春死なむ

宝井星居

Vol.1 西行の辞世

 仕事場でいつもBGMがわりに流している地上波のニュース……


〈今シーズンは春先の気温が高い影響で、北日本・東日本では平年より早め、西日本では平年並みの開花となるでしょう〉


 もうそろそろ桜の季節か? そういえばこのところ温かい日が続いていた。あまり雨も降っていない。

 東京都下、住居兼仕事場にしている賃貸マンション。十畳ほどのフロアに如月の陽ざしが光溜まりを作っている。



「京都では1200年前から桜の開花をデータにとってたって、本当かな?」


 PDFファイルの整理を頼んでいたはずのアシスタントの小僧マリオが言う。出逢ったのが十代なだけでとっくに成人済みだがその割に老けない。スマホを開いている。SNS情報のようだ。



「史書にも開花についての記述があるから、研究者がデータをそろえたんだろうな」


「へえ、さすが花のことには詳しいねゴリラ」スーパー"マリオ"が本名のやつは眉を少し上げている。くっきり切長の目。皮肉げな目つきはあの女もよくやった。ついつい重ねてしまう悪い習性くせだ。

「Cwitterに同じこと書いてある。812年って平安時代あたり?」


 お前の方が日本史は現役に近いくせに。それでも生真面目なたちの俺は日本史関連の記憶を探って、答えている。

「えーと812年なら桓武・・平城・・嵯峨天皇の世だぞ」


「すごっ、天皇ゲームの覇王やん!」


 軽い……軽すぎる。世代が違うとこうなるか?

 7歳しか違わない自分がオヤジなだけか? 思ったけれど言葉にできない。

 専従者である冬木茉莉夫、このアシスタント兼メシスタントより雇用主のほうが力関係下にあるからだ。


「平安時代ね」思い入れなど微塵もなさそうな茉莉夫のつぶやきに、俺の背筋はひやりとした。ふいに。朝から入れっぱなしのエアコンが故障したわけじゃない。


 如月の空にはめずらしい厚い雲がよぎり、自然光で写真のチェックをしていた仕事スペースの光の量をぐぐっと絞り込む。


「……いたやん? 千年くらい昔、山桜が咲いている山道を歩いていく年取ったお坊さん。イケメンの武士だったのが出家した、めちゃ渋い感じがする……」

 猫でもするように少し目をほそめ小僧が言う。古典や日本史の授業をリピートするんじゃなく、まるでその山道とやらで実際に行き合った人物のように。


 整った細面の貌、にわかに翳った空間であやしいシャドーを目尻に刷いている。

 霊感なんてない。常人で、凡人で俗人のはずの俺の背中を這いのぼるな冷感!

 ひやりなんて奥ゆかしさはない、俺はぞくぞくくる寒気に耐えねばならなかった。


 ――出だしから無駄にいたぶってはだめ。


 茉莉夫のうちに居場所を見つけた霊の含み笑が耳元をかすめた気がした。


 窓の向こうで重い分厚い雲居が動きだしていた。

 美少年がそのまま成長したような茉莉夫の面に、影から光がうつしかえられてゆく瞬間。その唇はとじて見えるが。


 願はくは花の下にて春死なむ……


 西行法師の辞世が聴えてきた。


 詠みあげたのは、もうずっと昔、セーラー服の襟に黒い絹糸のような下げ髪の双子の姉だ。





 


 


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