Fw:和紋の妖と織絵「目覚め」Fw:Orie and the Spirit of Japanese Patterns -Awakening-

いろは

目覚め

織絵には秘密があった。

誰にも信じてもらえないだろうから、誰にも言ってない隠し事。


織絵の家は、商店街の中にある代々続く呉服店だった。

鮮やかな色彩で、優雅で美しい文様がそこらかしこにある店の中が大好きだった。

そして、そこには遊び相手もたくさんいた。


鮮やかに色とりどりに織られた和柄の文様たちが、遊び相手だった。

和柄の文様たちは、幼い織絵に笑かけ、話しかけた。


キャッキャと笑いながら機嫌よく店の中にいる織絵を見て、両親たちは織絵が店に入ってくるのを止めなかった。

そうして、12年の月日が流れていた。


ポカポカ陽気の中、学校からの帰り道、着物姿の女性とすれ違った。

瞬間、桜色の着物に織られた蝶の文様が、ふわりと浮き上がった。

透き通った蝶の文様は、ひらひらと織絵の方へと飛んできた。


(今日から、お茶のお稽古をはじめるの)

蝶の文様は、織絵に話しかけてきた。


織絵は驚きもせず、にこりと答えた。

「そうなんだ。あなたがついているから、きっと上手くいくね」


(ふふふ。私も楽しみなの)

蝶の文様は、ひらひらと着物姿の女性の方へ戻っていった。

そして、スッと着物の文様の上へと重なって消えた。


織絵は振り返って、少し見送って歩き出した。

和柄の文様たちが、織絵に話しかけてくるのはしょっちゅうだった。

だけど、他の人には見えないし、聞こえない。

そのことも織絵には分かっていた。


だから、秘密。

私だけの幸せな隠し事。


歩き進んでいくと、織絵は足取りがだんだんと重くなってきた。


(なんだろう。嫌な感じ……)


体調が悪いわけでもなく、初めて感じる違和感だった。

ゆっくりと歩き進み、角を曲がったところで、織絵は足が止まった。


道の先の方が、暗くどんよりと見えた。

見上げると、ふわふわと白い綿あめのような雲があり、空は明るかった。

なのに、目線の先は濁って見えた。


その暗くてどんよりとしたものは、だんだんとこちらに近づいていた。

織絵は、ランドセルの肩ひもをぎゅっと握りしめた。

暗くてどんよりとしたものを纏いながら顔色が真っ青な男の人が、織絵の横をふらふらと通り過ぎて行った。

ゴホッ、ゴホッと咳き込む声が聞こえた。

恐る恐る振り返ってみた。


――ゾクリとした。


無数の黒い亀甲の文様が男の背中を覆いつくしていた。


(何、あれ……)


向こうから歩いてくる年配の男性が、男の人とすれ違おうとした。

黒い亀甲の文様が、ずるりと地面に這い下りた。

すれ違う年配の男性へずるずると近づき、ずるずると背中に登っていった。

とたんに年配の男性は、ふらりと熱でも出たかと頭を押さえた。

そして、見る見る顔色が真っ青になり、重くなった足取りで歩いた。


その黒い亀甲の文様は、年配の男性の背中に乗ったまま、再び織絵の横を通り過ぎた。


――にやり。


身の毛がよだった。

すれ違いざま、それは織絵の方を見た。


(……和柄の文様であんな不気味なの見たことない)


織絵は、もう一度、ランドセルの肩ひもをぎゅっと握った。

そして、黒い亀甲の文様の跡をつけて行った。


年配の男性は、ふらりと公園の中に入っていき、ベンチに座った。

ゴホッ、ゴホッと咳き込んでいた。

織絵は、そっとベンチの後ろに回り込んだ。

木陰の芝生の上でそっと様子を伺った。

年配の男性の背中を覆いつくしていた黒い亀甲の文様が、ずるりと動いた。

ずるずると下りていき、ベンチの下の地面へボトリと落ちた。

すると、年配の男性は少し楽になったように立ち上がり、歩いて公園を出て行った。


(ふん、我が見えるとは気に入らんな)


黒い亀甲の文様がこちらに向かって言った言葉が聞こえた。


ぞわっとした。

跡をつけてくるんじゃなかった。

後悔した。


織絵は、後ずさりした。

逃げ場はなかった。


ズバンッ――!


