プロローグ『シャルル・アレクディロス』
思えば、幼い頃からわがままというものを言ったことがなかったように思う。
わがままを言える程、裕福な家庭ではない自覚があったこともあるが、何より、わがままを言える相手が物心ついて間もなくいなくなってしまった、ということの方が理由に大きい。
両親の顔は、写真の中にしか記憶がない。
錆びた鉄の額縁の中、父と母は日焼け後が残る机の上で微笑んでいる。
そんな生い立ちもあって、シャルルはこれまで、生きていく為にはなんだってしてきた。
生きるには金が必要で、金は稼がなくては手に入らない。
至極、当然のことで、されど、小さい子供には難しいことだった。
靴を磨けと言われれば、床に這いつくばった。
危険な街の外へ薬草を取りに行けと命じられれば、魔物の目から逃れるように走った。
一歩間違えたら父と母に会いに行くことになるかもしれない仕事も、人に言えないことも、なんだって。
金さえ稼げるなら、ありとあらゆることを何だってやってきた。
すべて、歳が二桁にも満たない頃の話だ。
「毎度。またお困りの時はお待ちしてますよ」
あの頃に比べて、仕事の取り方と選び方、愛想の振りまき方、金の稼ぎ方はマシになった。
「壊れたスフィアを直せるかしら?花の文様が欠けてしまったの」なんて不安そうに入ってきた白い貴婦人が、笑顔で「次来るときは差し入れを持ってくるわね」と満足そうに去る姿を見送れる程度には。
カラン、とベルが鳴って扉が閉まると、シャルルは大きく伸びをした。
体中のあちこちで骨が鳴るが、それがなんとも心地よい。
そのまま両手で両頬をもみほぐした。
愛想笑い、営業スマイル。
接客業には必要なことで、いまだに疲れるもの。
「フランソワさんね、リピありかなぁ……期待せず覚えとくか」
皆また来る、とは言ってくれる。
ただ、誰かに金を払ってまで頼みたい程困ったことなんて、日々生きていて、早々起こるものでもないのだ。
スフィアが世に流通するまでは様々な依頼が舞い込んでいた。
主に、危険な街の外に出るものが多くはあったが、それも何年も前のこと。
ここ数年はとんと平和だ。
一旦区切りがついた体を休めるために、シャルルは隣の部屋へ繋がる扉を開ける。
扉の先は小部屋になっていて、壁伝いに簡易的な水道と焜炉と呼ばれる調理台が一つだけ。
狭く、小さなキッチン。
焜炉に向かって立つと、一歩後ろはもう戸棚がある。
一般男性程度に細身であるシャルルですら、立っているだけで狭い小さなスペース。
かちり、と焜炉のスイッチを押し込んだ。
焜炉は、スイッチを押すだけで火が付く便利な魔道具で、特殊な魔術加工されたフィアが埋め込まれているそれなりに高価な代物だ。
この家に住み始めた頃、仕事相手から譲ってもらったお古で、これまで何度かシャルルが手直しを加えはしたが、一人で使うには申し分ない。
しばらく、シャルルはぼんやりと壁の上部にある通気窓から外を眺めていた。
もう日が下りはじめている。
少し早いが、今日は店じまいしてもいいかもしれない。
――――ピーッ!
