前ら、彼女いる?」
誰かが言った。
「いや、修学旅行かって」
もう1人が言った。
「おやすみー」
無視した。
どうにも暑く、寝汗をかいた状態で起床した。
なにか夢を見ていた。
ほんの少し前まで見てたのに、もう断片的にしか思い出せない。
浴衣を着た小さい女の子が「こっち」と手招きしてるのに、どれだけ走っても全く追いつかなかった。
それしか思い出せなかった。
横に目をやると、あほ面でたつやとしんやはまだ寝ていた。
「むぁ…チョコバナナ…あえてチョコとバナナにわけてくスタイル…」
どんな夢見てんだよ。
廊下の奥からは大人達が何か行動してる音が聞こえた。従兄弟達を起こさないようにそっと部屋を出て居間に移動した。
「おう、おはよーさん」
父さんは朝のニュースを見ながら氷入りのブラックコーヒーを飲んでいた。
「おはよ。暑くて起きたわ」
「明日帰るから、もう使わないものとかある程度荷物まとめとけよ」
「あ、もう帰るんだ」
コーヒーの氷がカランと鳴った。
「休み最終日は向こう(東京)でゆっくりしたいからな」
「了解」
父さんと会話していると、母さんが近づいてきて、
「はい、コーヒー牛乳」
これ美味いんだよなぁ。ゴクゴク飲めるんだよなぁ。そんでお腹壊すんだよなぁ。
スゥー…。もう匂いが美味しい。
「ありがとう」…ゴクッ。あま。
ぞろぞろ従兄弟達も起床し、まだ昼のうちからヘアセットをして身なりも整え始めていた。
「俺達もう行くけど、かいとはいいのか?」
少し早く出るのはどうやら祭りの準備の手伝いをするらしい。
「んーあまりにも暇だったら夜行くかも。帰る準備もしないとだし」
「そか、じゃあ来れたら来いよーまたな!」
あまりワクワクしながら行かれると行きにくくなる自分がいる。いろいろ想像すると、行くのが少し面倒くさくなってきた。
もしかしたら椿も来ないかもしれないしな。わざわざ田舎の祭りで会おうとしなくても、椿だって今は東京に住んでるんだし、会おうと思えばいつだって――。会おうと思えばってなんだ?
いや違う、そもそも父さんが田舎に帰ると言って、俺が付いてきた理由は…。
網戸の外でブーンと太く鈍い音がした。
「でっけぇスズメバチ…」
あんなの刺されでもしたらたまったもんじゃないな。
「かいと、スズメバチの意味知ってるか?」
いつから居たのかわからない父さんに急に言われた。
「スズメバチに意味ってあるの?生きてる意味の話?」
「花は花言葉だから、蜂は虫言葉か」
14年生きて初めて聞いたよ、なんだ虫言葉って。そんなの無視無視。
「スズメバチにはな、目の前にある壁から逃げずにチャレンジしろって意味があるんだ」
「へぇ。」
「まぁ、人間からしたら凶悪であり恐怖でしかないけどな。あ、そうそう。お前、約束を違えるような男にはなるなよ。社会人、サラリーマンになっても約束を守らないやつは信頼を無くすからな」
父さんはそう言い残し、俺の返答も聞かないまま去っていこうとした。
ガンッ!!!
「ぁいで!!!!」
柱に小指の角をぶつけていた。
急にシリアスな話をされてもなんのこっちゃ…
「(じゃあ約束ね、またね)」
ハッと我に返った。
椿に会いたいとか会わなくてもいいとか、茶化されるとかなんとか、そんなの関係無かったんだ。
約束したから、守りに行く。それだけでよかったんだ。
はあ。
何やってんだよマジで。情けないし本当にかっこ悪いわ。
「母さん、なんか浴衣っていうかジンベエみたいなのある?」
台所にいる母さんに問いかけた。
「えぇーそんなの急に言われてもないわよぉ」
「かいくん、亡くなったじいちゃんが来てたジンベエがあるでな。ちゃんとクリーニングもしてあるから綺麗だよ」
じいちゃんのか…いや、じいちゃん借りるよ!
「うお、サイズピッタリだ」
「かいくんが高校生になってもっとおっきくなったらもう着れないねぇ」
そうか、そうだよな。
「婆ちゃんありがとう、これ着てちょっと祭りに顔だしてくるよ」
「あい気をつけるんだよ」
っとその前に、歯磨きし直して、軽くワックスでも付けてこう。
なにかとても気持ちが焦っていた。椿に会いたいからとはまた違う。思い切り寝坊して学校に遅刻するあの感覚と近い。
ガラッとドアを開けると、
――知らなかった。日が落ちるのが遅い夏でも既に暗くなっていた。
あれ…いま何時だっけ…?