突如、激しい水音と共に、長い水流の塊が黒い亀甲の文様をはじき飛ばした。

黒い亀甲の文様は、慌ててヒューッと飛び去って行った。


「もう、大丈夫だよ」


声のする方を見ると、スラリとした若い人が立っていた。

長い髪を後ろにまとめ、女性とも男性ともいえない美しいスーツ姿だった。


「君は、『和紋の妖』が見えるんだね」


織絵の目線まで屈んで話しかけてきた。


「和紋の妖……ですか?」


「そう、和紋の妖。和柄の文様に宿る妖のことだよ」

よいしょっと、織絵の横に座った。


「あなたにも……あれが見えるんですか?」

織絵もゆっくりとランドセルをおろし、横に座った。


「そうだよ。人を助ける和紋の妖が多いんだけど、稀に人に災いを呼ぶものもいるんだ。だから、僕はそれを探して浄化しているんだ」

「さっきみたいに?」

「うん。いつもなら亀甲の文様は、長寿・健康を呼ぶんだけど、さっきのように黒くなったものは、逆に病気を呼んでしまうんだ。文様の意味によっていろいろあるけどね」

うーんと両手を組み、伸びをしながら答えた。


「あんなに悪そうなの初めて見ました……」

織絵は俯きながら言った。


「君、名前は?」

「織絵です」

「僕は伊織」


伊織は、少し考えて尋ねた。

「邪悪な和紋の妖を初めて見たってことは、浄化の方法も知らない?」

織絵はキョトンとした表情で伊織を見た。


「まずいな……。邪悪な和紋の妖が見えるってことは、君自身が襲われることもあるからね」

伊織は真剣な顔つきになった。

その表情に織絵は怖くなった。


「え……。和紋の妖っていうんですかね。そういう他の人に見えない変わったことには慣れっこなんですが、危険なことはちょっと……困るっていうか……」

織絵がまごまごと言った。


「そうだよねぇ……。僕は、流水の文様で浄化するんだ。水には清めの力があるから。さっきは、急いでいたから、遠くに飛ばすことしかできなかったけど。君の……」


ハッと、伊織が後ろを振り返った。


織絵も伊織の振り返った方向を見た。

さっきよりも大きく黒く濃く濁ったものが近づいてきていた。


「まだ、話の途中なのに……」


伊織はすっと立ち上がり、右手の袖をまくった。

金糸と青糸で織られた流水の文様がある布を手首に巻いていた。


ずずずっと、ゆっくり近づいてくるそれは、禍々しかった。


(さっきの亀甲の文様が大きくなってる?)


織絵は、それが通ってくる姿に、背中がヒヤリとした。


足元の花が、芝生が、上へそびえる木々の葉が、その黒いものが触れたところは瞬時に枯れていった。


「まずい……毘沙門亀甲に変異している」

伊織が、誰に説明するでもなく呟いた。


よく見ると、さっきは六角形に連なっていた亀甲の文様が、三又に連なった毘沙門亀甲の文様に変わっていた。


伊織が、黒い毘沙門亀甲の文様に向けて、右手を払い出した。

すると、手のひらからとめどなく流水が飛び出していった。

あっという間に、黒い毘沙門亀甲の塊を覆っていった。

みるみる透明の流水で巻くように覆いつくされていった。


パンッ!


流水は、はじき返され、あっという間に蒸発していった。

伊織が、再び右手を払おうとした瞬間、黒い毘沙門亀甲の塊がにゅるりと黒い手が伸びた。


「うわぁぁぁ!」


伊織は首を掴まれ、苦しそうな叫び声が聞こえてきた。

顔が灰色になっていった。


織絵は、ドキドキした。

下腹の奥がきゅうっと締め付けられた。

足がガクガク震えて立てなかった。


織絵は周りを見回した。

公園には人一人、鳥一羽さえいなかった。


(……もう誰にも助けてもらえないんだ)


(……)


(このまま死ぬかもしれないなら……)


