千の手

ひとえだ

第1話 千の手

1.古寺

 冬枯れ、忘れられた寺、学生、自転車を置いて寺門を潜る

 <学生>

 ああ、なんてことだ、俺は高校で数多の行事にも積極的に参加せず、彼女も出来なかった。高校生活の楽しい想い出を辿れと言われてもなにもでない。夏休みには同級生と出掛けたこともなく、会った事さえなかった。


 先生や同級生は僕を優秀とはやした、高校の優等生も、全国から観れば特に抜きん出た才能を持たない凡庸な高校生でしかなかった。


 同級生は受験生でありながらクリスマスイブなどと浮かれている。残念ながらぼくを誘う同級生もいない。


 そして今、住職の気配もなく住民から忘れ去られた寺に

「大学に合格させて欲しい」

 と祈るまで落ちぶれてしまった。理科系大学を目指す俺が非科学的な神頼みなどとはとんだお笑い草だ。


 模擬試験の結果は残酷にも、中学生の頃から憧れていた志望大学に合格する確率が極めて低いと告げている。もはや藁にも縋りたい気持ちである。


 寺の前に来たのは、運命の導きかもしれない。大学生の未来が朧に消えそうであったが、寺は目の前に確実に存在している。


 そうだ、まだ、受験までには僅かながら時間がある。明日から冬休みに全身全霊を掛けて勉強すれば逆転合格があるのかもしれない。


 これは神の御加護ではないだろうか。


(境内の階段を上る。学生は選択に少し迷って銀貨を賽銭箱に投げ込む。格子の向こうには比較的立派な仏像が見える。しるしに観音像という文字が確認できる)


 観音様。僕をB大に合格させて下さい

(風が起こる)

 御利益があったのか。100円を賽銭にした選択は間違えていなかったかもしれない。合格したら財布のお金全てを賽銭にしてもいい


(笑顔で柏手を打つ。振り向くと中年の男が立っている。年齢相応の服装に住職でないことを確信する。気を留めず帰路につくが一度振り返る)

 うわっ

(男と目が合って声が漏れる)


<男>

わしに用か?

<学生>

いえ

(顔の前で手を振る)

<男>

左様か、それは失敬


(学生は寺門に2歩程歩いたところで、再度振り返る。再度男と目が合う)

<男>

儂に用か?

<学生>

(極めて愛想良く)

参拝ですか?

<男>

いや、誰かが儂を呼んだ気がしたから来たのだ

<学生>

もしかして、あなたは神様ですか?

<男>

ここは寺じゃぞ

<学生>

失礼しました

もしかして、仏様?

<男>

(男、悲しそうな顔をする)

昔はそんな時期もあったなぁ


(学生、緊張が緩む)

<学生>

神様でも仏様でもないとすると、あなたは何者だ?

<男>

難しい質問じゃな、さて、儂は何者なんじゃろう?

お主は先程、仏像をみていたようだが、何者に見えたか?

<学生>

観音様と書いてあったので、観音様でしょう

<男>

観音と知って柏手を打ったのか

<学生>

おかしいですか?

<男>

微分や積分は分かっていても、寺と神社の違いは分からないようじゃな。まあ、そんなことは受験には必要ないから知らなくても問題ないと考えているようだな


(学生はむっとした後、重要なことに気付く)

<学生>

なぜ僕が微分や積分の知識があることが分かるのです?

<男>

観自在だからだよ

<学生>

”観自在”どこかで聞いたことがあるな、何だったかな。

 分かった、お前は占い師だな?

<男>

儂は儂自身が誰であるかは、まだ知り得ていない。ただし人に心があってそれが尽きない限りは儂は存在し続けるのだと思う

<学生>

占い師でしたら、俺、いや僕は大学に合格できるか占ってほしい?

<男>

その結果を聞いてどうする?

<学生>

そうだな。あんたに合格すると占ってもらって、”やる気”を起こしたとしても、それはその場しのぎの気休めにしかならない


<男>

どうしてB大に行きたいのじゃ?

<学生>

子供の頃から理科が得意だった。そしてみんなが俺を褒めてくれた。俺はみんなの中にいる俺のままであり続けたいと思っている。


 それに俺は大学に合格するために、同級生の誰より一生懸命勉強した。学校の行事にも参加せず、彼女を作ることもしなかった。それでB大学に受からないなんてあんまりだ。


こんなことならば高校時代もっと遊んでおけば良かった

(男は顎に手を当てて考え込む)

<男>

お主は、B大に合格することと、高校入学時に戻って高校生をやり直すことと、どちらかの願いが叶うとしたらどちらを望む?


<学生>

それは・・・・・・

ところで、どうして僕がB大学志望だったり、理科系を志望していることが分かるのだ?

<男>

先程もいったろう、観自在だからだよ

<学生>

空しい、こんなオッサンにからかわれるとは思わなかった。でも、暇つぶしに付き合ってくれたオッサンの話は気晴らしになった。質問の答えはB大合格だ。がんばった高校3年間を無駄にしたくない

<男>

叶えてやろう。

まあ、高校をやり直す選択はないだろうと思っていたよ。高校をやり直したからといって、学校の行事に積極的に参加したり、彼女を作ったりすることはないだろう。やり直せばもっとひどい高校3年の12月24日を迎えるだろう

(学生は男に掴み掛かろうとする。その瞬間男から無数の手が湧き出してきて、学生の身体を押さえた)

<学生>

お、お前、何者だ?

(学生、身体が震えている)

<男>

何度も同じ事をいわせるな!