もしかして椿のことずっと待たせてるんじゃ…。
そう思うと自然と足早になった。
もしかしたらもういないかもしれない。なんならワンチャン俺より遅く来てくれ。
そう願うばかりで駆け足になった。
息が切れてる。だけど、足は勝手に進んだ。
息を吸ったタイミングで気づいた、少し煙が混ざった祭りの匂いだ。
ぼやぁっと光る朱色を軸にした全体。大きく聞こえてくる八幡なんとか。それを支えるような人々のガヤ。
膝に手をついた。
もし待っているとしたらここだと思った。
椿はいなかった。
そりゃそうだよな。
時間の約束はしてないし、いつから待ってたかもわからない。そもそもまだ来てないかもしれない。
少しここに居ることにした。
呼吸を整えて後ろを振り返った。
「よっ。2日ぶり」
匂いも感じない。
何も聞こえない。
風も分からない。
ただ、視覚だけが彼女の姿に奪われた。
6年前のあの時。あの時も一緒に祭りに行って思ったんだ。
椿は可愛い。
あの時から、一目惚れ。
いや、違う。俺は椿に見惚れてたんだ。
一目見惚れ――そんな言葉、無いよな。
「どうしたの?見惚れちゃった?」
そうだな。今はっきりしたよ。俺は6年前のあの子をもう一度見たかったんだ。というか、
「6年前と同じこと言ってるぞ」
「ふふっ、気づいた?」
「一応言っとくけど、浴衣、似合ってる」
鼓動がドッドッドと高なった。たぶん今の俺、顔赤いんだろうけど、ぼんぼりの色に助けられてると思いたい。平然なフリして言えるのは、このセリフが限界だった。
「ごめんな、たぶん待ったよな」
「んー?ちょっとだけ、楽しみにしちゃってさ。1時間くらい待ったよ」
平然とそんなことが言えるのは椿の性格なのか、それとも1つ年上だからなのか。
「あ、」
椿は俺の方を向き、指を揃えてやや下のほうに手を出した。得意の悪戯そうな笑みで、
「手でも繋ぐ?」
「繋がないよ」
これもまた、平然なフリして言えただろうか。
「そっかぁ…。じゃあ屋台見て回ろ」
少し残念そうに見えたのは気のせい…だよな。
椿は絵画モデルのように、どの場面でも背景を自分の味方につけた。
りんご飴をチロっと舐める。風船すくいをするときの鼻筋の通った横顔。銃を持ったことあるのかとツッコミたくなるような程、様になってる射的ゲーム。ブルーハワイ味美味しいと言いながらハフッと頬張るかき氷。それ全部味一緒らしいよ。
極めつけは――
ヒュ〜…。
ドドン!…パラパラ…
花火の光に照らされた彼女は、今でこそ美人さんなのは間違いないけど、確かにあの頃の面影があった。
「ねぇ!今の見た!?」
正直、何色の花火が上がったのかもわからなかった。
「あぁ、良かったよな」
この夏、田舎にきて良かったと思えた。椿のことが好きなのかどうかはわからない。あの頃のように、数年経った今でも結局見惚れてしまったのは自覚がある。ただそれは、見た目が好みだと言うだけのことだと思う。世間一般から見たって可愛いの類に入るだろう。スタイルもいいし。だけどそれが付き合いたいとか、手を繋ぎたいとか、デートしたいとか、そう思わなかった。ろくに恋愛なんかしたこともないから、何もわからなかった。
きっと椿は恋愛経験もあって、もしかしたら東京には彼氏がいたりして…。なんとなくそう思いたくはなかった。
ジジジジジと、目覚ましを語源化したものと同じようにセミが鳴いていた。
田舎の夏は、東京と同じ温度でもカラッとして体感涼しく感じた。いや涼しくはないけど。日差しはどっちもどっちだな。
「かいとー、そろそろ出るからおばあちゃんに挨拶して」
母さんにそう言われ、荷支度を済ませた。
帰り際、千佳さん達が見送りに来てくれた。
「もう帰っちゃうなんて寂しいわ〜」
「あんたはまた東京で会えるでしょ」
母さんと千佳さんの会話が始まったのでまだ10分は出発しないだろう。
「俺もう荷物車に入れてっからな」
父さんもいつものかと言わんばかりに車へ向かった。
「かいとさ」
椿は一呼吸起き、俺に言った。
「私と同じ高校行こうよ」
なんて言い返したらいい…。
「確か椿の行くとこって頭良いとこだよな」
「頭が良いとかはないよ。勉強っていうものに対して努力をした人が入れる学校」
「勉強っていうのはほとんどの人が嫌なものとして認識してるから努力が難しいんだよ」
椿は確かにと言い、
「別に待ったりはしないからさ、気が向いたらおいでよ。じゃあ。またね」
少しだけ距離を感じた。
車に乗り込む時、ガラスに移った自分。
俺はイケメンでも何でもなかった。学力も平均。より少し下くらい。運動も平均、足も速くない。
「(自信無くすって…)」
溜息をつきながら車に乗り込んだ。
オーイ…オオーイ…オオオーーーーイ!!!
「かいとーーーーーー!!!」
何やらとても騒がしく、やかましかった。
もう何か可笑しくてニヤけてしまった。
「修行してまた会おうなーーーー!!」
全力で手を大振りするしんや。
「俺達、仲間だからなーーーー!!」
口の横で叫んでるように手を当てるたつや。
「まだ出発してねーだろ」
車の横ゼロ距離でやられた。
みんなの笑いに包まれる中、俺のひと夏は終わった。
春風ってのはどうにも心地がいい。
桜は咲いていなくても、どこからかほんわかに香ってくる。
近所の家の隅っこには梅の花が咲いていた。
春を迎えるといつも心の中がリセットされた気分になる。
これで桜が満開とかだったら、最高なんだけどな。
主人公を気取ったように物思いにふけながら、校門をくぐった。
「よっ。2年ぶり」
季節外れに、風鈴のチリンという音が聞こえた――。
あの夏の夜、君と交わした約束 凪原 恒一 @K_voice
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます