砂場の王子様
七乃はふと
砂場の王子様
あれは、私達の環境が激変した少し後です。
私は前の夫と別れ、新しい夫のマンションに息子と一緒に移り住みました。
新しい夫との間には、別れた夫よりも確かな愛がありましたので、私は以前より手狭で質素な生活でも全然満足でした。
でも息子は、家が変わり父親が変わった事にあからさまに混乱していた様子でした。
今考えると、私の二度目の結婚式に出席した息子は、瞬きを忘れたように目玉だけに全神経を集中させて、新郎新婦の私達を見ていたような気がします。
しかし、息子が不機嫌な事以外は何も問題はありませんでした。
学校に行ってくれましたし、ほんの少し友達が少なくて、担任の先生からいつも一人で遊んでいると聞かされていましたが、いじめがない事は、本人にも学校にも確認を取っていたのです。
再婚してからは、夫が帰ってくるまで少し時間が空くので、夕飯の支度を整えると息子と遊ぶのが日課でした。
前の夫と一緒の時から大人しい息子ですが、再婚してからは、決まって外に行こうと誘うのです。
私が靴を履くのを待つ時間も惜しいらしく、グイグイと手を引っ張ってきました。
いつも決まっていく場所は公園でした。
公園といっても、マンションと道路に囲まれた小さいもので、遊具も錆びたブランコと鉄棒、それにベンチがあるくらいで、息子と同年代の子はおらず、たまに近所に住むご老人やペットの散歩コースという感じでした。
息子のお気に入りは、ベンチの側にある砂場でした。
公園の砂場なので、最初は触らないように言ったんです。
だって、不衛生じゃないですか。
もし、息子が犬のフンを手に取ってしまったらと考えると、私は身震いしてしまいました。
注意を聞かない息子が砂を触ったのを見て驚きました。とてもきめ細かいんです。
色が白かったら小麦粉と間違えてしまいそうなほど。
私も触って、そのサラサラな触り心地に、思わず童心に帰りそうになりました。
楽しそうに砂いじりをする息子を、昨夜の疲れもあってベンチに座りながら見ていると、突然名前を呼ばれました。
声の主は夫で、彼が定時で帰ってくる時間になっていたのです。
息子は変わらず、一心不乱に砂と戯れていました。
泥だらけならぬ、砂だらけの息子を見て夫は激怒するかと思いましたが、そんな事なく、楽しそうだから、好きにさせなよ。と言って私の夕飯に舌鼓を打つのでした。
夫の許可も出たので、空いた時間は息子を砂場に連れていきます。
息子は買ってあげたスコップで砂の山を作り始めました。
しゃがんだ自分のお腹まで積み上げると、スコップを放って、両手で余分な砂を削って形を整えていくんです。
帰り時間になっても手を動かし続けていたので、何を作っていたか聞くと……、
「砂場の王子様が住むお城」
砂場の王子様というのは、絵本のタイトルで、息子のお気に入りでした。
いつも寝る前に読んであげると、読み終えた頃には、すやすやと眠ってくれるのです。
だから私は、よっぽど、あの話が好きなんだな。しばらくはそれを読めばすぐ眠ってくれて二人きりになれる、くらいにしか考えていませんでした。
砂場に行くと城を作り帰る時間になったら未完成でもその場に残す。という事を繰り返していました。
けど、ある日砂場に行ってみると、作りかけの城は跡形もなくなっていました。
雨も降っていなかったので、人かペットに踏み潰されてしまったのでしょう。
崩れちゃった。と言って固まる息子を連れて、その日は帰りました。
でも翌日、息子はケロっとした様子で、一緒に公園の砂場に向かったんです。
今度は山を作らず、ザクザクとスコップで掘り始めたんです。山は出来ていきました。でもそれは掘った砂が積もった塊で、作業する息子は全く興味を示していません。
ところで砂場ってどれくらいの深さがあるのでしょうか?
昨夜の疲れでウトウトしているうちに、掘って出来た砂山は作業する息子の頭に届きそうな程。私は尋ねました。
「そんなに掘ってどうするの」と。息子は地下に隠れるためだと手を止めずに答えました。
返事を聞いて、絵本の話を思い出したのです。 砂馬に住む王子は、悪の魔神から愛する姫を守って一人戦っていたのですが、ある時、姫を匿っていた城が魔神の魔法によって砂に変えられてしまうのです。
砂の城は形を保てず、次第に崩れていきます。魔神は姫を差し出せば助けてやると言って待ち構えるのですが、一向に出て来ないので、痺れを切らせて城跡に近づくと、砂の下から現れた王子の反撃に遭って退散する。
王子と姫は城の地下に穴を掘って身を潜め、虎視眈々と反撃の機会を狙っていたのでした。
息子のやりたい事は分かりましたが、それを何に使うのかはさっぱりと分かりませんでした。
そう考えていると、息子が小さな悲鳴をあげるのが聞こえたんです。
見ると、右腕が砂場の中に入っていて抜けないようなのです。
最初は、私を驚かせようとしていると思ったのですが、砂が生き物のように腕を飲み込んでいくのと、こちらを見た息子の目尻に涙が溜まっていたのを見て、疲労も吹き飛んでベンチから立ち上がりました。
腕を引っ張りますが、まるで地下から伸びた手に掴まれているように抜けません。
呼吸を合わせて引っ張る事を繰り返すものの上手くいかないので、私は息子の腕の周りの砂を掻き分けるように掘り始めました。
すると息子の腕が突然解放されたように砂場から飛び出します。私は背中から倒れ込んだ息子に気を取られていた、その時でした。
グンと私の腕が引っ張られたのです。右腕が徐々に砂場の中に引き摺り込まれ、手首には強い圧迫感。
このままだと、砂の中に連れて行かれる。私は不安定な砂場に左手をついて、軋むほど奥歯を噛み締めながら渾身の力を込めました。
意外なことに、力比べは私の勝ちでした。右腕が解放され勢いで尻餅をついた私は、恐怖よりも興味が勝っていました。引っ張った犯人は何者と、穴の中を覗き込んだら……いたんです。
光の届かない穴の中、目玉が私を見上げていました。数秒見つめ合っていましたが、向こうの目が根負けしたのか、瞬きするように影が覆っていき、穴の闇と同化してしまったのです。直後、脆い砂は崩れ落ち穴は完全に塞がってしまいました。
あの目玉の正体は分かっています。見たのは二度目ですから。
私が再婚した今の夫は、前の夫の部下で私より年下です。彼は家でも外でも優しいのですが、夜に灯す炎はとても激しいのものでした。
その日の炎は一際熱く、私は思わず「痛い」と言ってしまったのです。
夫は気づいた様子はありませんでしたが、ふと視線の隅で動くものがあり目を向けると、闇の中に浮かぶ目と視線が交差しました。
襖のほんのわずかな隙間から覗く目玉は、涙を流しながら私を見つめていましたが、何も言わずに闇の中に消えていきました。
砂場の王子様 七乃はふと @hahuto
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