影喰い王子と、夢誘われの魔女。

雪見おと

本編

「今日も美味しそうな『影』をしていますね、先生♡」

いつも通り、さらり、と緩く編まれた金糸のような髪を揺らし、そのあまりに美しい王子は、わたしへとろけるような笑みを向ける。


彼の空色の瞳はうるんだように熱っぽくて。

驚くほど細く白い指が、わたしの手の甲を優雅にとったまま、つうっと手慰みのようになぞりつづける。


「……さいごの授業、聞く気ないならかえる」

ふくらはぎまで伸びた漆黒のうねった髪と紅い瞳を持つわたし・魔女のアンゼリカは、いたずらに動く手をぱっと払った。

「そのような悲しいこと。つれませんねぇ、楽しみにしていたのですよ? 先生の授業」

じぃーっ、と王子を見つめる。

とんでもなくきらきらした笑顔に、反省の色は見えない。

わたしは無表情のままふうっと息をつき、ふわふわもふもふの謎動物を模した鞄の中から、作ってきた資料を取りだしにかかった。


***


わたしは、森のすみっこにある小さなおうちで暮らしていた。

勉強がすき。お母さんの書きのこした魔術書をもくもくと読みあさり、特にわたしは、薬草を使う闇魔術が得意だ。

組みたてた魔術式がうまくゆくと、その成果をお母さんの弟子だった王国魔術師の幼なじみに売りにゆく。いつも驚くような額になって不安になる。

実験費は増えるのでありがたくいただき、その日の夜だけ奮発してとっても甘いぶどうジュースをちみちみいただく。

気持ちよくすやすやしたらまた、同じことの繰りかえし。

穏やかで『しあわせ』と呼べる日々だった。


……けれど。


ある日、見たことがないくらいぴかぴかに磨かれた真っ白な馬車がやってきて、お城に引きずられ、今。


そのとき初めて、わたしは巷で『次々と破天荒な魔術式を編みだす、稀代の天才魔女』って呼ばれていたことを知る。


どこか得体のしれない美貌の王子――リュート様の魔術分野の教育係をなぜかお城の皆さん総出で、泣きすがりながらお願いされてから、気づくと五ヶ月が経っていた。


この間も、王子はわたしの手を楽しそうにくすぐっている。

なんとなくむうっとしてとてつもなく難しい魔術式の問題を即興で投げつけたら、秒速で正解が返ってきて、頬がぷくっと膨れた。


(でも、今日でおわりだし)

この王子様の隣にいるとどこか気持ちがふわふわして、なにをされても『いや』とか『むり』って思わないのは、本当に不思議だった。

他のこともあるだろうに、毎回ちゃんと授業の予習復習していたし。

怖くもないし、いい生徒さん、だったように思う。


気を取りなおし、わたしはリュート様の眼前にばーん、と資料を突きだした。

「ラスト五回のテーマ、“世界の神獣と幻獣”だったからこれにした!」

手書きのまるっこい文字に加えて『とてもふわふわゆるゆるしてかわいい』と王子に評判の絵柄で表したのは――。

「『獏』!」

「――……」


刹那、凄絶なほど美しい王子の目が見開かれた。

元々透き通るように白い顔が、見る間に色をなくしてゆく。

「リュート様……?」


どうしたのだろう?

心配になり、彼をのぞきこむと。

「――ああ、申し訳ない。とってもかわいいですね! どうしてこちらの題材を選んだか、うかがっても?」

いつもの、王子だった。

さっきのは気のせい……?


あまり触れたらよくないのかな。

わたしはためらって、でも応える。

「一番すき、はわたし、さいごにするから」

「そうなのですねー! 『獏』のどこがお好きなのでしょうか?」

こわごわと資料を机に置いたわたしの手をとりなおし、彼は変わらず戯れながら語りかけた。


それはどこか有無を言わせないみたいで。わたしは切り替えるように努めて伝える。

「すきなのは……やさしいから」

「優しい?」

長いまつ毛に縁どられた、甘やかな空を思わせる目を、リュート様はわずかに瞠る。


「『獏』は、ひとびとの悪夢を食べる。『かなしい』に寄りそってこころを護る、あったかなけものなの」

「……なるほど」


わたしは遠慮がちに最終確認をした。

「だいじょうぶ? この子のお話、しないほうがいい……?」

それに対し、彼は。

「いえ、ぜひうかがいたいですね! 実は僕も『獏』は気になっていたので、驚いてしまったのですよ」

「ほんと!?」

わたしの手甲を弄っていた彼の手を、きゅっと包むように掴む。

なんだ、リュート様も『獏』をすき同士だったんだ!

すごく古い伝承にしか登場しない幻獣だから、知っているひとにそもそもほとんど会ったことがない……!