甲高くお湯が鳴いたと同時に、シャルルは焜炉のスイッチを切る。
やかんからお湯をカップに注ぎつつ、ついでに半身振り返り、戸棚に置いていた瓶から何かをカップへぽとりと落とす。
お湯がしみこむにつれてふわりと花開くそれは、茶葉の一種のようだった。
さあ、とひと息いれるべく口をつけようとした瞬間だった。
――――――カラン、カラン。
聞きなれたベル音がして、反射的に指がピクリと反応する。
そして、
「あ、あのー……し、失礼いたします……」
と、か細い不安げな声が聞こえた。
店主であるシャルルの名前を呼ぶでもなく、礼儀正しい挨拶、しかし不安そうな声のトーンから導き出される答えは、――新規客だ。
湯気のたちのぼるカップを流し台のフチに置くと、シャルルは小さく溜息を吐いた。
店を兼ねたリビングへは、数歩歩くだけで到着する。
キッチンへつながる扉を後ろ手に閉めながら入り口の方へ視線をやると、そこには、深海のような色をした大きいローブに包まれ、顔も全く見えない程にフードを深くかぶった人間が一人だけ立っていた。
先程の声のトーンから女性だろうと目星はつくが、見た目は怪しさ満点、といったところだ。
――……身長は、160いかない程度か。
多分細身だが、気品のある綺麗な姿勢。
顔や髪はフードに覆われて見えずらいな、……恐らく初対面だろ。
靴の汚れは目立たない。
手荷物はないに等しいくらいに身軽。
ローブの生地は下町のものじゃない。明らかに上質だ。
デザインもシンプルとはいえ、控えめな刺繍やフリルが施されて凝ってる。
全体的に、身綺麗で清潔感がある。
衣服や容姿へ気を使える程度に財力があり、荷物を持ってくれる従者がいる、または送迎がある、つまり帝都周辺の人間……。
これは上客、金になるかもな。
「こんにちは、お嬢さん。何かお困りごとですか?」
シャルルは、にこやかに口角をあげて問いかけた。
すると、少女は一瞬躊躇ったような様子を見せてから、口を開く。
「……こちらは、お金を払えば、何でもしていただけると聞いてまいりました」
「俺に出来ることならね」
声の抑揚、シャルルに歩み寄ってくる所作、どれもしなやかな気高さを感じる。
――思ってるより、育ちもよさそうだ。
ふうん、と彼女の動作を観察する。
少女は近寄りはしたものの、シャルルと数歩離れた位置で止まり、再度口を開く。
「アクセサリースフィアの加工もできると聞いたのですけれど、いかがでしょう?」
「まあ、一般的な術式くらいなら組み込めますけど」
その言葉を聞くなり、少女は残り数歩の距離を一気に詰めた。
「それでは、こちらの魔石を加工していただきたいのです……!」
同時にローブの内側から、青く光る手のひら程度の大きさの石を取り出す。
一瞬、その勢いに身構えたシャルルの顔の前へと、少女はその石を勢いのまま差し出した。
所々が別の鉱石や岩に覆われて光は途切れ途切れに部屋を照らしているが、それでもこの光量、この輝きは中々のものだ。
そしてサイズも大きい。
差し出されたフィア鉱石をシャルルはつまむように指でつかんで、あらゆる角度から観察するように中を覗き込む。
「青のフィア鉱石はここらでは珍しい……しかもかなり上等な石だな」
「……し、知り合いに譲っていただきまして」
「知り合い?」
「え、えぇ……まあ、その、運が良かったといいますか……」
さっきまでの勢いとは打って変わってハッキリしない物言いに、シャルルは「それはよかったですね」と話を切り上げる。
人には人の事情がある。
入手経路も、余計な情報も仕事には必要ない。
――……フィアを加工、ね。
「それじゃあ、アクセサリーのデザインはどうする?」
少女へ声をかけながら、シャルルは部屋にある机のそばに飾られたショーケースへと歩く。
そして、ショーケースの上にこじんまりと並んだ本棚から一冊の大きな本を抜き出して、パラパラと適当なページを開いた。
「持ち込みや希望があるならそれで。俺が作れるデザインはこちらに」
シャルルは、片手の手のひらでフィア鉱石を転がし、空いたもう片方の手でおいでおいでと手招きをする。
