事件
授業後、16時すぎ。
2人で食堂へ行くことにする。
大学に入ってから他人と並んで歩くなんて初めてかもしれない。普段より遅い足取りで大学内景色を眺めてながら、ふとそんなことを思った。
「
「ちょっとヤだけど、今日は特別っ」
お昼時は大量の列ができる食堂。いまは夕暮れなので誰もいない。食堂の前で
「
唇に手を当てて、前かがみになりながら食堂前に置かれた立て看板のメニューを眺める。あくまで食事を摂る人をターゲットにした看板だから、そこに軽食向きのデザートは書かれていない。
「って、これ見ても何も分からないね……」
えへへー、と
「中入ってから見よっか、人も少ないし」
「うん! そうしよ!」
そして合意の下、食堂に入ろうとした矢先。
「あれーっ、1年生? 今から食事?」
背の高い、明るい髪色をした男2人組が、私らに声をかけた。いかにも大学生といった(真面目な学生には申し訳ないが)印象の連中だった。
「よかったら一緒にどう? 俺らも今から遅めのメシなんだけど。ノリのいいサークルとか、楽単とか教えてあげるよ」
私は即座に身構える。
彼らが関与すべきでない人らということは明らかだったし、それにこの大学内は黒髪美人でも突如手刀を浴びせてくるのだ。もはや
「結構です。私達これからの予定もあるので」
咄嗟に私は答える。言ってから、「こういう男の相手は
「まあまあ、そう言わずにさあ」
その声に、気遣いの穏やかさは込められていない。
物が激しくぶつかって崩れる音。
彼はこちらを見たままメニューの立て看板を蹴飛ばした。
「……黙って、ついてこいよ」
頭が真っ白になる。
私たち……彼らの『標的』になってる?
とたんに全身を恐怖が支配する。
見えている動作以上に、彼らには肉体的な力があった。成長の過程で必然的に生じる彼らと私らの肉体的能力の差が目に見える。彼らの方がもちろん優位である。そんな2人から、敵意を向けられてしまった。
自分が被害者になる日が来るなんて思わなかった。5限が始まったばかりのキャンパスには、周囲を見渡しても人が数えるほどしかいない。傍から見ればトラブルに見えてないのか、大学ではよくあることなのか、はたまた助けるつもりがないのか、誰もこちらにやってくる気配はない。
「
相手は先日のような黒髪美人の変わりものではない。ここで押し負けたら理性が潰される。向こうは本能に支配されている。危機感でいっぱいの私は
後ろから怒号が聞こえる。振り向かないで走る。道中の人々が一瞬だけ、スマホから目を離して私達を見る。願わくば、追いかけてきているであろう男らを敵だと認識して、彼らを止めてほしい。
真剣で走ったのはいつぶりだろう。100m走も、シャトルランも苦手な学生だったなあ、なんてことを強烈な息切れで思い出した。走るのってこんなに喉が焼けたっけ。私の呼吸ってこんなに乱雑だったっけ。
「いっ……」
運動能力が欠如している私は、
鈍い痛みが全身を襲ってから、擦りむいた箇所が鋭く痛む。後ろも振り向かず、体が動くままに
「はあ、はあ……」
そこが適切な場所かも分からないまま、図書館の裏の茂みに隠れる。動きを止めた瞬間目眩がして、天に召される心地がした。
「びっくり、した……」
誰かに言うわけでもなく、ただ沈黙を破るためだけに発した言葉。草と土で汚れた地面に座って、
彼女は、光のない目で虚空を見つめていた。
「
声を聞いた
「大丈夫?」
「うん……。足速いねっ、
人生で初めて貰うタイプの褒め言葉だった。
「そ、そうかな」
「そうだよ。
ああ、大学構内でこんなことをするために1年間予備校へ通ったのか私。
「とりあえず、あの男どもはいなさそう」
「よかった」
魂が抜けたみたいに言葉を失った
「今日は、解散しよっか」
悔しいが、私にはそれ以外提案できることがなかった。この出来事について踏み入れば彼女の何かに触れてしまう可能性がある。距離を置いて他人と関わるのはある種私にとってのポリシーみたいなものだ。かといって、何もなかったことにして、食堂に戻ってしまった結果彼らに遭遇するもの恐ろしいし、仮に食堂が安全だったとしても、今の彼女と和やかな話題を続けるのは難しそうである。だって。
「……」
「
「ひいっ」
––––今の彼女は、異常なまでに怯えているから。
「……ご、ごめん。……
「大丈夫? このまま帰れそう?」
「大丈夫だと思う……」
「無理しなくてもいいよ。一緒に居てあげられるから」
「あ、ありがとっ」
感謝を述べた
体の右側が暖かくなる。厳密には、肩と腕。
まだ夕方が肌寒いこの季節にその暖かさは露骨だった。触れてない側も徐々に熱くなっていく心地がする。
「少しだけ、こうしてていい? ……なんか、今ので、怖いというか、とてもきもちわるかったから」
助けてくれてありがとうね、と彼女が呟く。褒められた喜びは、彼女の弱った様子への心配で相殺された。
それから数分、図書館の裏で2人、何もない時間が流れる。アルバイトに間に合わないかもしれないけれど、自分でも不思議なくらいに、彼女の心が回復することを優先していた。外が薄暗くなってきたくらいで、ようやく2人とも立ち上がった。そのタイミングで
バイト先の塾に向かう道で1人、自転車に乗りながら物思いに耽る。
今日の昼時までは会話すらままならなかった私が、たった数時間で彼女の何か弱い部分らしきところを覗くまで踏み込んでしまったのは、とても悪いことをしているような気分になった。……状況的に仕方なかったとはいえ。
それでも私は、そんな自分勝手な罪悪感と別に、多少の満足感も覚えてしまっている。というものの。
『さっきは、なんかしんみりしちゃってごめんね! とりあえず無事に大学は出ることできたので、バイト行ってきます!
解散直前、
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