瞳をきらきらさせて彼を見つめていると、リュート様はにっこりして。

「えっ? どうしましたこのまま僕の正妃になってくれる感じですか?♡」

今までで一番勢いのあるスクリュー頭突きが、リュート様のおでこに極まった。


***


終始、わたわたきゃいきゃいしながら『最後の授業』は幕を閉じ、お互いに向きあってお辞儀をする。

絵画みたいに麗しい礼をとるリュート様に、ふと、思いついた。

「……あの、もっかい座って?」

「はい?」


なぜかお城の皆さんには『リュート様にはなにをしても大丈夫! ご当人様も悦ぶので好きにして差しあげてください!!』とよくわからない圧をいただいていたし、当の王子も『先生はそのままで普通に僕の心を毎秒ぐちゃぐちゃにしているので今更です♡』と意味不明なことをのたまっていたし……。

わたしは椅子にかけなおした王子様の頭へ、そうっと手を伸ばす。


なで、なで。

指先で優しく触れるように。

するとリュート様はぴたりと固まった。笑顔のまま。


「……アンゼリカ?」

「はなまるだったので」


いいこいいこでした。言いおえられたか、わからない。なぜなら、ふっ、と『いつもの感覚』が来たから。

「ありぇ……今日、も……? ごめ、なさ……」

リュート様の腕の中におさまったようだったわたしの意識は、ふつりと途切れた。

彼がどんな表情をしていたかは、うかがいしれない。


***


「……」

僕・リュートは穏やかに彼女を抱きとめたまま、音速で思いだけは駆けていた。

――なんなの? さっきのなでなで。僕の五臓を捩じきりたいのかな、尊さがけしからんを超え、婚姻式ではにかむ君の脳内再生五億回なのだけれど。死がふたりを分かつまで続けるべきな聖なる行ないだから、妻は夫を毎日なでなでしないと捕まる国法を、僕の代で設えようと思う。


荒ぶる思考を軽くかぶりを振って払った。

濡れ羽色の長いまつ毛、薄くやわらかな瞼が、今はルビーみたいなその瞳を覆っている。慎ましやかな胸が規則正しく上下し、無防備に眠りへ落ちたことを主張していた。

「あはっ、本当にかわいいなぁ……、こんな簡単に意識とられて大丈夫? 先生♡」

稀代の魔女なのに、彼女は……愛しのアンゼリカは、いつまで経とうと僕が、そのあまりにすべらかで華奢な手の甲に『夢誘いの呪』を刻まれつづけている事実に気づけない。


当然だ。だって、僕自身に宿るトップシークレットなのだから。

(だめだよ? 他の男へもしもこんな無防備にしたら、僕は……)

ちりちりとした思いは早々に斬りすてる。もはや、想像する必要もない事象だった。

「♡」

ぱちん、と指を鳴らす。

すると部屋中に真っ白な光が満ち、ぼくはいつも通り眠るアンゼリカの、あまりに細く折れそうな背に手を回し、支えた。

彼女の『核』……胸の少し手前あたりをじっと視る。執拗に、待ちわびるように。


強い光が、やがてしゅるるると“それ”を作りおえた。

“それ”は小さくて、澄みわたる闇夜より真っ黒で、とても甘い香りがする。

(最後の、ひとつかぁ……)

名残惜しさに満ち満ちながら手中へおさめる。

ハート形の“それ”はぐずぐずに溶けたチョコレートみたいに、とろり。健気に手指へ縋ってくれた。

アンゼリカの、“影”である。


欲しい、欲しい。

僕は渇望のままに、恍惚と口を開く。

真っ黒な愛おしいそれを舐めすすり、はしたなくも手指までしゃぶりつくす。


――美しい、聖人。天使みたい。そう崇められる僕の本性は、ただの卑しい化けものである。


ねぇ、『獏』を知っているかい?


古い伝承の中で、たまにちらりと現れる。

慈愛に満ちた心で悪夢を食み、ひとびとを絶望から救う神獣。幻獣。

国の始祖の中に、その獣と交わった者がいた。

それ以降、稀にこの能力を持つ王族が生まれるようになったそう。

気の遠くなる年月が、遺伝の中の『獏』を変容させてゆく。……浅ましいほうにさ。


「ねえ、アンゼリカ。『完成』してしまったよ……」

僕が……『獏』が、清らな『番』の影を喰らいつくすことが発動条件。

気づくと歪な執着を具現化したみたいな、僕以外に視ることは叶わないぐちゃぐちゃな『鎖』が、彼女の影に置きかわっていた。


ごめんね。もう逃がすことができなくて。

それは僕から離れようとすると、彼女の足を捕えて引き、生涯解かれることのない呪縛だった。


その鎖があまりに醜く必死なかたちをしていて、でも、本能がたまらなく幸せで。

僕は壊れたように笑った。視界も一緒に、なぜだか滲んだ。



なんて異常なのだろうねぇ。

かつて、ひとびとを絶望から救ったちからも、今となっては。


神聖でだれかを救っていた“それ”は、ただの愛しい『番』を縛る道具に成りさがったなんてさ。

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影喰い王子と、夢誘われの魔女。 雪見おと @YukimiOto

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