<学生>

魔物め、俺を殺す気か

<男>

お前が儂を念じたので、お主の願いを叶えるだけじゃ

<学生>

やはり、神様でしたか

<男>

お主は物のことわりを学ぶことを望んでいるのであろう。定義がおかしいと真実の近くに行けないことに気付いていないのか

<学生>

仏様、何卒、哀れな学生に御慈悲を

<男>

儂はかつて仏であった。しかし、仏でありながら罪を犯したため菩薩に降格となり、6道の尽十方界に戻されたのだ。千里眼と、千本の手、人が救済を求めれば儂はその人を助けねばならない。それが儂の罪の清算だ

<学生>

数々の無礼申し訳ありませんでした。刃向かったりしませんので、どうか手を離していただけないでしょうか

(数多の手は消えて2本のみになる)

<男>

お主の願いは”B大学合格”ということで良いか

<学生>

御意にございます

(学生、深々と頭を垂れる)

<男>

お主、大学に合格しても今のままだと、B大学では2年生にはなれぬが、それでいいのか?

<学生>

菩薩様、御慈悲をありがとうございます。今日の御慈悲を忘れることなく、大学生になりましたら、死ぬ気で勉強をして、本日の御慈悲に応えたいと存じます

<男>

本当にB大学合格で良いのだな

(学生、深々と頭を垂れる)

<学生>

はい。

 ところで、僕の願いを叶えて頂いた見返りは何をご用意したらよろしいでしょうか?

財産でしょうか?

寿命でしょうか?

死後の奴隷でしょうか?

またこれからは仏教の信者になる必要がありますでしょうか?

<男>

見返りなどはいらぬ。人の祈願成就は儂の罪の清算じゃ。それに今の仏教はお主のように寺で柏手を打つような有様じゃ。お前のように思慮の浅い者が中途半端に係われば、罪を重ねるか、財産を奪われるかのどちらかだ

<学生>

見返りを所望されないとは、なんと慈悲深いことでしょう。

 ところで、いままで何度も神仏にお願いをしておりますが、殆ど叶ったことがございません。菩薩様が本日、僕の願いを叶えて頂けたのは、この寺に来たからでしょうか?

<男>

儂は一体のみじゃ、いくら千里眼とはいえ、聞こえなければ対応することはない。今日はこの寺にきて偶然儂を念じたのを聞いたからだ、儂は尽十方界を常に移動している。一カ所に留まることはない。恐らくお主の寿命のうちで儂に再会することはないだろう

<学生>

それは残念です

<男>

いつも儂に願いを叶えてもらったら、堕落して己の犯した罪に気付くことはないだろう。儂は千里眼で、千本の腕を持ちながら、真夜中、痒い背中を観ることもかくこともできないのだよ

<学生>

それはどういうことでしょう?

<男>

少々喋り過ぎた。B大学合格は約束しよう。背負った肩書きは自分で維持することだな。儂は己の罪を清算するために人の願いを叶えているだけなのだ。たとえそれが願う者にとがを与えるとしても

(男、突然消える)



2.自宅

(学生、スマホをみている、内容が身に入らない)

<学生>

ああ、これほど僕の学力が世間に通用しないとは悲しいことだ。滑り止めと思っていたZ大まで合格しなかった。

 合格したのはボーダーフリーの大学のみ、あの古寺での奇跡はおこるのであろうか

<学生の母>

B大から書留が来たよ

お前よくやったね。お母さんは信じていたよ


3.下宿

(学生、スマホをみている、内容が身に入らない)

<学生>

畜生、大学の講義が全く分からない。高校までの知識は全く役に立たないし、周囲も僕より頭のいい奴ばかりだ、専門教科はいくら勉強しても全く理解できない。

2年生になれる気がしない。この大学に入ったのは失敗だった。

 もうダメだ。何年留年しても2年生になれる気がしない。むしろ仮面浪人して文系の大学を受け直した方がいいのではないか?


4.古寺

(秋、学生、古寺を歩く。同世代の男が声を掛ける)

<同世代の男>

この寺に参拝者が来るのは珍しいですね。ご苦労様です

<学生>

君は?

<同世代の男>

僕の先祖がこの寺の草創に係わったらしくて、しばしば掃除にきているのです

<学生>

そうか。

この寺のことについては詳しいか?

<同世代の男>

期待に添えるかわかりませんが、どういうことでしょうか

<学生>

・・・・・・実は、ここで観音様に会ったんだ

<同世代の男>

そうですか、お会いになりましたか

<学生>

あまり驚かないのだな

<同世代の男>

手前も何度かお見かけしております。会話をしたのは1度だけでございますが。あなたは、どちらでお逢いになりましたか?

<学生>

参道だ

君はどんなお願いをしたんだ

<同世代の男>

お願い?たかが人如きが観世音菩薩にお願いですか?そんなおそれ多いことは手前にはできません

<学生>

寺の関係者のくせに観音経は読んだ事がないのか?

<同世代の男>

観世音菩薩普門品ですね。読んで居りますよ。あの経の主語は無尽意菩薩でしたね。無尽意菩薩が釈迦仏に観世音菩薩のことを伺う内容だったかと記憶しております。

(学生、難しい顔をする)

<学生>

では、君は観音と何の話をしたのだ?

<同世代の男>

観世音菩薩と手の話しをしました

<学生>

手? どんな話だ?

<同世代の男>

なぜ、私の手は1,000本あるのかと聞かれました

<学生>

何と答えたのだ

<同世代の男>

それは申し上げられませんね

<学生>

なぜだ

<同世代の男>

それはあなたがお気づきにならないと、あなたの咎、いや罪に気付く事はないでしょう

<学生>

俺の罪?俺が何をしたというのだ

(同世代の男は目を閉じ合掌している)


<了>



 


 







 


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