山手線に高尾山はないけれど

@princekyo

山手線に高尾山はないけれど

路地裏の少し寂れたイタリアンバル。金曜日の19時。 店の奥にある、予約された6人掛けのテーブル席には、ココハとマナエの二人だけが座っている。 テーブルの上には、手付かずのシーザーサラダと、半分ほど泡の消えた生ビール、そしてカシスオレンジが置かれている。


ココハはさっきから、スマートフォンの画面を何度も点灯させては、一向に届かない通知を確認するふりをしている。 彼女は、少し大きめのリアクションでグラスを煽った。


ココハ「ねえ、知ってる? 合コンで最初にサラダを取り分ける人って、だいたい家ではマヨネーズをボトルから直接吸ってるんだよ」


マナエ「……それ、どこの統計?」


ココハ「私の偏見。でも、そういうパフォーマンスをしないと、この国では呼吸もさせてもらえないでしょ? マナエさんだって、さっきからフォークの巻き方、丁寧すぎ。本当はラーメンとか、すすって食べたいタイプじゃない?」


マナエは、ココハの冗談を無視して、無表情にパスタを口に運んだ。


マナエ「開始から45分。既読がつかないどころか、グループラインのメンバーが『3』から増える気配すらない」


ココハ「まあまあ。男子軍団、きっと今頃、山手線で寝過ごして、気がついたら高尾山とか登ってる最中なんだよ」


マナエ「……山手線に高尾山はない」


ココハ「たとえ話! そういう『ありえない不幸』を想像してあげないと、待ってる側は自分が軽んじられてる事実に耐えられないじゃない。みんな忙しいんだよ。金曜の夜だもん。仕事のトラブルとか、あるいは急に宇宙人に連れ去られたとかさ」


マナエは静かにグラスを置いた。氷がカランと音を立てる。


マナエ「ココハさんって、沈黙が怖いんだね」


ココハ「えっ?」


マナエ「会話を埋めるためだけに、一円の価値もない言葉をバラまいてる。さっきから一回も、私の目を見てない。あなたは、ここに来ない誰かのために喋ってるんじゃなくて、自分を安心させるために喋ってる」


ココハの動きが止まる。彼女は無理に作った笑顔を崩さないまま、視線をグラスの結露に向けた。


ココハ「……マナエさんこそ。そんなに冷静に分析できるなら、なんで合コンなんて企画したの? 『効率よく人間関係を構築したい』って、募集掲示板に書いてたのは嘘? 本当に効率的なら、こんな気まずい一時間は、ただのコストでしかないじゃない」


マナエ「効率を求めた結果が、これ」


マナエはバッグからスマートフォンを取り出し、テーブルの真ん中に置いた。


マナエ「私は、最初から誰も来るはずがないと思ってた。私が誘った男子たちに、昨日の夜、一斉にメールを送ったの。『会場の配管が壊れてお店が休みになった。今日の合コンは中止。また今度』って」


ココハの目が丸くなる。彼女の呼吸が少し速くなった。


マナエ「本当は、誰かと食事なんてしたくなかった。でも、金曜の夜に一人で部屋にいると、自分が賞味期限切れのコンビニ弁当になったみたいな気分になる。世界中で私だけが、何にも選ばれていないような気がして。だから『合コンの幹事』っていう役割を背負って、外に出る理由が欲しかっただけ。ごめん、ココハさんを巻き込んで」


しばらくの沈黙。店内に流れるジャズが、二人の間の空気をなぞっていく。 しかし、ココハは怒り出す代わりに、ふっと肩の力を抜いた。


ココハ「……なんだ。一緒だったんだ」


ココハも自分のスマートフォンを、マナエの隣に並べた。 そこには、彼女が女子グループに送ったメッセージが表示されている。


『ごめん! 開始時間が一時間遅れて20時からになったよ! ……あ、でもやっぱり私がお腹壊しちゃって。会自体はやるけど、無理に来なくても大丈夫だからね!』


ココハ「私も、怖かったんだよね。誰が可愛いの誰がタイプだの、そんな品評会にニコニコ笑って合わせる自分を想像したら、急に息ができなくなっちゃって。でも、ドタキャンする勇気もなくて、せめて『誰もいない一時間』を一人で過ごしたかった。……だから、あえて来づらくなるような嘘を混ぜたの。みんな、私が行かないなら行くのやめるかな、って期待して」


ココハは自嘲気味に笑い、自分の頭を軽く叩いた。


ココハ「そっか。私は遅刻させて誰もいない時間を作ろうとして、マナエさんは中止にして誰もいない時間を作ろうとした。二人とも、透明になりたかったんだね。この賑やかな金曜日の夜に、自分だけの隙間が欲しかった」


時計の針が20時を回った。 店の扉は一度も開かない。店員が遠くで、予約席のプレートを下げようか迷っている。


マナエ「20時になったね。……誰も来なかった。ココハさんの友達も、一人も」


ココハ「……うん。誰も来ないね。完璧に、一人も。私の狙い通り。世界一悲しくて、世界一成功した嘘だね」


ココハの声は、悲しんでいるようには聞こえなかった。むしろ、大きな荷物を下ろしたような、晴れやかな響きがあった。


マナエ「……知ってたよ。誰かが来るなら、あなた、さっきからあんなにリラックスしてパスタ食べてない。自分の嘘が成功するのを、心のどこかで祈ってたんでしょ」


ココハ「バレてたか。マナエさんには敵わないな。……ねえ、パスタ、もう一皿頼んでもいい? 今度は、誰の目も気にしないで、ボトルのマヨネーズ吸うみたいに、行儀悪く食べたい。ダイエットの話もしないし、サラダの取り分けもしない。ただの、炭水化物としてのパスタを」


マナエ「いいよ。その代わり、私の悩みも聞いて。効率的な人生の送り方じゃなくて、もっと非効率な、例えば『家の観葉植物に名前をつけてるんだけど、最近そいつが冷たい気がする』みたいな、どうでもいい話」


ココハ「それ、最高に聞きたい」


ココハは店員を呼び、追加の注文をした。 窓の外には、忙しなく歩く人々がいる。でも、今の二人には関係ない。 誰も来ないテーブルの上で、冷めたサラダとぬるくなったビールが、二人だけの祝杯に変わっていく。


ココハ「マナエさん」


マナエ「なに?」


ココハ「今日、ここに来てよかった。一人で透明になるより、二人で透明になるほうが、なんだか……暖かいね。一人でいるより、独りじゃない感じがする」


マナエは黙って、自分のカシスオレンジをココハのビールグラスに軽くぶつけた。 カチン、と乾いた音が響く。それは、偽物のパーティーが終わり、本当の友情が始まった合図だった。


ココハ「あ、そうだ。一つだけ、今のなし」


マナエ「え?」


ココハ「今の『暖かいね』ってセリフ、ちょっとドラマの主人公っぽすぎて恥ずかしすぎるから、今すぐ記憶から削除して!」


マナエ「無理。私の脳は高性能だから、一文字も漏らさず保存した」


ココハ「最悪! やっぱりマナエさん、性格悪い! 効率的に嫌なことするんだから!」


そう言いながら、ココハは今夜一番の、眩しい笑顔を見せた。


5分前まで、共通点のない他人だった。けれど二人は今、嘘という名の共通言語で、誰よりも深く繋がっている。 誰も来なかった合コン。けれど、このテーブルの熱量だけは、金曜日の街のどこよりも高かった。 二人の笑い声が、少しだけ空っぽな店の空気に、確かな色をつけていった。

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