少女は小鳥のようにシャルルの元へ歩み寄ると、ローブを少しだけ上へ持ち上げて背中を丸め、本のページやショーケースの中を覗き見た。
木彫りのブレスレットや、金属の指輪、何かの鉱石でできた置物。
様々な材質のどれもへ、多様な文様や意匠が繊細に彫られている。
本に記載された制作レシピや、ショーケースの端から端へと目を滑らせていた少女は、薄い花びらを織り合わせて輪になったような銀製の指輪で視線をとめると、「素敵……」と見とれるような声を出した。
それはどうも、と笑ったシャルルに、少女は慌ててわざとらしい咳ばらいと共に、背筋を伸ばす。
「こ、今回は持ち込み?といいますか、希望のデザインがございますので。こちらはまたの機会に是非お願いいたします」
指輪を名残惜しそうにチラチラと見る少女。
少しだけ笑うと、シャルルはぱたんと本を閉じる。
それと同時に、少女はローブで隠れた胸元の暗闇から華奢なチェーンの繋がったペンダントを持ち上げて見せた。
ペンダントトップに光る宝石だけが、ローブの暗闇から抜け出し、はっきりと見えた。
「今回はこれと同じようなものを作っていただきたいのです」
繊細な意匠だった。
決して安物ではないだろう重みさえ感じる宝石と、その周りを縁どる金属へは、特殊な文様が刻まれている。
一見、術式のようにも見えるが、
――これは……。
数秒の沈黙の後、シャルルは首を振った。
縦ではなく、横に数回。
「……そういうアクセサリー関連の加工は専門外なんだけど」
「く、首飾りは駄目でしょうか?では、ブレスレットでも」
「そうじゃなくて」
「では、オリジナルしか彫れないと?でも、先程デザインの持ち込みもできるとのことでしたし、私の知り合いの方も、ペアの可愛らしいデザインを彫っていただいたと……」
どうしよう、と心の声が聞こえる程に狼狽えた様子の少女へ、シャルルは軽くショーケースにもたれて、溜息をこぼす。
だ、か、ら、と告げる声に合わせて、ショーケースを指で軽くこん、こん、こん、とたたいた。
「そういう、女性に似合う洒落たアクセサリーは苦手なんだけど、ってこと」
ショーケースをたたいた指が示したのは彼女の胸元。
含みのある言い方をする彼の指す意図を理解して、少女ははっと息を呑む。
「大体、勝手にそんなもの彫って、模造品ってバレたら作った俺は捕まるし。良くて拘留、罰金刑。悪くて無期の拘禁、死刑ってとこだろ」
お断り、と告げるかのようにシャルルは青く輝く鉱石をガラスの上へごとりと置いた。
そういうわけなので、申し訳ないのですが。と丁寧な口調で出入り口扉へお見送りをしようとする青年の腕を、少女は反射的につかみ、引き留める。
「そ、それでも、仕事なら何でもしてくださると……!」
「俺にできることなら。ちゃんと最初にそう言いましたよ」
「……」
「……それに最近は、仕事も選ぶようにしてるんです」
「……っ」
無理に振りほどくことはなく、落ち着いた様子で語りかけるシャルル。
対して、何を言おうか迷っている様子の少女は、口を何度もはくはくと開閉する。
その口からは、声になり切れない程度の息が何度かもれた。
何故、こうまでしてこの青年に食い下がるのか。
シャルルの脳内では余程お困りなのかと「他の同業でも紹介するか……?」なんて困惑がはじまっていたが、少女の中には彼にお願いしたい理由があるのだ。
いいや、正確には、つい先程、できてしまった。
彼女がこういう仕事を引き受けてくれる人を探したのは今日で四件目。
訳があったから、少女は自身の見た目を、姿を隠し、身分は決して明かさずに。
――それでも、彼は見抜いた。
一度深呼吸をして、少女は口を開く。
「妹を」
そう、彼は見抜いたのだ。
ペンダントの飾りひとつで。
これは、――皇族しか使用していない意匠だと。
そして、
「妹を助けたいのです!」
「…………はい?」
――……私が、皇女なんだということも。
そして僕らは旅に出た。 瀬。 @ariori_ori
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