牛の首- 雨乞いの首供儀 -
了子
牛の首
◼️ 黒渕村の雨乞い
遠い昔、奥深い山間にひっそりと佇む小さな村、黒渕。そこは近年、容赦ない日照りと渇水に襲われ、田はひび割れ、川は涸れ、人々は飢えに喘いでいた。村人たちは古来より雨乞いの儀式を行い、貴重な牛を神に捧げてきた。供養された牛の首は剥製となり、社の祠に奉納され、薄暗い祠の中で無数の首が虚ろな目で村を見下ろしていた。
だが、長きにわたる天災で村の牛は尽き、最後の牛は前年の儀式で贄とされた。村は絶望に沈み、飢えた子供たちの泣き声が夜の山に響いた。ある晩、村長は痩せこけた顔で村人たちを集め、震える声で告げた。
「神様に備える牛はもうおらん。買う金もない。だが、このままでは皆死ぬ。酷い話だが、今年は村人の頭に牛様の首を被せ、牛追いを行なう。最初に捕まった者を牛の首の贄とし、雨を乞う。いいな?」
村人たちは凍りついた。だが、飢えと恐怖に追い詰められた彼らは、異を唱える気力すらなかった。翌日、儀式の日が訪れた。
◼️ 牛追い
夜明け前、神社の祠から古びた牛の首の剥製が運び出された。埃と黴にまみれ、眼は曇り、口元からは藁がはみ出していた。村の若者たちはくじ引きで選ばれ、震える手でその剥製を手に取った。
剥製の牛の首は、むせかえるような瘴気と脂の臭い、歴代の牛たちの無念を放っていた。
意を決しそれを被った若者はほどなく牛のように眼を見開き、口から泡を吹き、獣のような咆哮を上げながら表へと飛び出した。
「走れ! 牛よ、走れ!」村長の叫び声とともに、鎌や鋤を持った村人たちが牛たちを追い立てた。山道を、田の畦を、牛の首を被った若者たちが獣のように這い、転び、叫びながら逃げ惑う。追い手たちは鎌や鍬を手に、まるで本物の牛を狩るように叫び声を上げた。
やがて追い手たちの眼にも狂気が宿り始めた。
牛の首を被った若者の首が贄として祠に供えられた。供えられた首は…一つどころではなかった。
そして牛追いが終わった。
翌日…奇跡的に雨が降った。
以来、牛追いは人を牛に見立てた狂気の祭りとなった。渇水のたび牛となった村人に鎌や鍬が振り下ろされ、血飛沫が土を染め、贄となった人の首は牛の首とともに祭壇に並べられた。
だが、雨が降らぬ時は村人たちの狂気が増し、牛追いはエスカレートした。そのたび村人は減っていった。
村は取り憑かれたかのように首供儀を繰り返した。
残った者もいつしか狂気に呑み込まれ、自ら祭壇の前で命を絶つ者まで現れた。
祠は人間の首と牛の首が混ざり合い、互いを睨み合う異様な空間となった。いつしか人の首は牛の首の数を超えていた。
◼️ 老巫女の記録
村の外れに住む老巫女・ヨネは、この狂気を遠くから見つめていた。
ある日、近くまで追い立てられた牛の首がこちらに顔を向けた。途端、体に何者かが憑依し、身体が金縛りのように硬直した。
心臓は恐怖だけでない何かに握られたかのように締め付けられる。
目が勝手に動き、手が意志に反して筆を握り、紙に不明の記号を刻み、最後に「牛の首」の文字を記した。最後の文字を書き終えた時、憑依は解けた。
背後で牛の唸り声が響く。
息を切らしながらもヨネは正気に戻った。
しかし、それで終わりではなかった。ヨネが記号だらけの紙を見つめた瞬間、これはこの世にあってはならぬ呪物と察し戦慄した。
頭の中に幻視とともに「牛の首」文字が大量に流れ込み、意識を侵していった。牛の唸り声が再び頭の中で鳴り響く。見開いた眼は血走り、口から呪詛が溢れるのを止めるべく歯が割れんばかりに食いしばり、ヨネはその場に倒れ込んだ。
指が床を掻き、爪が剥がれる音、呻き声、骨が砕ける音が響いた。
翌朝、ヨネは小屋で不自然な姿で絶命していた。眼は牛のように見開かれ、口元には割れた歯の破片や血と共に泡がこびりついていた。体はあり得ぬ角度に曲がっていた。
村人にこの異変に気づく者はいなかった。そして数日を経ず、村には誰もいなくなっていた。
黒渕村は廃村となり、近隣の村でも噂となった。黒渕村には頭がなく、何かに踏み潰されたかのようにあり得ぬ角度に曲がった白骨が転がっていた。そこは「呪われた地」として恐れられ、近づく者はいなくなった。
◼️ 牛の首
しばらくしたある日、猟師源蔵は廃村を訪れ、ヨネの小屋で血痕の残る「牛の首」と書かれた手記と、ミイラとなったヨネの骸を見つけた。ミイラの握っていた手記と思しき紙は、血と墨が滲み、文字とは思えぬ不明の記号が並んでいた。
彼は文字を読めなかったが、記号を目で追ううち、源蔵の身体が硬直し、頭の中で牛の唸り声が響いた。黒渕村の狂気が幻視となって脳裏に流れ込んだ。手記もまた目に焼き付き、離れようとしなかった。
恐怖に駆られた源蔵は手記を握りしめ、近隣の村人に知らせるべく逃げ出した。
しかし、村に帰ると、あったはずの手記は目に見えぬ手でさらわれたかのように消えていた。代わりに握りしめていたのはミイラの指だった。彼は慌てて放り出した。
鮮明な幻視と手記ははっきりと焼きついたままだった。
村で黒渕村の現在と「牛の首」の手記を見た時の幻視をそのままに語り始めた。しかし、村人は話を聞き始めると、突然皆が泡を吹き、牛のように眼を見開いて倒れ、手を差し伸べる間もなく死んだ。
彼はすぐに悟った。「牛の首」は語ってはならぬ「何か」であったと。
源蔵は怪しげなまじないで人を殺めたとして奉行所に連行された。
そして、「その『牛の首』という話を語ってみよ」と詰問された。
しかし、ヨネの小屋で「牛の首」の手記を見つけたこと、その話をすると聞いた者が変死したこと以外は決して口にしなかった。
既に自分は呪われている。これ以上死者を増やすわけにはいかぬ、と。
だが、ヨネの小屋近くを捜索しても手記の断片すら見つからず、村も祠も雑草に埋もれ、まるで呪い自体が証拠を消したかのようだった。
口を割らぬ源蔵への拷問は苛烈を極めた。
そして数日…ついに源蔵は耐えきれず、「牛の首」の顛末を役人に語り始めた。すると、尋問していた役人が泡を吹き、牛のように目を見開いて倒れた。奉行所は大混乱となった。
源蔵は新たな骸を見て確信した。役人たちの罵声の中、彼は叫んだ。「わしはそんな恐ろしい話は聞いたことがない!」そして、自ら舌を噛み切り、血と泡を吐き、死んだ。
◼️ 手記の行方
ヨネの手記は、まるで意志を持つかのように風とも思念ともつかぬものに運ばれ、別の村、別の土地へと漂い続けた。それは読む者を呪い、新たな語り手となる者を待ち続けていた。今もどこかで、誰かが血と墨と呪いにまみれたこの手記を読み、語ってくれるのを誘っている。
ーーねぇ、「牛の首」って話、知ってる?
了。
牛の首- 雨乞いの首供儀 - 了子 @Ryoko-san
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