織絵は、深く深呼吸をして覚悟を決めた。


「熱っ!」


右のポケットが急激に熱かった。

立ち上がり、ポケットの中の巾着を取り出すと、朱色に光り熱を帯びていた。

巾着の和柄の文様が光っていた。


朱色に輝く光に怯み、黒い毘沙門亀甲の塊の手がゆるんだ。

伊織は、その瞬間を見逃さなかった。

黒い毘沙門亀甲の塊を蹴り、離れた。

ゴロゴロと芝生の上を転がり、距離をとった。


ゴホゴホと息を整えながら、織絵の方を見た。

織絵の手に持った巾着に織られた文様が朱色に光り輝いていた。


――火焔宝珠。


伊織がよろけながら、織絵の傍に行った。

そして、巾着を持つ手を支え上げながら

「火の力で浄化するんだ。……邪悪化された和紋の妖を……和紋の世界に……転送するんだ」

と、かすれた声で言った。

ゆらりと伊織の手が落ちて行った。


そのまま、ばたりと倒れた。


織絵は涙がこぼれそうになった。

朱色に光る巾着を握りつぶそうと、両手を出しながら目の前に近づいてくる黒い毘沙門亀甲の塊から目を離せなかった。


(泣いている場合じゃない)


ただ、覚悟を決めた。

織絵は何が正しいかも、理屈も分からなかった。

本能のままに、体が動くままに任せた。


ポトリと巾着を落とした。


両手の手のひらには、朱色に透き通った火焔宝珠が輝いていた。


そのまま、両手を空高く上にあげた。

朱色に透き通った火焔宝珠は空高く舞い上がり、形を変えていった。

そして、朱色の大きな扉になった。


黒い毘沙門亀甲の塊はその扉を見ると、恐れるように後ろへ下がっていった。


「いやだ……。いやだ。まだ戻りたくない」


その言葉は聞き入れられることがなかった。

朱色の大きな扉が、ゆっくりと開いた。

中から大きな影が見えた。


毘沙門天だった。


右手の宝棒を黒い毘沙門亀甲の塊に向けた。

すると、黒い毘沙門亀甲の塊は、抵抗することもできず、朱色の扉へと吸い込まれていった。


毘沙門天はチラリと織絵と伊織の方を見下ろした。

何も言わず、そのまま扉の向こうへと入っていった。


朱色の大きな扉が閉じると、スゥッと朱色に透き通った火焔宝珠に戻った。

ゆっくりと、織絵の手の中に戻ってきた。


(きれい……)


芝生の上の巾着を取ると、火焔宝珠の上に重ねてみた。

巾着の文様に重なるとスッと消えた。

熱さも消えていた。


織絵は、急いで倒れている伊織へと屈みこんだ。


(息してる……)


ホッと少し安堵した。


「伊織さん」

巾着を握り閉めながら、そっと声をかけた。


「うぅ……」

伊織は、ゴロリと仰向けになった。

ゆっくりと目が開いた。

少し息が苦しそうだが、顔色は戻っていた。


「織絵……大丈夫?」


声に、ほぅっと安堵がさらに広がっていくのを感じた。


「はい。大きな扉から毘沙門天が出てきて、あいつを連れて行ってくれました」

「そうか……よかった。和紋の世界に転送することで、再生されて、こちらの世界に戻ってくることができるんだ」

伊織は息を整えるように胸に手を当てながら言った。


「伊織さんって、なんでいろいろと知ってるんですか?」

「まぁ、500年も生きているからね」

「え!?」


伊織は、よいしょっと起き上がり、パンパンと土埃を払った。

ランドセルを手に取ると、「はい」と織絵へ渡した。


「それよりも、その巾着……」

ランドセルを背負った織絵が握ったままの巾着を見て言った。


「あ、これは、そういえば、おばあちゃんから貰ったんです。もういないんだけど……」

織絵が握った手を広げながら、続けた。


「そういえば、お守りになるから持っていなさいって。……おばあちゃんもそうだったのかな」


織絵は空を見上げた。

火焔宝珠が朱色に光った時のように、西の空は一面、茜色に染まっていた。


「あ!もう帰らなきゃ」


織絵が公園の出口に向かって駆けだした。

ふと、足を止めて振り返った。

「伊織さん、ありがとー!」

大きく手を振った。

そして、再び駆けだしていった。


織絵は、秘密を共有する人ができて、少し心が軽くなった。

信じてくれる人が一人いる。

それだけで、無敵に強くなれる気がした。


おわり

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